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魔法使いになれなかった女の子の話。「現代魔法」と「古代魔法」の話。
11/24 生
今日は蓮3rdのドルケの日。これから板橋のライブビューイングへーー。
魔法使いになれなかった女の子の話
かつて魔法使いに助けられた少女クルミ=ミライは、自分も魔法使いになるべく魔法の名門校・レットラン魔法学校に進学する。魔法使いになるには、この学校の国家魔法師養成専門学科(通称・マ組)へ入らなければならない。クルミは模試では優秀だったのだが、本番の試験では認められず普通科1組へ。夢を諦めかけていたクルミの前に、幼い少女の姿をした教師ミナミ=スズキが現れ、1組全員を魔法使いにすると宣言する。クルミの夢が再び動き始めた。
このアニメ、かなりテンポが好みだ。ユズ様が萌え萌え。
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「現代魔法」と「古代魔法」
作中、魔法を使うには「魔法手帳」と呼ばれるデバイスを介する「現代魔法」の常識となっている。マ組以外の生徒には魔法手帳が配られることはないが、魔法手帳いらずの「古代魔法」の存在を知ったクルミはもう少しだけ夢を見ようと希望を抱きはじめた。
そしてこの現代魔法と古代魔法の対比が、ありきたりではあるのだろうが好きだった。古代魔法は基礎科学に重きを置かれた理論展開が1話からされており、4話で確実なものとなっている。
「(じゃがいもとさつまいもには)大きな違いがあります。それはなんでしょう?」
「食べている場所が違います。じゃがいもは茎、さつまいもは根っこです」
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事象を記号で説明するという話で幾何学が出てきたが、作物は自然科学/生物学に関連するものとなっている。
物事の真理を探求した上で、扱うことができるというのは、こういった魔法モノでは鉄板だと思う。鋼の錬金術師とかが近いんじゃないかな(アレは錬金術だろ!)
対して、マ組が使用している「魔法手帳」ではドローネと呼ばれる魔法の飛行具を利用して「飛ぶ練習」を行っている。また、その際に生徒に「それぞれの魔法手帳に初級魔法陣を解放される」ことで使える資格を得ると説明されていた。
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魔素の影響でドローネが使えないことを把握していない彼らを見てみても、やはり原理を理解している生徒は一般的でないことが考えられる。
マ組の生徒が行っているのは、すでにある技術を活用するカリキュラムであり、一種の実用性のために確立されたルールの下で学んでいる。
国家魔法師として国の発展のために培われた技術であるならば、それは一種の応用科学として捉えることもできるかもしれない。
「マ組」と「普通科(ミナミ=スズキ)」の教えの根本は異なる思想であり、明確に対立しているわけだ。
では、古代魔法のように万物を理解を深める魔法が素晴らしいかというと、一概にそうと言えないというのも明らかにされている。
「誰でも魔法使いになれる」という言葉は初めからしつこく言われている古代魔法の考えではあるが、7話でクルミ=ミライは「誰よりも魔法使いになるべくとされている」と評される。
昔は誰もが魔法使いだったという言葉とは裏腹に、素質の絶対性も明らかにされてしまっているわけだ。古代魔法をもって、誰でも等しく魔法使いになれるのならば、魔法に愛される人間という言葉は生まれ得ないため、古代魔法には少なくとも素質が関連していることがわかる。
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7話になって普通科の生徒で古代魔法をしっかりと発動できたのはユズ=エーデルのみ。レットラン魔法学校は相当の進学校であり、普通科といえどみな優秀で勉強のできる子が集まっているはずなのにだ。
ミナミ先生の教えを考えるに、古代魔法はただ魔法陣をなぞるだけで発動できるものではない。発動者による事象の理解と記号化が不可欠である。
対してマ組の生徒は2話の時点で空を飛び回っている。これだけ見れば、魔法手帳によって手助けられた「マ組」のほうこそ「誰もが魔法が使える状態」に近いはずだ。
基礎科学と応用科学のどちらも我々人間にとって不可欠なものである。
本作も決してマ組を下げることはなく、可能性として普通科の生徒へ古代魔法を教えている。
夢のために必要な学びとは
普通科にいる生徒の多くは魔法使いではない夢を持っている。マキはダンサー、アスカはファッショニスタ、ドクはオペラ歌手。アスカなんかはわざとマ組を落ちて「普通科」へ入学したという話まである。
そんな彼らは期末試験については「あなたの描きたい魔法陣」を描く試験が出される。ミナミ先生がまたふざけたことを…と一部生徒は呆れていたが、彼女は学問を通していつだって彼らに思考と試行を投げかけている。
誰もが魔法使いであるという可能性を示しつつも、彼女は決して魔法使いに縛っているわけではない。ミナミ先生の指導の先には、物事への探究心と試行を推奨している。「しっかり事象と向き合いましょう」と「何度も試しましょう」である。
マ組のように国家魔法師という"資格"を目指すのであれば現代魔法の演習に間違いはない。しかし、まだ何にでもなれる「普通科」の生徒へ、古代魔法を通して世界の真理探求を行う仕草がとても好みだった。
ユズが好意を示している(羨ましい!)キョウ=クルマルはマ組主席として華々しい人間であると同時に、明確な夢として魔法使いがあったわけでなかったことも明かされた。この思いを引き出したのは普通科の生徒とのコミュニケーションであるのを忘れてはならない。
学生ならではの全能感と無力感は両立する。この不安定な気持ちに悩む彼女らを魔法という美しい技で前向きに描きつつ、その実、子供達を導くのは思考と試行という地道なものという描写も印象に残る。
なんにでも「正解」を見つけたがる現代に対するパンチラインとして気持ちが良いアニメですね。
終わり
クルミ=ミライの名前もかなり示唆的だ。彼女は未来を冠しておきながらもまだ殻の中にいる。彼女が殻を破って、「夢」へ向かって空高く飛び立つ姿を楽しみにしようと思う。
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悍ましかったですね。
以上!
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©「まほなれ」製作委員会