会話=言葉+目線+体
日本人と欧米人の会話においての大きな違いは、表現の大きさの差だと思う。
日本人は言わずもがなだか、ゆっくりと相手を見ながらボディランゲージの多くを相槌が占めている。
一方、欧米人は体全体で会話をする。しかも目力が強い。相手を凝視して話していたかと思えば、いきなり立ち上がりより詳しく説明したり、手を叩いたり、1人で笑ったり。とにかくアクションが多様だ。
これは、僕が両方の会話をしていて感じることだが、どちらも伝えたいことを必死に伝えているし、アグレッシブなのだ。小さなアクションも大きなアクションも実は熱量は変わらない。
では、何が変わるのか?
それは恥の捉え方だと思うのだ。
日本人は過度に感情を剝きだすことを美徳としない。それは、侘び寂びや忍ばせる文化があるから、大っぴらに自分の感情をむき出しにして表現することを「恥ずかしい」と思うのだ。この場合、「恥ずかしい」は世間体としての格好悪い意味を意味する恥ずかしいである。
それに対して欧米人は、伝えたい内容を伝えられないことの事を恥ずかしいと感じる。だから、自らの説明スキルを全面に押し出して、相手に気持ちを伝えるのだ。
ということは、英会話の際、私たちは少し頭を切り替える必要があるのではないだろうか。
相手(欧米人)はあなたの恥など気にしてはいない。むしろ何を伝えたいのかはっきりと伝えて欲しいと願っているのだ。だとすれば、言葉だけでなく、目力(目線)や身体をフルに使って相手に気持ちを伝えてみて欲しい。
こんな事を言うと、
「恥ずかしくてそんなの急にできないよ。」
と言う人が多い。
だが、試すとわかることだが、恥はかけばかく程、麻痺してくる。抵抗力が付いてきて、そのうちどの辺りが恥だったのかという境界線がぼやけて来る。それにはとにかくトライしてみることが重要だし、失敗して恥を上塗りしまくることが大切なのだ。上塗りしていくうちに「恥」を覆う膜ができ、「恥」の捉え方自体が変わっていくのだ。
ボーダーを決めてしまっているのは、決まって自分自身だ。そのボーダーが「恥」作られているのなら、思いっきりかくことで、知らぬうちに穴が空き、広がり、ボーダーは遠い先に新設される。
それをまさ繰り返してメンタルを強くすれば、どんなに単語力がなくても英語は話せるようになる。
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