第62回忘バワンドロライ「約束」
「あそこ歩いてるの、帝徳の国都じゃね?」
休日の昼下がり、街なかで国都は自分の名前を耳にした。
「やっぱり国都じゃん、今日休みか」
名前を呼ぶ見知らぬ二人組に首を傾げていると「覚えてねェのかよ」と二人が近づいてくる。
「この前試合しただろ」
「俺のキレッキレのマエケン体操にビビってたか」
国都は先日の試合を思い出した。要圭と清峰葉流火のいる都立野球部との、帝徳があわや敗退するかと思われた試合だ。試合をしていた自分たちは負けるなど一瞬たりとも頭をよぎることはなかったのに、周りにはそうは見えなかったらしい。その試合で3塁を守っていたのは確かに今、目の前にいる人物だった。
「要くんと清峰くんの先輩……、先日は対戦していただきありがとうございました」
国都はかぶっていない帽子をとり、しっかりとお辞儀をした。
「なんだよ、堅苦しい挨拶はいらねぇよ」
「今日は帝徳の練習は休みか?」
国都は質問に答えず、あの試合のあとの監督の言葉を思い出した。
──次の休日は気持ちを切り替えるために夕方まで休みにする。
監督は、僕たちには気持ちを切り替える必要があると言ったのだ。
「お前……ナチュラルに無視すんだな」
いつの間にか眉を寄せて考え込んでいた国都は、小手指のプリン頭の先輩の声に我に返った。
「申し訳ありません、つい考えごとを」
「いや、いいんだけどさ。オマエってうちのキャッチャーと知り合いなの?」
小手指のキャッチャー要圭、あの日の約束を彼はまだ覚えているだろうか。
「知り合い……ではなく、約束をした相手です」
「約束?」
「はい。中学生のときに、共に帝徳高校に行って甲子園に行こうと約束をしたんです」
「マジか!じゃあなんでアイツ、都立に入ってんだ? 本当に約束したのか?」
今まで何度あの日の約束を思い出しただろう。あのときの要圭の顔は今もはっきりと覚えている。
「約束のとき、要くんは“知らねェよ”と」
「は?」
楠田と御手洗は声を揃えた。
「要くんは“勝手にしろよ”と」
「待て待て待て、それって約束っていうのか?」
「ええ、僕にとっては大切な約束です」
楠田と御手洗は顔を見合わせた。
「っつーかさ、それアイツは約束って思ってないんじゃねーか?」
約束だと思われていない──国都はそんな絶望的な言葉は耳に入れずあの夏を思い出していた。あの夏に見た彼らはまっすぐ甲子園を見据えているように見えていた。それならば一体彼らはなぜ
「やっぱ俺の言葉はフツーに無視されるんだな」
プリン先輩の声に国都は我に返った。
「申し訳ありません、つい考えごとを」
「いや、いいんだけどさ。そんならアイツらに連絡先でも渡しといてやろうか。電話番号でもメモしてくれたら渡してやるぜ」
「そんな……」
清峰葉流火と要圭は野球のライバルではあるが敵ではない。あの日約束をした彼らがどこを目指していたのか、今の彼らが何を目指しているのか。直接聞くことができれば僕の気は晴れるだろうか。
「いーんだよいーんだよ、俺たちって優しい先輩だからな。お前もそう思うだろ?」
お前もそう思うだろと同意を促されたことなど完全に無視して、国都はバッグに持ち歩いているメモ帳を探した。
「俺の声は国都には聞こえないのかな」
愛用の万年筆も取り出し、メモ帳に電話番号を書き始めた。
「オマエ、万年筆使ってんのかよ!」
楠田の声など何も入ってこないまま電話番号を書こうとして、国都は手を止めた。彼らは友達ではない。彼らに会うのは球場だけでいい。いつかライバルだと認められて肩を並べるその日まで。
「無視っぷりが清々しいな、おい」
プリンの声に国都は我に返った。
「申し訳ありません、つい考えごとを」
「いやもう、どうでもいいんだけどさ。メモ渡さなくていいのか」
国都はメモと万年筆をバッグに戻した。
「はい結構です。せっかくのお申し出なのに申し訳ありません」
「いや、俺たちは構わねぇんだけど……って、何だ? いきなり曇ってきたな」
楠田と御手洗が見上げると山が動いていた。その山が影を作っていた。
「何だよあれ」
「陽ノ本さん!僕の先輩です、はぐれてしまった僕を探してくれてるんです」
「テニスの王子様かよ」
「本日はありがとうございました。また対戦するときはよろしくお願いします」
国都は最初と同様に折り目正しく挨拶をして、山のふもとに向かって走って行った。走っていく背中を見送っていた二人には山が笑ったように見えた。
それを眺めていた楠田がつぶやいた。
「あれ日照権で訴えられねーの?」