第77回忘バワンドロライ「1」

 夏が終わると高校野球は3年生が引退し世代交代となる。
 春の甲子園を目指す秋季大会とは別に、地域ごとの大会も行われる。
 西東京でも夏の公式戦上位4チームで行われる「西東京交流戦」が開催される。「人数が足りない」というベスト4とは思えない理由で都立小手指高校は大会を辞退し、その日は観戦することになった。
 夏の甲子園をかけて戦いあったチーム同士である。グラウンド外では個々の交流が行われていた。
「陽ノ本また背が伸びたんじゃないか」
「千石!千石じゃないか、千石、千石だろ千石!」
「久我おまえホームランすごかったな」
「千石! 千石千石ぅううう!!」
「小里どうした人相が悪いぞ、親の仇でもいるのか」
「千石さん! 千石さんですか千石さん!!」

「おう国都」
「巻田君! 久しぶりだね、また戦えることを嬉しく思うよ」
「ああ。今度こそ俺が1番だからな」

 国都と巻田の噛み合わない会話を、小手指の二遊間が聞いていた。
「何が1番なんだろうな」
「神経の図太さじゃないですか」

 国都が答えている。
「そうなのか。氷河高校のエースは桐島さんから巻田君になったのかい?」
「いやまだだ……だが、もうすぐだ。氷河のエースに俺がなる」

 藤堂も千早も2人の会話に興味はないが聞こえてくるのだから仕方がない。
「“海賊王に俺はなる”みたいなこと言ってんぞ」
「心底どうでもいい話ですね」

「俺は毎日バナナを食べてるからな。だから俺が1番だ」
「僕もバナナは食べているんだ。バナナで僕も巻田君のような強靭な精神力を持てるようになるだろうか」
「きょ……きょじん? ジャイアンツ……?」
 国都の話す言葉は少しむずかしいと巻田は思う。そんな難しいことばかり考えてるからすぐに悩んだるするのだ。
「バナナは1本だろ、だから1番だ」

 バカのシンプルさに二遊間はある種の感動を覚えた。

「バナナはジュースにもなるしチップスにもなるし道に置いたら迷子になんねェし皮を踏んだらコケんだよ。コラボカフェでも外せねェだろ」
「ああ、そうだね。僕も小さい頃はお祭りでよくチョコバナナを買ってもらったよ。懐かしいな」
「あー、バナナチップスのチョコがけとかバレンタインでもらうよな」
「バレンタイン? 巻田君はバレンタインでチョコレートをプレゼントされるのかい?」
「そりゃ俺様は天才だからモテモテだろ。国都もたくさんもらってんだろ?」
「いや、僕は気持ちに応えることができない。だからチョコレートは受け取ったことがないんだ」

 巻田の「へー」というアホみたいな声が聞こえる。
「バナナチップスのチョコって義理チョコ以下だろ」
 だよな?と同意を求めるように藤堂が視線を向けると、千早は中指でメガネを押し上げたポーズのまま固まっていた。
 中学生の頃から大きな身体で断トツの運動神経を誇っていた藤堂は、バレンタインの日にはクラスの女子からたくさんの「義理チョコ」贈られていた。藤堂にとってバレンタインは祭りの1つだった。
 だが。
 藤堂は気づいた。
 ヤンキーのようなナリをしているが他人の機微がわかる心の持ち主である。気づいてしまった。

「千早はバレンタインチョコをもらったことがない」

 千早が盗塁を決めることができるのは足が速いという理由だけではない。ピッチャーの腕の動きや顔の角度、背中に走る緊張感を見逃さない繊細さを千早は持っている。
 だから気づいた。気づいてしまった。
「バレンタインチョコをもらったことがないとバレてしまった」
 だが藤堂の、他人の心の機微へのアンテナは尋常ではない。
「コイツ俺が気づいたことに気付いたな」
 千早も負けていない。
「俺が気づいたことに気づかれてしまった。こうなったら開き直って“バレンタインチョコはもらったことがない”と何とも思ってない感じで言うしかない」
 何気ない様子で「俺、もらったことないんですよ」と言おうと口を開きかけたとき
「千早じゃん!」
 アホそうな大きな声が聞こえた。
「観に来てたのかよ、声かけろよ。おい千早、国都ってバレンタインのチョコをもらったことねェんだってよ」
 不意打ちにうろたえる。
「……そ、そうなんですか。俺といっしょですね」
 さり気なさを装ってメガネを押し上げるのが精一杯だ。
「そうなのかい千早君。君もバレンタインチョコをもらったことがないんだね。僕もそうなんだ」
「千早おめぇチョコもらったことないんか」
「僕たちは野球しか知らない、音楽やファッションの趣味もない。気持ちに応えることはできない。千早君もそう思っているんだね」
 藤堂は、誠実で無神経な国都を唖然と眺めた。
「なぁ千早おめぇバレンタインもらったことないんか?」
「千早君はいつも何と言って断ってるんだい?」
 もうとっくに千早のライフはゼロだ。
「千早おまえモテねェんだな」
 トドメが刺された。

 すぐ近くで成り行きを見ていた桐島がお腹を抱えて笑いこけていた。
「1番やわメガネくん、1番やわ」
 桐島の笑いは止まらない。

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