第71回忘バワンドロライ「4」①
気がつくと俺は壁に囲まれていた。
全身でバットを振り額に汗を浮かべてグラウンドを駆け回っていた俺は、いつの間にか袋小路に走り込んでいた。振り向くと今通って来たはずの道も壁になっていて俺は四方を壁に囲まれていた。ベッド1つ分ほどの小さな空間。閉じ込められたのだから俺はどこにも動けない。見上げると四角く切り取られた空があった。どこにも行けないこの空間を俺はうれしく思った。そこは俺が望んでいた場所だった。誰もいない小さな空間で、一人で音楽を聴いて時々紅茶を淹れた。初めて淹れた紅茶は蒸らし時間がわからず、ひとくち飲むとあまりの苦さにすぐに吐き出した。その日から紅茶について勉強を始めた。すぐに美味しい淹れ方も紅茶の種類も覚えた。研究して分析して蓄積していくのは得意だ。何かに取り組んでいる間は他のことを考えずに済む、考えたいことも考えたくないことも。ここにいれば誰と比べることもない、俺は俺でいられる。最近覚えた音楽と紅茶が好きな俺で。
今思い出しても、俺はあの頃も学校に行き受験の空気の中でクラスメートとも会話をしていたはずなのに、ずっとあの小さな部屋にいたような気がする。いつの間にか、同じチームにいた先輩たちは引退していた。引退という言葉が寂しいのなら卒業と言い換えてもいい、どちらにしても新たな門出を祝ってもらえる。
引退も卒業もせずただ辞めただけの俺はどこにも行けなかった。引退も卒業もしていない俺はその小さな部屋から出ることもできず、小さく切り取られた空を見上げて音楽を聴き紅茶を飲み続けた。四方を囲まれながら聴く音楽。これはこれで四面楚歌じゃないか。本来の意味ではないが、のっぴきならない状態だという意味では同じようなもんだ。俺にとっちゃ四面楚歌だ。四面楚歌の状態で音楽を聴き紅茶を飲んで小さな空を見上げていた、ずっと。
永遠に続くと思っていた毎日も、環境が変われば変化するものだ。ずっとそこにあると思っていた壁がいつの間にか少しずつ消えていった。
入学した高校で金属バットの快音を耳にしてしまったとき、フェンス越しにあのバッテリーを見つけてしまったとき、チームメイトになった彼の家で薄いカルピスを飲みながら十数ヶ月ぶりに声を出して笑ってしまったとき、怪物だと思っていた彼らが思いがけず不器用で親近感と好感を持ったとき。いつの間にか少しずつ。
最後に大きな壁が残った。
シニアの頃から見てきた馴染みのある大きな壁だ。
この壁はずっと、俺の前にある。俺はこの壁から逃れられない、ずっと付き合っていく壁なのだ。どうしようもない、仕方ねーなと背中でその壁にもたれかかったとき、固かったはずの壁に優しく身体を包まれた。
壁はそのままゆっくりと倒れた。
仰向けに倒れた目の前には空が広がっていた。
どこまでも青い空が