高校時代

中学校は、全員部活に入らなくてはならなかったのだが、私は運動ができないにも関わらず運動部に入った。

が、結局行かなくなり、転部を勧められたりしたが、中途半な時期だし他に入りたい部活もなかったので、先生ともめたりはしたが、結局幽霊部員のまま引退したのであった。

高校では、確か一年は部活に入るのが必須で、2年からは自由だったような気がするが、

ちゃんと何かを続けられるようになりたい、という思いもあり、その学校は、ギター部が有名だったので、とりあえずギター部に入った。

中学校の時のように、中途半端なのは一番良くないと思い、続けるなら続ける、合わないと思ったらすぐに辞めようと思っていた。

ギター部は運動部並みに規律が厳しく、日曜日以外は基本的に毎日練習があった。大会前は日曜日もあった。

休むのも学校関係や、冠婚葬祭以外は認められていなかった。毎月出席率を出し、一度も休まなければ来月無条件の休日が1日もらえる、という、有給制度のようなものがあった。

楽器を少しぶつけただけでも、役員に言いに行かなけばならず、ぶつかった音の大きさなどでA~Eで判定され、「ぶつけた用紙」に記入しなけばならなかった。

もし規定の回数以上ぶつけたり、C判定以上だった場合、反省用紙を書かなければならなかった。

ほかの学校のギター部員にこの話をすると驚かれた。

ギターはたくさんの種類があるのだが、私の学校のギター部はクラシックギターだった。

クラシックギターの中にもいくつかの種類があり、ギター部には7.8つのパートに分かれていた。

入部してからまず最初に、先輩たちから一般的なギターの、基礎の指導をしてもらう。

基礎がある程度できるようになると、点検という、部長含め、2.3人の先輩の前で一人へ弾く、という、なんとも恐ろしいものがあった。

緊張しいな私は、リズムはズレるわ音はかするわ案の定ボロボロだった。

点検の結果や、本人たちの希望から、パートを振り分けられた。

今となっては鉄板ネタになっているのだが、私は、ギターをするためにギター部に入ったにも関わらず、なぜか一番人気のない、謎の民族楽器のパートになった。もちろん、第一希望ではない。

弦はついているとはいえ、ギターというより、「楽器」である。

なので私はギター部だったにも関わらず、ギターが弾けない。


私にとっての、部活での一番の大イベントは大会前の「点検」だった。

そう、パート振り分けの時にもあった、あの点検である。

点検では、4人ほどの審査員の前で、課題曲と自由曲を一人で演奏する、というものだった。

審査員によって合否が判定され、不合格だった場合大会の檀上には上がれなかった。

私は、一年生の時にその点検に落ちてしまった。ほかにも、1.2人くらいいた気がした。

その時の感情はあまり覚えていないが、相当ショックを受けていたと思う。

そのあと、顧問の先生による再点検があり、メトロを止めたらメロディーが聞こえてくる、と、何とか大会には出させてもらえた。

私はギタロンという民族楽器を弾いていたのだが、練習するといつも指に大豆ほどの水膨れができていた。

そのままでは弾けないので、針を刺して水膨れをつぶしていた。

とにかく、弾く度に痛かったという記憶がある。

一年生の時は、弾きたくもない楽器を、こんな思いをしてまでも続けなくてはならないのか、という思いや、

休みの日も部活 夏休みももはや休みではなかった。

さらに、一番仲が良かった子が辞めてしまう、などとういう理由から、何度も辞めたいと思っていた。

しかし、辞める判断をしきれないまま、気づけば2年生になっていた。

新入生が入ると、今度はこちらが指導する側になるのだが、最初にも言った通り、私のパートは普通のギターではなく、チェロのように縦に構える楽器だったので、わざわざ一年生指導のために練習しなければならないのであった。

しばらくすると、自分より一年生の方が上達していると感じる事もしばしば。

そしてパート振り分けの日が来た。

私のパートは、ウッドベースと共同になっているのだが、一番人気がないので、今年もそんな感じだろう、と思っていたのだが、

なんとその年は、珍しくギタロン第一希望の子がいて、こちらとしては嬉しいが、物好きもいるものだな、とおもった。

こんな感じで、人生初の後輩ができた。

私の代は特に人数が少なく、はぼ各パートに一人ずつしかいなかった。しかもウッドベースは2年に一度しか取らないので、私たちの代にはいなかった。

もし今自分が辞めたら、後輩に大変な思いをさせてしまう、と思い、辞めたいなどと言っている場合ではない、と思った。

入りたての頃は、先輩の存在は偉大で、安心感がある。そんな存在がいなくなってしまったら、私は間違いなく辞めていた。

私自身そんな存在にはまだなれていなかったとしても、後輩には少なくともそんな思いはさせてはならないと思ったし、そうなりたいと思った。

良い先輩、同期、後輩に恵まれて、何とか3年間続けることができた。

おかげで、いろんな立場を経験する事ができたし、色んなこと事があったけど、それも全て込みでいい思い出になった。



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