落書き(齊藤京子さんの卒業に関するあれやこれや)
あまりにモヤモヤするもんだから構成とか文法とか何も気にせず、10分くらいでバーっと自分の気持ちを書き出してみました。
文字に起こすだけでも意外とスッキリするもんですね。
こんな落書きが人様の目に触れるのは申し訳ないのですが、供養という意味で公開させていただきます。
齊藤京子さんの卒業が発表されたのが1月11日。
この記事を書いているのが2月23日。
あれから43日経った。
この記事を書いているのが2月23日。
卒業コンサートが開催されるのが4月5日。
あと42日しかない。
卒業発表の日を始まり、卒業コンサートの日を終わりとしたとき、今がちょうど折り返し地点。
の割に、あまりにいつも通りの日々。
京子さんは可愛くて、キョコロヒーは面白くて、かき氷は美味しそうだけどやっぱりちょっと寒そうで。
発表の前後で何も変わらない。
平たく言えば"推しがもうすぐ卒業する"という実感が全く湧かない。
これまで発表された卒業記念〇〇は5周年記念ブックのソロインタビューくらい。
正直焦っている。
言葉を選ばずに言うと"あっけない"とすら思う。
最後にもう一度表題曲のセンターに立って、なんならユニット曲やソロ曲もあって、フォトブックなんかも出しちゃって、ド派手に旅立っていくもんだと思ってた。
こんなにあっさり行っちゃうの?
現実を受け止めきれない。
「世代交代が必要。」
「今の日向坂には去る者にリソースを割けるほどの余裕はない。」
「卒業発表のブログに"次のシングルの活動をもって"の文言がなかった時点で分かってたこと。」
全部その通り。頭では分かってる。
でも心がついていかない。
理屈はどうでもいい。感情の話がしたい。
ただ、だからといって感情のままに運営を非難したい訳じゃない。
ファンは到底伺い知ることが出来ないような大人の事情があるんだろう。
"推しの気持ちを代弁する"というニセの大義名分を掲げて特定の誰か(何か)を口汚く罵るなんて絶対にしたくない。
でもやっぱり腑に落ちない部分もある。
どっちだよ!って感じだけど、自分でもよく分からないし、何も考えたくないというのが正直なところ。ぐちゃぐちゃ。
ここまで書き散らしてきて、自分は京子さんの卒業に関して何か"意見"を持つことを怖がっているのかもしれないと思い始めた。
"齊藤京子の卒業とその処遇ついて自分はこう考えてます!"と己の立場を明確にしてしてしまうと、その途端に"卒業"という現実を完全に受け入れたことになってしまう気がして。
現実(事実)としっかり向き合わない限りは何か意見を持つことはできないから。
逆に"意見を持たない"という選択をし続けることで迫り来る現実から目を背けている。
そんな気がしてきた。
京子さんは自身の卒業について語るとき、必ずと言っていいほど「何も変わらない」という言葉を使う。
そんなはずがない。
"何も変わらない"なんて絶対にありえない。
なのにその言葉を聞くと安心してしまう。
そして"変わらないこと"に安心感を覚える自分の身勝手さにうんざりする。
やっぱり自分はまだ"日向坂46の齊藤京子"を応援していたいんだな。
卒業してほしくないんだな。
元日向坂46の齊藤京子を見るのが
齊藤京子のいない日向坂46を見るのが、
そのとき自分が何を感じ、思うのかが
怖くて怖くて仕方ないんだな。
ここまでダラダラ書き連ねた挙句、結論が"変化が怖い"なのはダサすぎるだろ。
どうしたもんかなぁ…
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