トレトレって200色あんねん
トレトレの何たるかを私はまだ知らない
トレトレこと、King&Prince 10thシングル「TraceTrace」。
めちゃくちゃ好きだ。
シングル曲で言ったら、私の中では「Lovin' you」と「TraceTrace」が双璧を成す、というくらい好きだ。
エレクトロなサウンド、抑えたAメロから、一瞬のエモーショナルさが光るBメロからサビへの展開。そしてまた無機質なAメロに収束していく。
この曲のセンターである永廉大先生の、ややウィスパーで清潔感のある歌声にとてもよくマッチしているところも好きだ。
えっ。歌詞は?
お前、トレトレの歌詞全然心に染み込ませてなくない?
ってことに気づいたんですよね一昨日。
トレトレ、音が良すぎて(あと断片的なフレーズも良すぎて)、曲全体の詞を全然正面から考えたことがなかったと。
あともう一点挙げるとするなら、永廉大先生主演ドラマ「新・信長公記」の主題歌であり、「戦国武将のクローン」と言う役柄と「TraceTrace」というタイトルがばっちりリンクしていて、なんとなくで曲の世界観が掴めてしまう、というのも要因だったと思う。
曲としてこの状態すごく正しいというか、「良い」と思うんですよ。
メロディと音がとても魅力的で、歌い手の声ともよくマッチしている。
深く考えずとも、印象的なフレーズが散りばめられていて、それにより世界観を大掴みで感じることができる。
でも!
大好きな曲だからこそ!
なんで好きなのか知りたいよね!!!
と言うことで、改めてちゃんとトレトレに向き合ってみようと思います。
多分キンプリ曲で2本の(2本の)指に入るほど難解なこの曲の詞に。
初手からアンミカ状態となる
ひとまず、曲と歌詞貼っときますね。
これ見てるのほぼほぼキンプリ担だと思いますけど。
歌詞を改めて読んでみてほしい。
わかりますか。
この、「知ってる言葉で書いてあるけどわからない」感じ。
音や声という要素を抜くと、すごく難解な歌詞なんですよね。
何がここまで難解にさせているかというと、
①時制の錯綜
②僕と君の関係性の不透明さ
だと思うんです。
私は曲の詞の考察(妄想)をする時、時制と人称をまず見て、登場人物の位置関係を把握するんですが、それが完全に封じられている。
たとえば時制については、「未来忘れて分からなくなったんだ」「未来思い出して今分かったんだ」という、あえて矛盾させたフレーズがサビの最も目立つ位置に配置されている。
それに伴って、僕と君との関係性の推測も非常にしづらい。
ただ単に「己と他者」という意味での君と僕だったらそこまで影響は無いけれども、TraceTraceというタイトルや、曲の制作背景を考えるとどうもそうシンプルでは無さそうだと。
むしろ僕と君は限りなくイコールに近いのではないか、と思いつつ、やっぱり時制が定まらないとその推測が難しいんですよね。
だから、トレトレってたぶん解釈を1つに収束させるの無理だな?と。
ここは開き直るしかないなと思ったわけです。
そこで出てきたのがタイトルの、
「トレトレって人の数だけ解釈あんねん」
「トレトレって200色あんねん」
というアンミカ姐さんスタイルです。
𝑯𝑨𝑷𝑷𝒀 𝑳𝑼𝑪𝑲𝒀 𝑳𝑶𝑽𝑬 𝑺𝑴𝑰𝑳𝑬 𝑷𝑬𝑨𝑪𝑬 𝑫𝑹𝑬𝑨𝑴.
