「ボランティアで日本語教師」その2
シリーズその2となる今回のテーマは
「地域のボランティア」です。
実際に私が地域のボランティアで日本語を教えていた時の話です。
何かの参考になれば、と思います。
※文末に購読して良かった「教案の書き方」の本を紹介をしています。
■初心者の私がどこで教えられるのか
前回、シリーズその1で書いたように、生徒Mさんにはオンラインで会話を教えていました。
しかし、オンラインだけ、会話だけというのも自分のためにならないと感じ、資格を取得するまでの間、もっと誰かに教える事はできないかと考え始めました。
が、しかし私はまだ資格もなく、経験も殆どありません。
いきなり日本語学校の門を叩くわけにもいかず・・・
そこで、ふと「地域のボランティア」はないかと思いついたのです。
早速、インターネットで私の住む地域で日本語教室のボランティアはないか検索しました。
すると国際交流協会というものがある事を知りました。
連絡を取りたいと思ったものの、電話番号がわからず・・・。
市役所へ相談する事に。
無事、市役所の方から連絡してもらう事ができ、日本語教室へ見学に行くことになりました。
■地域の日本語教室へ見学
早速、約束をとりつけ見学に向かったのは廃校となった後、ダンス教室や、手話教室、書道教室、時には投票場として使われるようになった地域のセンターでした。
その一室を日本語教室として週に数回、複数の団体が入れ替わりボランティア教室を開いていました。
学習者はあらゆる国籍の幼稚園児から大人まで。
数人を一人で教える場合もあれば、一対一という場合もあり。
そして、この日本語教室で教えていたのは日本語だけではなく、小学生・中学生・高校生には学校の授業でわからなかった算数や理科、宿題、あらゆる学習支援を行い、大人には日々の生活の事、時には悩み事の相談、子供が持って帰ってきた学校のプリントの内容などを説明するなどなど・・・
私の想像していたものとはまるで違っていました。
てっきり先生が黒板を使い、生徒が着席して授業をしているものだとばかり思っていたのです。
もちろん、教室事にその方法は違うのですが、私の地域の日本語教室は学習支援を含めたこのようなものでした。
■ボランティアで教えている側の人たち
私の想像とは随分かけ離れていましたが、関わってみない事には前に進まない気がして、週に一回、参加する事にしました。
ここに来る人の事情はある程度わかったものの、教えている側の人たちはどういう人なのか。
ひとり暮らしをしていて誰かと関わりたい人
もともと教師で、自分のスキルを活かしてボランティアをしたい人
旦那様の仕事の関係で駐在員として外国人に関わった経験から、外国人に関わりたい人
日本語教師の資格を取得したので、誰かに教えたい人
自分自身も外国籍で今では日本で仕事をし、生活に不自由する事なく日本語を使っているが自分の経験を踏まえ、困っている外国人の手助けをしたい人
そういったメンバーで構成され、必ずしも日本語教師の資格をもっているとは限りませんでした。
また、年齢は仕事を退職された年配の方が多かったのも特徴的でした。
■教材や学習の進め方
参加する事にした日本語教室は、学習支援を含めている事もあり、用意されていたものは
決まった教材はなく、「みんなの日本語」「大地」が数冊ある
絵カードがある
地図がある
小さなホワイトボードが数個ある
このような感じで、教材は準備されていました。
そして、学習者の負担は一切ありませんでした。
しかし、教本は古く、準備されているものだけでは不十分なので必要だと感じたものはその都度、購入したりプリントを独自に作るなどしていました。
この教室は授業というスタイルではなかったため、教える側の自由度も高く、ニーズに沿った教材を選んで教える人もいれば、学習者が持ってきたものだけを使って教える人もあり、それぞれの方法で行っていました。
■私の学習の進め方
もともとは、授業という形式で教案を使って進めていきたいという私の希望もあり、担当した中国籍の中学二年生のSさんには「みんなの日本語」をベースに一対一で授業を行いました。
時には自作のプリントを使って説明したり、テストをしたり。
教材も手作りでいくつか作りました。
ちょうど、仕事をしていなかった時期でもあり、当初はかなり力を入れて制作する事ができたのはラッキーでした。
しかし、転職で仕事をはじめ、教案を書き、事前準備をするには時間も体力も余裕がだんだん無くなっていき、辛い思いをした事もありました。
