数年前のもがき(3)

沖縄に降り立ち、空港を出たら、那覇市内を走るモノレール乗り場があった。
沖縄には知人もいないし、土地勘は全くない。まさに未知の領域だ。行き先不明のまま、モノレールに乗った。3日間以上同じ服を着ていたから、臭気がするのか、私の周りには人は寄り付かなかった。高校生数人は明らかに私を避けていたし。実際に匂いがどうとか言っていた気がする。服装や見た目は我慢できるが、匂いは我慢できないみたいな話が聞こえてきた。
モノレールにのった時間は確か夕方か、少しずつ日が暮れはじめた頃だったように思う。
行き先を決めるためにモノレールの路線図やそこの駅にどんなものがあるかが書いてある路面図を見たような気もするが、記憶は曖昧だ。
とりあえずはまだお金があったので、ネットカフェに泊まろうと、ケータイで最寄りのネカフェを検索したのだったかな。
それである駅で降りて、あたりが暗くなる中、ネットカフェを目指した。沖縄にも私がその時よくお世話になっていた自由空間とか言うの名前のネカフェがあり、そこに泊まった。
部屋ではまたBLACK LAGOONをみながら、おにぎりとそばのセットを注文した。そしたらそばが福岡のものとは全く違うもので驚いた。
麺は縮れ麺で少し平べったく透き通るような色のスープ。
それがいわゆる沖縄そばだというものだということに気がつくのはもうちょっとあとだった。とりあえず、その時のおにぎりと蕎麦の組み合わせが良くて、その後も何度か注文したのを覚えている。

朝を迎えて、とりあえずはショッピングモールがあるところを目指して、またモノレールに乗った。
その頃にはもう、沖縄からどこに帰ることもないと思い始めていた。
私が勤めていた老人ホームは病気休職中だったが、もう帰るつもりはなかったので、不謹慎だが、沖縄のショッピングコートのフードコートで、白い紙を100均で買って、退職届を書き始めた。もう常識がないにも程がある行為だが、私自身はいたく真剣だった。あーこんなこと書いたら頭が絶望的に悪いことがわかるねw
ネカフェで退職届の書き方とか検索して書式を確認して書いたのを覚えている。

あと母親にももう戻らない的な内容の手紙を書いたんだった。

ショッピングモールではとりあえず残りの少ないお金で服を買おうとした。安くて着れれば何でも良かった。
沖縄には冬はないものだと思っていたが、2月の沖縄はそれなりに寒くて長袖シャツを買ったのを覚えている。
着替えて、それまで来ていた服は、コインランドリーを見つけて洗って乾かした。
沖縄に渡ってもなかなか野宿生活ができなかった私は、やはりネカフェを転々としていた。
昼間は野宿している人がいそうな公園にいったり、実際にネカフェで調べて炊き出しとかやってる団体が活動をたまにしている公園にも足を運んだ覚えがある。
そしてまた夜は夜間パックが安そうなネカフェを探して歩き回っていた。
沖縄のあるネカフェに泊まったときだが、明らかにネカフェ難民だと思われる人たちがいた。その人たちがシャワー浴びたり、どこかへ行くときは仲間と思われる人に部屋の防犯を任せていた。
そんな会話が聞こえてきてた。浅黒い肌の男たちが数名いた。日雇いで土方か何かやりながら、ネカフェが根城になってる人たちなんだろうと思った。。

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