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海外留学での出来事
私は、高校1年の時に、オーストラリアへの短期留学に参加した。留学と言っても全部で10日のド短期なので、旅行に近い感じだ。
留学に行った感想はというと、良く言って日本のありがたみが分かったとでも言っておこう。
単刀直入に言うと最悪だった。
基本的に私が悪いのだが、当時の担任の先生の事も、この留学を境に苦手になった。
ポンコツオンパレード
オーストラリアに着いた初日は、ホテルに泊まっていた。信じられないと思うが、出て行く時にセーターやブラウスなどの制服をホテルに忘れてしまったのだ。
その事はホームステイ先に着いてから気づいた。
ホテルに電話したのだが、こちらの言っていることが向こうに通じず、向こうの言っていることも分からなかった。向こうは「お前何人?中国人?」などと鼻で笑いながらばかにした様子で対応された。そこにいる何人かで話しているに声が聞こえ、何を言っていたのかは分からなかったが、明らかに侮辱されていた。確か途中で電話を切られたような気もする。
そのホテルはその辺りでは一流ホテルらしいが、海外ではそんな一流ホテルでもこんな対応をするのか、と思ったのと同時に、日本では客にそんな態度とるなどありえないので、日本の丁寧さを改めて感じた。
次の日に担任の先生から、私の制服が入ったビニール袋を渡され、何とか制服は戻ってきたのだが、セーターだけは見つからなかった。
他には、トラムというバスのようなものがあり、そのICカードを無くしてしまったり、お昼ごはんをトラムの中に忘れてしまったりと、もうバカという言葉では片付けられないほどのレベルだ。
ホームステイ先
留学は高校の手配で行き、2、3人ずつでそれぞれのホームステイ先にお世話になり、向こうのラングリッジスクールに通う、というものだった。
私たちは3人グループでホームステイしたのだが、まず、そのホームステイ先で色々あった。
学校にホームステイ先の名簿が送られて来たらしく、そこには女性1人とあったが、実際行ってみると、他にもコロンビア人やチリ人といった人たちがそこに泊まっていた。
もうその時点で、名簿に書かれていない人がいる、ということで契約違反になるので、先生からホームステイ先を変えるか、と聞かれたが、一緒のグループの1人がチリ人といい感じになり、このままでいいと言うので、結局最終日までそこにいる事になった。
今となってはあの時にホームステイ先を変えてほしい言うべきだったと切実に思う。
学校に行く時のお昼ご飯は作ってもらっていた。他の子たちは割と手の込んだものを作ってもらっていて、中には巻き寿司を作ってもらっている子もいた。
一方、私たちの所は、作ってもらうだけでも感謝するべきなのだろうが、パンにマーガリンを塗っただけや、薄いハムが一枚挟んであるだけで、しかもそれが毎日同じものだった。
ホームステイ先での初めてのご飯で、目玉焼きとハムが乗った食パンと、牛乳が出されたのだが、私は牛乳がどうしても飲めなかった。その事に奥さんは機嫌を悪くし、初日から印象を悪くしてしまった。
まず衝撃だったのが、おそらくテーブルを拭かないのだろう、テーブルはとても汚れており、食べカスのようなものがたくさん落ちていた。
おそらく70代くらいではないだろうか、ホームステイ先の奥さんは、節約家と言うと聞こえが良いが、非常にケチな人だった。とにかく怒られた記憶がある。
ホームステイ先から学校へはトラムに乗って行ったのだが、終点から終点なので1時間以上かかった。なので、朝5時くらいに起きる必要があった。
朝方はまだ暗かったので部屋の電気をつけていたら奥さんが部屋に来て電気をつけるなと怒られた。
朝ごはんは毎日コーンフレークだった。仕方ない事だが、寒い中朝から冷たいものしか食べられないのか、と思いながら食べていた。
部屋は、二人部屋と一人部屋で分かれており、他の二人は仲が良かったので同じ部屋で、わたしは一人部屋だった。
三人が上手くいかないことは中学生の時によく分かり、心配していたが、その点は割と大丈夫だった。むしろ他に色々ありすぎて大変だった。
ベッドはあっても布団がなかった。朝晩は寒かったので布団なしでは寝られなかった。まさか布団がないとも思わなかったし、布団など持ってきていない。
私の部屋に一つだけ布団があり、他の二人がその布団を使っていたのだが、その事についても奥さんに怒られていた。
1週間以上の滞在なので、3.4日後洗濯をしたくなった。
留学に行く前、オーストラリアは水が貴重なので洗濯は2日おきくらいにまとめてするらしい。基本的に洗濯機は自由に使わせてくれるだろうと、先生は言っていた。
しかし、私たちのホームステイ先の奥さんに、洗濯をしたいと伝えると、明日にすれば?と言われたので次の日もう一度言うと、また明日、と言われ、結局洗濯機は使わせてもらえず、仕方ないので自分たちで洗面所で洗った。
朝晩は冷え込むが、昼はとても暑かったので、クーラーをつけようとしたが電源が入らない。なぜだろう、と思っていると、コンセントが入っていなかった。ならばコンセントをさせば良いのだが、そのコンセントをさせないようにコンセントをさす穴すら剥ぎ取られいた。これには衝撃を受けた。こんな事をしてまでも節約したいのか、と。
歓迎など全くされていないとは思っていたが、本当に金儲けの為だけに留学生を受け入れているのだろうな、と思った。
電気は付けられないし、クーラーもつかない、布団も使わせてもらえない。特に学校が休みの日は地獄だった。
もちろんどこにも連れて行ってもらえる訳もないので、自分たちで近所のスーパーに行くくらいしかできなかった。
そんな中、チリ人の人と一緒に動物園に連れて行ってもらえる事になった。連れて行ってもらえると言っても電車で行った。そのチリ人と、3人の中の1人の子がいい感じになり、残された2人はほったらかしになり、あまり楽しめなかった。
他のホームステイ先の子たちは、車で色んな所に連れて行ってもらい、しかも入場料等も全て出してもらえたという。
留学が楽しいかどうかはホームステイ先に左右されるんだな、と思った。
ステイ中はずっと、早く帰りたいしか考えていなかったので、帰れる日はやっと帰れる!と思った。
空港からは船に乗った。私は乗り物酔いしやすく、特に船に関しては以前船で軍艦島の周りに行ったときにダウンした思い出がある。その日は天候が悪く、軍艦島には結局行けなかったので代わりに島の周りを2週したのだが、こちらとしては早く下ろしてほしかった。
しかし、留学からの帰りの船では、オーストラリアで寝られなかった分ぐっすり眠る事ができた。
迎えの車に乗った時とても安心したのを覚えている。
何にせよ日本が1番だ。