第27回忘バワンドロライ「桐島秋斗」

「ねぇほら、あそこ桐島さんいる!」
「あれ?アンタ桐島さんファンだっけ?」
「野球してるとこは見たことないんだけどね、とりあえずカッコよすぎじゃん?」
「確かにカッコよすぎる。ピッチャーとは思えないスレンダーさだし、髮もサラサラだよね。シャンプーなに使ってんだろ」

ここ私立氷河高校は、全国大会で活躍するスポーツ科が有名だが、国公立大学を目指す特進コースや普通科もあり、文武両道をモットーとした自由な校風は受験生からも人気が高い。
その中でも野球部はこれまで何度も甲子園出場をしており強豪校として全国にその名を知られている。
その野球部の現在のエースが、先ほどの女子たちが騒いでいた桐島秋斗だ。

「桐島さんっていつも食堂に来てたっけ?」
「あんまり見ないよね、いたら絶対に目立つし見逃すはずないし」
「いつもは野球部って昼練じゃん?今日は休みかな」
「あ、桐島さんA定食だ。アタシも同じにしよっかなー」
「いやB定食も持ってるよ、友達のかな?」

隣を歩く友人らしき人物と笑いながら人混みをすり抜ける。
その両手にはトレイに乗った大盛りの定食が2つ。
空いてる席を見つけた桐島は2つのトレイを前に置いて交互に食べ始めた。

「うわ、桐島さんの昼ごはん大盛り定食2つなんだ」
「あのスレンダーな身体であの量だよ」
「スタミナいるもんねー」

聞こえない場所から熱い視線を送ってヒソヒソ話しているのは彼女たちだけではない。
その隣にいる3年生たちも、数人でテーブルに広げたプロレス雑誌を覗きこんでいる男子たちも、皆、横目で桐島の姿を追っている。
フェロモン漏らしながら涼しい顔でエグいスライダーを投げるエース。
誰が言ったか知らないが、そんなキャッチコピーまでつけられているのだ。

「でもさー先輩が言ってたんだけど、桐島さんってちょっと変わってるらしいよ」
「変わってるって?」
「会話が続かないんだって」
「会話が続かない?」
「よくわかんないだけど、話ができないんだってさ」
先輩に話を聞いたという女子生徒はよく知らないんだけどね、と言いラーメンをすする。
「何、マキオみたいな感じ?」
「マキオ…?あぁ、マキタね」
コロッケ定食を食べている女子生徒がニンジンを口に運びながら続ける。
「それはどう見てもタイプが違うんじゃない?」
「そうだよね!だって桐島さんって野球部なのに特進でしょ。超インテリじゃん?インテリ美人じゃん?」
クロワッサンのフルーツサンドを手にした女子生徒も興奮して話している。
「特進ってことはプロには行かないのかなー、でもスカウトも来てるって聞くよね」
「えーそうなんだ。大学に行くのかな、それともプロかな」

食堂のおばさんに「おおきにごちそうさま」と声をかけて廊下に出ようとした桐島を先ほどの女子生徒の1人が呼び止めた。
「あのっ、桐島さん。いつも応援してます」
突然声をかけられた桐島はまったく動じることなく「そらありがとう」とにっこりと微笑んだ。
桐島のその様子を遠くから見ていた生徒たちから「漏れてる」「あれがフェロモンか」「だだ漏れ…!」と感嘆のような声があがる。
そんな笑顔にすっかり飲まれてしまった女子生徒はうつむいて顔を真っ赤にしている。
「ほな、もう行ってええかな?」
桐島がその場を離れようとしたとき、女子生徒の叫ぶように振り絞った声が食堂に響いた。
「桐島さんって大学に行くんですか?!そ、それともプロ志望ですかっ?!」
ザワついていた食堂が波打ったように静かになった。
誰かの唾を飲む音も聞こえそうなぐらいだ。
うつむいたままの女子生徒は目の前に立つ桐島の気配が変わったのを感じた。
少し距離をおいて後ろに立っている女子生徒たちも顔色を失っている。
「怒られる…!」女子生徒が身構えたその時、
「もっと他の選択肢はないんかなァ」
頭の上から桐島の、のんきな声が聞こえた。冗談とも本気ともわからない物言いだ。
女子生徒が顔をあげるとあいかわらず笑顔のままだ。
だがその瞳には凄みがあった。
質問した女子生徒は答えるべき言葉を探して固まっている。
ヘビに睨まれたカエルがまともな対応をできるわけがない。
周りの生徒たちも固唾を飲んで成り行きを眺めている。
「えっと、えっ…桐島さん…シャンプーは何を使ってるんですかっ」
女子生徒は緊張のあまりなのかそんなどうでもいいことを口にした。
突拍子もない質問に少し桐島の表情がゆるんだ。
「トイレの水道蛇口に、レモン石鹸ぶら下がってるやん?」
「えっ?あっ…はい」
「アレ」
「え?」
「アレで洗てんねん」
桐島はそう言うと、ニッコリ笑って食堂から出ていった。

名門野球部でエースを張るということ。
そのプライドと誇り、覚悟。
16-17歳の肩にかかる重圧。
そんなところに他人が土足で入っていくことなど許されるはずがないのだ。
自分自身でも触れられない聖域さえ存在するのだから。


✳✳✳✳✳


桐島の姿が見えなくなったあとその場にへたりこんでしばらく動けなくなっていた女子生徒たちは、教室に戻るとクラスメートの野球部員に声をかけた。
「ねーねーマキオ、桐島さんって本当にトイレのレモン石鹸で髪の毛洗ってんの?」
マキオと呼ばれた男子生徒は驚いた顔を見せた。
「え?トイレの石鹸で?」
「マキオ、口開けすぎ」
「桐島さん本人が言ってたんだけど…」
「マジで?トイレで?!」
「マキオ、口開けっぱなし」
「…マジで?」
「だからアタシ達の方が聞いてんだけど…ってゆーかマキオ、口開きすぎ」

昼休みの終了を告げるベルが鳴る。
自分の席に戻ろうとする女子生徒に、マキオが声をかける。
「じゃああの人、毎日タオル持ってきて頭洗ってんのか?」
「いやアタシら知らないし!もういいし、さっきの話忘れて」
「トイレの石鹸…」
マキオの口は開いたままだ。

その日の夜、片付けを終えた巻田が寮の風呂に入ると、目を閉じてゆったり湯船につかっている桐島の姿があった。昼間にクラスの女子が言っていたことを思い出す。
そういえば桐島さんが頭を洗ってるところって見たことないんじゃねーか。アイツらが言ってたこと本当なんじゃねーか。

風呂場に備え付けのシャンプーとボディソープで手早く身体を洗い終えると、湯船に入り桐島の隣に近づいた。
「桐島さん…トイレで洗ってんッスか」
名前を呼ばれた桐島は片目だけ開けて巻田の顔をみた。
「巻田クンあいかわらずゴリラやな、ゴリラ未満やな」
そう言うとまた目を閉じた。
「未満てどういう意味っスか?!眠いんッスか?お風呂で寝たら死ぬって俺のばーちゃん言ってたッスよ!」
「巻田クン風呂場でそのデカい声は響くわー。考えごともできひんわ」
「考えごとって、なに考えてるんスか?」
「銭勘定」
「ゼニカンジョウ…なんか大人ッスね…」
「せやろ」

氷河高校エース桐島秋斗、食えない男である。

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