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“ひとり”だから、“ふたり”になれる_ナガチャン生誕日にKey of heartを想う

ちょっとだけお久しぶりです。
お久しぶり、とはいえ、月2本というのはnoteの書き方としてはまぁ標準的というか、常識の範囲内な気がします。
前の書きっぷりが異常だっただけで。でも、ひっそりと別々垢を作り、全然違うことを3~4日おき3,000字ペースで書いてはいるので、トータルで見たら同じレベルです。

それはさておき。
本日2024年1月23日、白米Kingこと永瀬廉様の25歳のお誕生日でございます。
誠におめでとうございます。そしてご誕生いただき感謝申し上げます。

12月からずっと書きたいことがあって、でも「何で今?」という、全然穏便なんだけど特にタイムリーさはない内容だったので、今じゃないかぁと寝かせてました。
しかしながら本日永瀬廉様のお誕生日がまさに書き時であると突然気づいてしまい、慌てて書いております。

書きたいこととは、タイトルの通りですが「Key of heart」について。
一旦、話を12月に戻させてください。

応援歌の適齢期って、ある。

12月中旬、我が家の庭は冬だというのに雑草で荒れに荒れていました。
それはもう、団地の景観を乱すレベルで。
いい加減何とかしたい。このデカすぎる花壇をぶっ潰す、そして雑草を封じる。
強い決意の下、計60㎏の石材と簡易セメントみたいなものを購入し(一人で荷積み・荷下ろしした)、素人的には本気の外構工事をしていました。
その時のお伴が、イヤホンで聴く「Key of heart」で。

永瀬廉様のセンター曲であり、「Key of heart」と言えば永瀬廉!と思っているのは多分私だけじゃないはず。
ちなみに、1番と2番の歌い出しが「長(なが)く続く」と「流(なが)れる汗と」と、“なが”始まりなのって、ナガチャンのセンター曲だからなのかしら…だとしたら可愛すぎる。

で、曲に全く罪はないけど、やっぱり所帯持ちの土木作業に、あの五月の青空のような、レモンの葉を摘んだ時の香りのようにさわやかな、希望に満ちた応援歌は合わないなって…。Key of heartちゃんも、30代の土木作業を後押しする心づもりはないかも。ごめんね。と思いました。

青春期には青春期の、ミドル世代にはミドル世代の応援歌があって、例えばミドル世代ならエレカシの「俺たちの明日」とかど真ん中でしょうね。
れんかいは24歳(2023年12月当時)の青年たちだし、まだまだこの青春のさわやかさを歌い上げられるよね、と思いました。

れんかいの人生の苦難と「Key of heart」

でも、ちょっと待って?
れんかいは24歳とはいえ、私の人生の3回分くらいの濃い人生を送っている。特にこの1年ちょっとの諸々は、人生の苦難そのもので。いやそれを抜きにしても、私の想像も及ばないような、沢山のキレイとキタナイに直面してきたかもしれない。

そんな彼らが、昨年11月の「テレビ朝日ドリームフェスティバル」で、「Key of heart」を初有観客披露したという。その事実に、じわじわと驚愕しました。

人生の苦難を経ても、老成の片鱗なく、キラキラに歌い上げたであろう「Key of heart」。アイドル自身の人生と、曲とのギャップを埋めるのは、やはりアイドルの魔法なのかな…。

そう思って、土木作業を終えました。
庭、今すごくきれいではないけど、まともです。

扉を開く「Key of heart」はひとつしかない

しかし、数日後私の考えはもう一度一転しました。そのきっかけが、まさに曲のメインテーマである

「あのトビラの鍵は 胸の中 光るKey of heart」

というフレーズ。
扉の鍵穴に合う鍵って、ひとつ(一種類)しかないよね、と気づいたんです。
言い方変えると、みんなが胸の中に持つそれぞれのKey of heartで、同じひとつの扉を開けることはできない。
自分の目の前の扉は、自分のKey of heartで開けるしかないのでは。

そう考えると、「Key of heart」の僕は、君の背中を押してくれて、鼓舞してくれて、想いを繋いではくれるけれど、君が扉を開けることに、Key of heartを見つけることに直接関わるわけじゃない。
君は、あくまで“ひとり”なのかもしれないと思いました。
ここで言う“ひとり”は、Only oneではなく、いつもお世話になっております劇団ひとりさんでもなく、“独り”。
悲しいことを言うようだけど、“孤独”の独です。

“ひとり”だから、“ふたり”になれる

「人は孤独、Key of heartはそれを感じさせる(個人の感想です)。」
そのことを思う時、私は、永瀬廉a.k.a 白米Kingがインタビューで、5人時代を回想して語った「家族みたいだけど、家族じゃなかった」という言葉を思い出します。

この言葉が、どれだけ本人の発言を正確に写し取ったものかは分からないけれど、もしかしたら相当要約されているかもしれないけど、そして彼の真意は分からないけど、私はこの言葉をネガティブに捉えていない、もっと言うとポジティブなものとして受け止めています。

なぜなら、青年期に自分と他者の境界を明確に知り、人は“ひとり”であるという気づきに至ることは、とても重要で必要なことだと思っているから。ひとつの成長であると思っているから。

私は、体制変更を経た今のれんかいに“ひとり”を感じます。でもそれは、孤独の独の“独り”ではなく、独立の独の“独り”であると。

そりゃあ、めりこんだり、「俺たちって何で違う苗字なんだろう」とか「俺の全部を廉にあげる」とかいうとんでもねぇ発言の数々はありますが…。これはじゃれ合いみたいなもので、さすがに芯から言ってないだろう、え、言ってないよね。言ってたら嬉しさと若干の恐怖で心忙しくなるけど。と思ってます。

二人の性格の違いや役割分担をはっきり認識している様子、それでいて互いを補い合い支え合う(『ふりかえる』でも感じました)様子から、独立した大人同士の、互いを尊重する関係性を感じます(個人の感想です)。

※個人の感想ですっていちいち書いてますが、基本的にこの文章の、そして私が書く文章の全てが個人の感想に過ぎないので!
そこご承知おきください!

「Key of heart」は、今のれんかいだからこそより輝く

「Key of heart」は、人は“ひとり”だけど、だからこそ僕は君の輝く背中を見ることができるし、それぞれの思いを繋ぐことができるし、絆が生まれる、と思わせてくれる。

そんな曲を、独立したひとり同士の「ふたり」で居られる今のれんかいは、King&Princeは、もっともっと輝かせることができる。曲の持つ力をさらに引き出せるんじゃないかと、そう思います。

アイドルって何だろう、ということも、最近よく考えます。その構成要素の中には、キラキラと自身を輝かせる奇跡のような力と、本人のキャラクター性や物語と作品が強く結びついていること、が含まれていると、私は思っています。

今彼らのパフォーマンスするKey of heartには、きっとそれらの魅力が詰まっていて、これこそがアイドルと思わせてくれる力があるんじゃないか、そう期待しながら、「ドリフェス」のダイジェストの放送を楽しみにしています。

え、これでKey of heartカットされてたら泣きますけど。


改めて、永瀬廉様、お誕生日おめでとうございます。
生まれてきてくれて、アイドルになってくれて、アイドルを続けてくれてありがとうございます!
沢山の幸せがこれからの人生にも降り注ぎますように!

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