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のあじの思い入れが強い/影響された作品群(漫画編)

はじめに

表題の記事を書くきっかけは、某先輩が書いた某記事になる。
特に影響を受けた部分についてを引用していく。

Twitterとかでいろんな人が意見を発信しているのを見るけど、だいたい根拠に乏しかったり思考が飛躍してたりしてて、それがなぜかを考えたときに、他者から見たら欠けているように感じるその部分は、本人の中では自分の経験や過去のインプットで論理を繋いでいるんじゃないのか、と思った。

ざわじろうの思い入れが強い/影響された作品(漫画編)

twitterは散発的な自己表現の場であり、人は自分の経験や過去のインプットで論理を繋いでいるという推論から、ならば「個人の文脈」は重要視した方がいいのでは、と続いていく。

特に個人の持つ文脈という部分に共感した。
私の文脈(ルーツ)を分析・開示するために書いていくので、気が向いたらお付き合い願いたい。

難しくごちゃごちゃ書いたが、まあようは自分を知ってもらうために私の好きな漫画の事をつらつら語っていく、ってことだ。
自己紹介に触れる感覚で読み進めてもらえるとありがたい。

※作品の順番は自分が触れた時系列に沿っていく

こちら葛飾区亀有公園前派出所

作者:秋元治/掲載誌:週刊少年ジャンプ/巻数:全201巻
触れていた時期:小学低学年~高学年ごろ(2003年-2008年ごろ)

週刊少年ジャンプにおいて1976年から2016年まで連載された少年漫画。
警察官の両津勘吉が同僚だったり町の住民とともに繰り広げられていくギャグが大好きだった。
家族が当時の漫画をほぼ揃えていたために、小学生の頃は学校から帰ってきたらずっとこち亀ばかり読んでた。キャッチーなギャグもさることながら、サブカルなジャンルに明るくなり知識欲も満たされる。

私は両津勘吉がすごい好きだ。彼は私利私欲の権化だけど、同時に人情溢れる人間である。

「両津が騒ぎを起こして、同僚の圭一と麗子などがなだめつつも、上司の大原がブチ切れてオチ」という基本スタンスがある。勧善懲悪でありつつ、逆らって私の好きなエピソードの場合は両津が善であることも多い。

指折りで好きな話は158巻の「嗚呼!我が青春電車の巻」
両津は上司の大原へ妻との思い出の電車と同型の電車を誕生日に送る。するとまさにその1両こそが出会いの電車であることが判明する。
プレゼントされたことで奥さんとの出会いを鮮明に思い出すという粋な話が心に残っている。
だらしない両津と気難しい大原は普段は不仲で描かれるが、その間に絆を感じられる描写はとても嬉しかったし、たった数話で人間の善意な部分によって生まれる幸福な循環を描いてる部分に惹かれていた。
両津の純粋な人情と起こす奇跡に希望を抱いていたと思う。

夜桜四重奏

作者:ヤスダスズヒト/掲載誌:月刊少年シリウス/巻数:既刊29巻
触れていた時期:小学高学年ごろ〜(2008年-)

人間と妖怪が共存する町「桜新町」を舞台として、秋名とヒメを中心とした比泉生活相談事務所のメンバーたちが町で起こる様々な事件を解決していくハートフルな作品。
妖怪と人間が共生することで生まれる様々な問題に対して人(妖怪)と人(妖怪)の価値観がぶつかりあいながら前進していく様に痺れる。

主人公たちは人間と妖怪の共生を目指しているが、敵側は妖怪は自らの住む場所へ帰るべきという考えを持っている。
どちらが間違っているのではなくどちらにも正しさがある。
その中でも突き進んでいくのは信念であって、それを貫き通す姿に憧れていた。
そんな信念は2巻の秋名と恭助の喧嘩のシーンからずっと変わらず描かれている。善と善のぶつかり合うことが決して悪く描かれていないし、自らを貫くことを後押しされるような感覚は考え方の1つの指針となっている。
あと、ホントに七海アオさんが可愛い。小学生の頃からの片思い。憧れのお姉さんのはずだったのに気づいたら年下になっていた。苦しい。

スパイラル ~推理の絆~ 

原作:城平京/画:水野英多/月刊少年ガンガン/全15巻
触れていた時期:小学高学年~中学生ごろ(2008年-2012年)

