俺の家に聖火が一時的に安置されることになって半年が過ぎた
俺の家に人類の希望の象徴と会見で首相が称した聖火が運び込まれてから半年が過ぎたので、noteに記事を残してみようと思った。
はじめのうちこそ、物珍しさから友人が代わる代わる遊びに来てくれていたが、それも久しい。今ではたまにスルメを炙ったり、ホットサンドメーカーで調理するのに使うくらいだ。どうして一般人である俺の家がこんなことになったのかと言うと社会実験の一環らしい。
そう、聖火のある部屋は監視されている。
そもそも対象者は聖火と居住空間が別けられる用に2部屋以上の部屋に住む者、オリンピックチケットを購入しようと抽選に参加した者など色々あったらしいが、この監視付きの実験の賛同を得られず断られ続けていたようだ。日に2度の聖火の検温を行い、報告する義務まである。なお、オリンピックのチケットは外れたが、聖火は選抜された。日に2度の検温の説明を聞いた時聖火は別に手はかからないように思えた。日に2度の検温を行い報告をする、火力が弱まってれば指定された方法で強める、ただそれだけだ。しかし、いざ家に聖火を置いてみると意外と家を空けないって大変なんだなと思う場面が多々ある。「すいません、家に聖火があるんで……」こんな言葉で誘いを断る日が来ると思うか?俺は想像もしなかった。
断られ続けていると言われる職員がなんとなく可哀想に思えたのもあり、聖火を置くことを決意はしたが、あとからこの聖火安置の選抜は俺1人ではないことを知った。
その数10万世帯。
日本の世帯数を検索したら約5042万(2017年)らしいので500分の1と言われれば珍しい感じもするが10万世帯という数の大きさを思うと家を空けられないのがちょっと大変だし、やはり俺も断って良かったんじゃないかと思えた。こう考えると、ちょっとしたヒーローになれることに期待していた部分も大きかったんだなと思う。それが、知り合いに1人くらいは聖火安置プロジェクトが居るくらいの規模だと特に珍しくもないし、半年も経つと聖火安置プロジェクト自体が あぁ〜アレね、そっかまだやってるんだもんね、みたいな空気になって来ている。
最近では聖火商法も流行っているらしい。なんてことはない、燃え盛る聖火から少しだけ頂いた火種を勝手に売るのだ。もちろん見つかればすぐにその者の聖火は撤去されるし、規約違反で罰せられる。
何かに価値を見出すのは人それぞれだけど、欲しがる人居るのか、どうやって保存するつもりなんだろうと驚くが聖火商法が後を絶たないので需要はあるらしい。
うっすらとだが、もしかしたら聖火安置プロジェクトは一時的ではあるが一般家庭へ監視カメラを設置することが目的だったんじゃないかとも思い始めている。聖火を軸にした犯罪なども起こっており、ずるい事を考える人間や犯罪者は実際にあぶり出されている。
あと半年、聖火は俺の部屋で燃え続ける。