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得意なもので不足を補う

もう10年程前になるが、カナダのバンクーバーに1年半ほど滞在していた。
目的は、スケートボード。とにかく毎日大好きなスケボーをしたい!とタダそれだけの理由で、西海岸のバンクーバーを選んだのだ。

到着初日のバスの車窓から町のパーク見えて、それだけでテンションが上がって、初日からスケボーを持って街をぶらついていた。

バンクーバーはスケーターに寛容で、道端で滑っていてもあまり嫌な顔をされない。それどころか好きなライダーのシグネチャーモデルのデッキやシューズを見かけると声をかけてくれる程、スケートボードはスポーツのジャンルとしてだけでなく、文化として確立しているように感じた。

ある日、信号待ちをしていると雨が降ってきた。夏場にたまにある通り雨は、大粒で一気に降り出す。その日もそんな雨だった。ふと気づくと傘の下にいた。見ると同じ歳くらいの女の子が見兼ねて傘に入れてくれたのだった。

信号が変わり、横断歩道を渡りきるまでの間、彼女は僕にいくつか(たぶん)の質問をした。でも、残念ながら僕には返答する英語力も自信も無かった。正直、心の中では『ゔぁ〜!!ちくしょー!!』と叫んでいた。話したいけど、恥ずかしさが 前面に立ちはだかるし、なんとか取り返そうにも焦って頭真っ白だし・・・。

結局、"Thank you"とだけ言ってその場を逃げるように去るしかなかった。

家に帰ると、なんとも言えないモヤモヤした気持ちで、悔しいやら、悲しいやら、情けないやら。ちょうど、中学の時にヤンキーに絡まれてかつあげされた日の夜に、無駄に筋トレしてごまかすあの感じに似ている気持ちだった。

当時、スケボーの他に絵を描くことも好きで、点描と線を合わせたモノクロの絵を描いていた。だからその日の夜、気持ちを紛らわす筋トレ代わりに絵を描いた。夢中で。

絵を描く人ならわかると思うが、描いた絵は誰かに見てもらいたくなる。だから、シェアメイトのフランス人に見せると、意外なことに反応が良かった。「これだったら、俺タトゥーにして入れたいよ!」と言ってくれた。

バンクーバーに来て間もなかった僕は、シェアメイトとゆっくり話したのはこれが初めてだった。それまでは簡単な挨拶程度で、なかなかきっかけを掴めなかったのだ。

その時、少し見えた気がした。

得意なものを通じて、不足部分を補えばいいんだ!

そう思ったのだ。

翌日、日本でいうキンコーズのような所に行き、昨晩描いた絵を小さめのフライヤーにした。紙も少し厚手のものを選び、手にした時にその質感でチープなものと感じないように考えた。

そして、早速それを持って路上で配った。

なんと言って配ればいいかわからなくて"Please"と言って差し出し続けた。

すると、訝しげではあるが貰ってくれるし、立ち止まって話しかけてくる人も出て来たのだ。多く聞かれたのは"What is this for?(これはなんのために配ってるの?)"という質問だった。

そりゃそうだろう。
いきなり手渡されてたものには、白黒の少しパンチの強い絵が描いてあり、なんのインフォメーションも記載されていないのだから、疑問に思うのは当たり前だ。

でも実際、僕には質問の内容なんてどうでも良かった。質問のクオリティよりも量を求めて配っていたのだから。とにかくローカルと英語で話すきっかけに絵を使い、片言の英語をすこし大目に見てもらうツールと考えていた。

2ヶ月ほど続けた結果、本当に多くの人と立ち話ができた。老若男女、歳もバラバラな人たちと僕の絵について話し始め、結果的に全く関係ない話をして、時にはやたらと長く話を始める人や、クスリの影響でラリっている人などとも話すことでバンクーバーをすこし理解できた気がした。

その2ヶ月ほどで、英語力が多少上がったのは間違いないが、それは単語力がすこし増えたくらいなもので、実際には語学としてのレベルはたいして上がってないと思う。しかしながらチャレンジを通じて「渡り歩ける」という自信が湧いた。これがすごく大きなことで、肩の力が抜け、リラックスした状態で環境に向き合うことができるようになったのだ。

路上での2ヶ月の中で、数え切れないほどの恥をかいた。でも、恥を恥と認識するほどの余裕がなかったのが正直なとこだ。

自分の不足分は、自分の得意な部分で補えばいい。その中で夢中でやれば、恥じもかくが得られるものも多いと思う。

何よりも楽しんでやれば、お釣りがくるのだ。

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