凶悪事件に対し天才警部の弟「鳴海歩」が解決していく推理漫画だったのは2巻頃まで、アチアチの頭脳系バトル漫画だ。

作中では「ブレードチルドレン」と呼ばれる子どもたちが出てくる。
その中で最年長の浅月香介の生き様が大好きだった。
(子供といっても高校生になる)
特に表れていたのは外伝、スパイラル・アライヴだったのだけど、
浅月は他の子どもたちを守るためにしばしば度がすぎた自己犠牲をするシーンが目立つ。
自分を守れないような人間が自分以外のために身を張るのは不相応な見栄っ張り。それでもその姿から底なしの力みたいなものを感じていて、彼に憧れていたように思う。

あと竹内理緒(右)さんが好きです。
12巻の裏表紙は子供の教育には悪いと思うんですよね。
私のスパイラル12巻はお風呂に落としたせいでしわくちゃになっているので、ネットからクソ画質悪いやつを持ってきた。

魔法少女リリカルなのは MOVIE 1st THE COMICS  

画:長谷川光司 原作:都築真紀/掲載誌:ノーラコミックス/巻数:全2巻
触れていた時期:中学2年ごろ~(2012年-) 

映画「魔法少女リリカルなのは MOVIE 1st」のコミカライズ。
主人公の高町なのははフェイトテスタロッサと出会い、2人がジュエルシードという魔法の石を巡って衝突する。そんな2人が友達になるまでを描いた物語が映画本編だ。

その映画の内容はコミックスに収録されていなくて、映画の余白について描かれている。
特に私はこの漫画の中でも高町なのはの「過去の話」に強く思い入れがある。

可愛いだけと思っていた少女にこんな深みがあったのかという衝撃を受けたことを強く覚えている。

高町なのはは父が大怪我をしたことで、孤独な幼少期を過ごしている。母、兄や姉はケーキ屋の経営と父親の看病に追われていて、その際に彼女は何もできなかった。
そんな高町なのはが魔法の杖を握ったのが映画本編だ。孤独だった少女は孤独の最中にいるフェイトへ、何も掴めないほど小さな手から少しだけ大きくなった手を伸ばす。
この彼女の過去の話はTVアニメで映像化されてこなかった。

たとえ創作物だろうとキャラクターには意思があって、そいつらは向こうで生きているんだと考えるようになったきっかけは高町なのはだった。

「自分に誰かを助けられる力があって、目の前で困っている人がいたら助けてあげなさい、ってお父さんの教えなの」
そういったって自己犠牲を厭わないのは難しい。
高町なのはの生き様に憧れるからこそ彼女のことが大好きなんだと思う。

リリなのについてはアニメも好きだし二次創作にも多く触れた作品のため、厳密にコミックスだけでの評価は難しいところだけど、なのはに受け取ったものがデカすぎるので、まあ書いておきましょう。

総括だったり

最近、私はコンテンツを抽象的に捉えようとする考えを持ちはじめたことに気づいた。この記事でもその嫌いが散見されるので少し後悔している。
体験をそのまま記した方がルーツを辿るということには自然で良いはずだ。
できるだけ実感に即した事実を書こうと心がけたが、現在の私のフィルターが通されてこの記事はできている。
どうやら「自己犠牲の精神」について深く影響を受けているのを感じられたのは良かった。
他人の幸せのための自己犠牲をするほど崇高ではないが、自分の幸せのための自己犠牲なんかには覚えがある。(ココロコネクトの八重樫太一さんなんかに惹かれるのはわかりやすいな)
あとこれは、たしかにかわいそうなティーン美少女の精神にも通じている。
そんなこんなを発見して、満足なのでこの記事は締めに入る。

「思い入れが強い/影響された作品群」について、
元記事の文脈は「読者への文脈の提示」だったけど、意外と自己のルーツを辿る行為そのものが興味深かった。
そもそも、自己の歴史とその分析には正解がないので、ある程度軽率なことも大事かもしれない。
(私の当記事の下書き作成日時は2020年2月だった。ウケる)

最後になるがお世話になった漫画のAmazonリンクを貼っておくので興味があればのぞいてみてほしい。
あとやっぱりフォロワー・ツイッタラー各位の文脈も気になってきた。
開示してくれたりすると私が嬉しい。

次はアニメ編かゲーム編か小説編か、そもそも続くかもわからんがそんときはよろしく頼んます。

以上


こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 (ジャンプコミックス)

夜桜四重奏~ヨザクラカルテット~(1) (シリウスKC)

スパイラル 1―推理の絆 (ガンガンコミック)

魔法少女リリカルなのはMOVIE1st THE COMICS 1 (ノーラコミックス) 

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