黛灰の物語は二次創作に問いをかけている
ども
黛のアルタの映像見ましたか?
私はこの映像を見て。
「黛は私たちに問いを投げかけている。」と感じました
黛はなにに問いをかけているのかそれを今から解説していきます。
そもそもの原因
こうなった原因といえば私たちが未来を決めたからだろう。
私たちの勝手な判断で大事な師匠を消した、しかも黛のためだと思い込んで。
後方腕組彼氏面野郎から黛を守ろうとした結果自分たちが後方腕組彼氏面野郎になっていた、ってわけだ
この配信のliveコメントで「黛の未来はお前が決めるものじゃない、自分で決めるものだ!」みたいなコメントしてた人が気がするが結果的に本人が決めるべきである黛の未来を決めているのだから笑えない。
だがリスナーが自由にキャラを描けるのが二次創作コンテンツだ、そういう視点で考えればこの行動も悪ではないのかもしれない。
だが私には黛が二次創作という「概念」そのものに問いをかけているように見える。
二次創作への問い
この物語最大の問いがこれだろう
結論から言うと黛はおそらく「二次創作での過度なストーリーや設定などに、問いを投げかけている」のだと思う。
この説明だけだと「は?」ってなった人がいると思うので説明をすると。
まず二次創作という性質上本家にはない設定などが追加されることがあると思うのだが。
たまに過度な設定やストーリーがあると思う、例を出すのは少し申し訳ないが東方の二次創作などがいい例だと思う。
東方の二次創作の茶番などを見ているといろんな設定がある。
「親を昔に無くして親戚の家をたらい回しにされた」
「親に虐待を受けていた」
「昔に人を〇した」
などほかにもいろんな設定がある。
だがこういったものをVTuberでやるとどうなるか。
Vtuberはもちろん中に人がいる、もし自分の二次創作を見て、「この設定いやだな」って思ったりすることもあるのではないだろうか?。
自分の知らないところで自分が好きなように書かれる、書く側は楽しいかもしれないが、書かれる側からしたらいやなこともあるのではないだろうか。
それに二次創作のオリジナル設定を本家設定だと思い込む人も中にはいる。
そういった人がコメント欄で二次創作の設定の話を持ち出したらどうなるだろうか。
少なくともいい気分はしないと思う。
このように二次創作にも守らなければいけないラインがある、だがそういったラインを超えた作品に対して、「なんでお前の想像で俺の「未来」を書かれなきゃいけないの?」という問いを問いかけているのだと私は思う。
ここまで書いておいてあれだが自分は二次創作を悪いとは思わない、むしろ二次創作は大好きだ。
だが二次創作と銘打って過度な設定やストーリーを付け足すのはどうなのかと私は思う。
最後に
長ったらしくだらだら考察を書いたがこの物語はおそらく7月1日にどうなるかわかると思う。
物語の顛末を一緒に見届けましょう。
そしてもしまた黛の未来を私たちが決める場面がきたときは、黛の意思を尊重しましょう。
なぜなら
「選択をしない事が選べるのは。選択を与えられた君たちだけだ。黛灰の配信より」