心臓がヒクヒクしていた。まるでそれだけが生きている証のような気がした。それはとてもか弱く波打っていた。
私は必死に胸を擦っていた。薬で眠れない中で。
私はあのとき、死ぬつもりだった。
だが心臓が保たなくなりそうなときに死ぬ事が怖いのだということに気づいた。
それで、もう死ねないのなら孤独に生きるしかないと思った。
それなら世捨て人、ホームレスみたいに生きようと思った。
そう気づいたのは家を出て何日目だったか・・・
私はカフェインで丸2日間眠れず、充血した目で福岡市内を歩いていた。
シャワーはネットカフェで浴びていたが、着替えは持っていなくて、ずっと同じ服を着ていた。
充血した目とボサッとした髪、無精髭を生やして、天神の街を歩いていたら、前を歩いていた女性が振り返って、なにか呟き、怪訝な表情でこちらを見たのを覚えている。なにか、汚物を見るような目だった。あればいい経験だった。
私は孤独と絶望感のなかにありながら、福岡市内のネットカフェを転々とした。たぶん3日間くらいだと思う。あのときネカフェで何か映像を色々と流して見てたが、うる覚えだ。
覚えているのはMETALLICAのジ・アンフォーギヴン(許されざるもの)という曲やナイン・インチ・ネイルズのhurt(個人的に究極のダウナーソング)やあとはBLACK LAGOONってアニメを見てたな。
BLACK LAGOONは今もたまに見るが、日本社会から投げ出されて、ロアナプラというアジアの架空の街で一介の運び屋風情になって「時にはイリーガルな仕事もやる」という生き方を選んだ主人公の孤独さと自分を重ねていたのかもしれない。
これからどう生きるか、本当にホームレスとして生きるか、頭の中を色んなものがぐるぐると回りながら、夜はネカフェ、昼間は福岡の街を歩いたり公園で寝ようとしてみたりしていた。だが、2月の福岡は流石に野宿するのはやばいなと思って、それなら凍死することがない沖縄に行けば良いんじゃないかと閃いた。
それからやったことがなかったが、航空券を予約するサイトを見つけて手探りで予約して(飛行機というものは小学生以来乗ったことがなかった)どれが安いかとか、全然わからないまま、本当はもっと安く行けるのにその時は何もわからず高いJALの航空券を有り金を(全部ではないが)はたいて買い(しかも平日ではなく週末の当日券)飛行機に乗って沖縄に渡ったのだった。