■続ける原動力となったもの
睡眠時間を削り、どうにか授業に間に合わせるように準備をし、仕事が終わったら駆けつける・・・そんな事を一年半続けました。
とはいえ、途中、コロナで集まることができなくなり授業は数えるほどしかできませんでした。
こちら側の時間・体力共に余裕がない中でも、続けることができたのは担当したSさんが成長する姿を見る事がとても嬉しかったからです。
Sさんは中学二年生の夏に来日し、ほとんど日本語ができない状態でしたが、翌年には高校受験という大きな目標がありました。
慣れない日本での生活、学校で友達はできたか、悩み事はないか、いじめられていないか、そんな事まで心配になりました。
帰り道で、
「学校は楽しい?」
「困っている事はない?」
と声をかけたものです。
なんとか少しでも力になりたい、ただただ、そういった思いが沸々とわいてきたのです。
時には不貞腐れたような態度の時もあり、日本語がわからないジレンマ、慣れない習慣、Sさんなりに乗り越えなければならない大きな壁があったのだと思います。
そんな中でも、日が経つにつれてSさんは成長していきました。
部活を楽しんでいる様子を聞いて私も安心し、
やがて塾へ通い始め、将来の夢も語り始めました。
そんなSさんと共に過ごす週一回の授業は、私にとって楽しみであり励みになりました。
「日本語教師って、やめられないんだよね。楽しいんだよ。」と言っていた多くの先輩方は、きっとこういう気持ちだったのだろうと知りました。
素敵な職業だと思います。
■一旦、教室から離れる事に
とはいえ、私はお役御免となる日が来ました。
授業を妨害するつもりはなくても、
「ちょっと、あなた若いんだから、この問題(数学や理科など)教えてあげて」と、授業中に横から言ったこられた事が数回・・・
正直、ちょっと嫌な気持ちになりました。
もちろんそれだけではなく、
私の仕事の事、時間的な事、
教室の中で起こった事・・・
さまざまな事が原因となり、Sさんが高校受験が合格した事を受けて、お役御免、一旦私は休憩させていただく事となりました。
■時間が必要
これもよく聞く話ですが、
「日本語を教えるには事前準備に時間がかかる。」
殆どと言っても過言ではないぐらい、辞める理由はこれだとか。
私はボランティアで一対一という環境でしか体験していませんが、なんとなくわかる気がします。
そして、解決する方法もわかった気がします。
それは、続ける事で解決できるのではないか、という事です。
矛盾しているようですが、
続けていけば教案は溜まります。
ブラッシュアップして、また次の機会に使う事ができます。
それを延々と続けること。
そうすれば、教える事にも慣れ、上達し楽になるはずです。
ただ、教案作成に慣れるまで、時間はかなりかかります。
調べる事も多く、たった一時間の授業なのに膨大な時間がかかってしまいます。
授業が終わっても、反省点を洗い出し、ブラッシュアップするための時間も必要です。
本当に自分との闘いであり、時間との闘いです。
■果たしてボランティアでいいのか
そこで、問題となるのが「ボランティアはどこまで行うのか」という事です。
つまり、時間と体力と、時には調べるために本を購入するなどして、身銭をきって、どこまでボランティア(無償)で行うかという事です。
よほどのお金持ちでない限り、いつかは心の限界や、金銭の限界を向かえます。
収入がなければ自分の生活が崩壊してしまいます。
ならば、働かなくてはなりません。
それが、日本語教師を生業としていて、かつボランティアでも教えているとなると問題点は違ってきます。
次回、シリーズ その3 では、「ボランティアでいいのか」という点を書きます。よければ読んでください。
■私が購読して良かった本の紹介
私が購読して良かった「教案の作り方」の本を紹介します。
いくつかサンプルが載っており、参考になります。
また、初心に返って教案に関するQ&Aをサラッと読むのも、後々役に立ちます。
画像をクリックすると、この本が販売されているAmazonのサイトが開きます。そこから購入する事ができます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回もよければ読んでください。
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