今回の記事ではアンミカ式に、
「こんな解釈もあんねん」
「でも他の解釈もあんねん」
スタイルでいかせていただきます。
「新・信長公記」完全準拠説
ドラマ「新・信長公記」当て書きの曲として、完全にドラマの世界観や設定に準拠して解釈する。
たぶんこれがいちばんやりやすく、しっくりくると思います。
まず、この説における「僕」は当然信長な訳ですが、2人の僕が存在します。
1人目がtrace(クローン)元の、オリジナルの信長(1534~1582)。
2人目がtraceの信長(2005~)。
主体がこの2人で入れ替わると仮定すると、スッと解釈できるのです。
まず、1番は基本オリジナル目線で展開。
「僕らがいる今日に何を思っていただろう」の今日は、1534年以前。
「描きたい絵」は目標、つまり天下統一。
それが成されなかったので、「何を描けただろうか」は反語ですね。
〜できようか、いや〜できない、ってやつ。
「覚める」は夢から覚める=目標への挫折。
そして何者にもなれなかった結末の受容。
ここは、traceへのメッセージ。
嘘とは、「クローンであるtraceの持つ意志はオリジナルのコピーにしかすぎない」と、
そう思われても己を主張し、自分の未来を生きろというメッセージかと思います。
サビ前半はオリジナル目線。
「ここにいた」は、1534年にオリジナルの自分がいたこと。
「未来」はやはり目標:天下統一のこと。それを見失ってしまった。
そして次で視点が反転します。
僕=trace、になるのです。
「足跡のない場所」とは現代のこと。
突然違う時代に新生させられたので1534年〜2005年の足跡はありません。
あくまでオリジナルのある存在であるけれども、自分なりの今を描くことはできる。
そしてここでいう「僕ら」は、オリジナルとtraceのことではなく、「traceたち」、つまりクローンの戦国武将たちのことではないかと。
通常の人間であれば「足跡」残して行こう、となるところ、trace故に記録に残してはならない、だから刹那に消える「足音」を残す。
君の絵とは、オリジナルの生涯であり、ちょっと情緒の無い解釈だと肖像画。
これ以降、しばらくtrace目線が続きます。
Aメロはそれを念頭に置けば特に解釈不要かな。
ただ、「覚める」については、1番のオリジナル視点とは少し解釈が変わります。
1番では「夢(目標)から覚める」としましたが、
2番では「目覚める、自覚」に近い意味かと思います。
何を自覚するのか?自分がtraceである宿命、とかかなと。
ここは、traceからオリジナルへのメッセージ。
「見える望みの全てが嘘」とは、天下統一の夢が成らなかったこと。
そして自身はあくまでtraceと自覚しているので、語る言葉は君(オリジナル)のもの。
ここちょっと微妙です。
“another name”は、オリジナルが得られなかった「天下人」の称号かなぁと自信ないながらも解釈しました。
そして、“just undertake”と非常に受動的なのは、あくまでオリジナルという別個体の夢だからかな?
ここにいないこと、ドラマネタバレになりますが、traceが長く生きられない存在であるが故に、近く己がいなくなる未来を示唆している。
そしてtraceがいなくなろうと、オリジナルが生きたという事実は未来も語り継がれる。
trace自身は歴史から抹消されるだろうが、ここにいたという事実は確かに今ある、ただそれだけ。
そう解釈しました。
そしてこの次、トレトレ随一のパンチライン。
引き続き、視点はtrace目線。
頭の2行はこれまでの流れで何となくわかるのでスルーで。
「残らない軌跡の果てで ペン先突いて高く鳴らそうな」
前述の通り、traceの足跡は残らない。
足跡としての「軌跡」と、
trace自身が生まれた「奇跡」のダブルミーニングなんじゃないかと思います。
そして、これまで登場していた筆記具は「筆」でしたが、ここでは「ペン」。
そう、時代の遷移です。ここが現代であることの証明。
かつ、「ペン先突いて高く鳴らそうな」は、線をなぞる動作ではなく、
新たにかくときの動作ですね。
一筆書きを想像するとわかりやすいかと思います。
さらに言うと、筆が「描く」のに対して、ペンは「書く」筆記具。
つまり、曲が展開した先で、traceが己の言葉を持ち書き付け始める。
traceの自我の目覚めではないでしょうか。
「朝に触れた〜」以降の4行は、美しすぎる時制の連綿。
そしてこれまで錯綜し矛盾した時制が、ここでは朝昼夕夜、そして明日と綺麗に並んでいます。
自我の芽生えたtraceが生き、そしてまたそれが焼かれて、生まれたばかりのtraceへと戻る、その儚さの表現ではないかと思います。
そうだったらめっちゃ綺麗だし嬉しいな。
これ以降は繰り返しなので省略しますが、前段を踏まえると繰り返しであることに哀しみを感じますね。
己の運命に従順だったtraceが、オリジナルから「自分の未来を歩け」と背中を押され自我の萌芽が生じるも、やっぱりtraceに過ぎなくて、それでも今を自由に描きたいと願って。
所感
はい。既に燃え尽きております。
字数もだいぶ行きました。
本当なら、君僕同一人物説とか、パラレルワールド説とか、
「新・信長公記」から独立して、普通の人間、いち聞き手の私たちの人生に敷衍させるような解釈をしたいのですが。
シンプルに、もう疲れたので今回は一旦これで終わります。
「200色あるんちゃうん?」とアンミカ姐さんに叱られるかも。
でももう疲れたもん。
また今度でいいじゃん。
今度がいつなのか、そもそも次があるのか非常に怪しいですが、また「いけるな」と思った時にチャレンジしたいと思います。
では、