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アウトプットとインプットの関係性

変わらぬ教育スタイル

教壇に立つ先生に、教室の生徒が同じ方向に向いて座り、黙ってノートを取るスタイルが日本の教育現場では当たり前だし、僕も含めてそういった風景に疑問を抱かずに学生生活を送ってきた。先生が教科書をページ順に進めながら、重要なポイントを解説していき、それを聞き漏らすまいと静かに座って耳を傾けるのである。僕はこれが苦痛で仕方がなかった。気になるフレーズは声に出して発音してしまって先生に何度も「静かさにしなさい」と怒られていたし、そうかと思えば、挙手制の発表は、クラスの誰よりもするという、そんな不思議な生徒だった。

つまり、授業は聞いていたわけで、それをただ黙ってノートに書き写すことよりも、今目の前にある議題について自分の中から湧いてくる意見や疑問を発散することで理解を深めていったのだ。自己肯定する訳ではないが、教師からのインプットをノートにアウトプットするスタイルではなく、質問や意見という形でアウトプットするタイプだっただけで、インプットとアウトプットの方法の違いに他ならないのだ。そして、みんなの前でした発言には、リスクもつきもので、見当違いな意見には容赦なくクラスからの失笑がついて回る。実際に何度も笑われたものだ。ただ、実のところこのアウトプットからのリアクションが更なるインプットに繋がり、自分の考えに対する周りの評価を元に軌道修正を繰り返し、自分の中で答えを見出してきたのだ。

恥をかく勇気

よく英語が苦手だという人たちにみる共通点は、事前のインプットが英語力の全てだと思い込んでいることだ。単語力、文法、イディオム・・・。勿論、これらは大切な要素だが、英会話においてはプライオリティ低い。それより、何よりも大切なのは「恥をかく勇気」なのだ。

「間違えたらどうしよう」と思ってなかなか会話ができない人は、是非ともこの「恥をかく勇気」を念頭に置いて英会話に挑んで欲しい。恥は自分が決めた普通と非普通の線引きによって生まれる。例えば、「40歳にもなってフリフリのスカートは恥ずかしいので、シンプルなものを選ぶ」。これも自分の中で決めた普通と非普通の線引きによるもで、40歳でもフリフリのスカートがどハマりする女性はいるし、別に周りはフリフリに過敏になっていないのだ。基本的にこういった羞恥心は、自分のこれまでの経験が普通と非普通を作り出し、その境界線のこちらか?向こうか?で恥ずかしいかそうでないかを決め込んでいるに過ぎない。

恥とアイデンティティー

94歳(2017年6月現在)にしてニューヨークで現役のファッションアイコンとして活躍しているアイリス・アプフェルをご存知だろうか。彼女のチョイスするアイテムは、カラフルで個性が強く、決して普通ではない。しかし、彼女の持つセンスの良さから、それぞれの個性が融和して、全体が驚くほどカッコよく仕上がっているのである。そして、当の本人はそれを楽しんでおり、決して人の目なんか気にして好きな服を諦めたりはしない。楽しむことに自信があるのだ。なぜなら彼女にとってのファッションは個性であり、他と違うことは「特別」なことなのだ。彼女だけのアイデンティティーを確立しているからこそ、恥なんて概念がないのだと感じる。

英会話もまさにこれと同じで、実際はあなたを阻害しているのは単語力ではなく、「単語力がないと恥ずかしい」と思い込んでいるあなた自身の羞恥心なのだ。恥ずかしさを捨て、伝えたい気持ちを強く押し出すことで、間違いなく自分でも驚くほど相手に意思は伝わるものである。そして、相手からの反応を受けて、またそれに返答すればいい。


要するに、アウトプットをまず行い、相手の反応をインプットとして受けて、さらにアウトプットをするのだ。
インプットを先行させるのではなく、アウトプットを先行させることで少しずつ突破口を開いていく作業なのだ。

英語は自分がブレーキをかけているだけで、そのブレーキ役を一旦引っ込めれば、言葉、目、体と伝える方法はいくらでもあるので、会話は成り立つものなのだと思う。

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