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瞬間、瞬く ―King & Prince LIVE TOUR 2023 ~ ピース ~ に寄せて

私は、「点」でしか書けません。

いきなり自分の話ですみません。
一連の出来事を体験したとき、あるいは体感したとき、その全体について語ることが出来ません。その出来事に於いて最も印象的な一点のみについて書く、そこに至るまでの道筋を書く、という書き方しかできません。
※前々回記事「君は幸せがよく似合うひと」はその好例です。

今から「ピース」のBlu-rayを観た感想を書きますが、結局これも「点」の書き方をします。ご了承ください。

「話をしようよ」というファンタジー

 今回別格で印象的だったのが「話をしようよ」です。
その印象の構成要素はいくつかあります。

そのうちのひとつが、演出。
Xをやっていると、ツアー中の段階でも既に演出の情報は入ってきます。
当然「話をしようよ」の演出についても。
初めて知った時、すごく驚きました。
円形のセンターステージで、れんかいが、回りながら、見つめ合って、歌う。


そんなうまい話があってたまるか。

絶対会場出た後変な鍋とか買わされる。

未公開株買わされる。


でもみんな、鍋買ってなかった…。
未公開株も買ってなかった…。
ただただ、良質なれんかいが垂れ流され、オタクの脳汁も垂れ流された…。

そして、私も、Blu-rayを観て無事脳汁垂れ流しました。

まぁそれは良くて(良くない)。
正直、ライブにおける「話をしようよ」の演出がそんな形式になろうとは、全くもって想像していませんでした。
ライブの後半、盛り上がりどころ泣き所で、二人が並んで正面を向いて歌い上げ、そして大サビ辺りで視線を交わしてアアアアれんかいれんかいれんかいワッショイワッショイする、
みたいなベタなのを想像してました。
いやぁ素人も素人でしたわ、ステージングについても、れんかいについても。

円形のセンターステージで回りながら歌う。
「僕らはここにいます。どこからでも見てください」
そんなメッセージでしょうか?
実際もう、シンプルに、れんかいという存在を見つめる時間でした。
おいおい、廉と俺で話をしようよやんけ。最高。
そうそうこういうのでいいんだよ、と孤独のグルメしちゃいましたね。

(真面目に書こうと思ってたのに、変な合いの手が勝手に入ってしまう…クソッ)

要するに、「れんかいの関係性」をそのまま見せる、という、この一年繰り返されてきた言葉が具現化されたステージングだな、と思いました。

夢のない言い方をしますが、コンサートで起きるすべてのことについて、私はエンターテイメントだと思っています。ですから、「話をしようよ」も、エンターテイメント。

大前提として、核として、れんかいの「親愛の情」というものが存在します。多分。きっと。
それを円形のステージでシンプルに見せる、という、エンターテイメント。


「親愛の情」を表現することの難しさ

私のnoteをよく読んで下さる方はご存じでしょう。
私が夫に、「バカデカ親愛の情」を抱いていることを。
なんかもう、お約束みたいになりつつありません?

でも、私の同僚はそんなこと知りません。
何なら、私の両親も義両親も知りません。
そんな話、人前で口頭でしないから。
ここで、noteで書くからこそ、謎に1000人くらいの人が、我ら夫婦の「親愛の情」を知っているという事態になっています。

要は、そこにある「親愛の情」は、他者が見える形にするのはとても難しい、ということです。
私も、夫について1万字以上費やしたからこそ、こうして伝わっているわけです。

話を戻しますが、「話をしようよ」でエンターテイメントの域に達するくらい、れんかいの「親愛の情」が会場中、そしてBlu-rayを観たすべての人に伝わった。
核として存在する、一個人永瀬廉と、一個人髙橋海人の間の、仄かな親愛の情が、「話をしようよ」という歌そのもの、歌い方、ポージング、目線、ライト、装置…諸々の演出により拡張され、具現化された訳です。
あのコンサートの運営・制作に関わったすべての人(含れんかい)の、丁寧な仕事の積み重ねによって、個人間の親愛の情が、何十万人もの心を動かすエンターテイメントになった、この事実に、心が震えましたし、彼らはプロフェッショナルだ、と思いました。

決して、「ビジネスれんかい」と言いたいわけではないのです。

彼らが、「こうすることがファンの喜びになる」「安心になる」ということを十分わかったうえで、個人間の、本来は彼らだけのものである「親愛の情」を、私たちに、垣間見せるどころか大きな光として、放出してくれた。

愛情とは、瞬間だと思います。
今ある愛情が、明日はどんな形になっているか分からない。
それは恋愛でも家族でも友人でもそう。

れんかいの、24歳同士(当時)のあの瞬間の「親愛の情」は、あの瞬間だけのもの。
そう考えれば、尚更に尊いものです。
この尊いは、オタク的「推しが尊い」でもありますが、本来の、シンプルな意味で尊いものだ、と思います。
その一瞬を、瞬間を、まばゆいステージにしてくれた。
私たちの心に深く深く刻まれ、目が眩むほどの瞬きを見せてくれた。

おこがましいけれど、たぶんそれは、彼らなりのファンへの「親愛の情」だったのではないか、と思うのです。

この、シンプルで普遍的でそして本来彼らだけのものである「親愛の情」を、大切に仕事を積み重ね、スポットライトを浴びて見せられるものへと拡張し、多くの人の心を照らすステージ。
そこに、今のKing & Princeが目指すものを見たような気がしました。

だから、「話をしようよ」が、私の中で一番強く輝いた「点」でした。

実はまだmaking観れてません。
観たらまたバカデカ感情溢れるかもしれませんので、その時は話をきいてください。


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