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『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』内海健 「離隔」という宿痾
本書『金閣を焼かなければならぬ』は、精神科医である著者内海健氏による金閣時放火事件の真相を探るノンフィクションです。
動機は本当に「美への嫉妬」なのかー。
著者が三島由紀夫の小説『金閣寺』を読んだときに覚えた「未発の分裂病*」ではないかという思いに精神学的な考察を加えながら、犯人の若僧林養賢と作家三島由紀夫の「離隔」という心理に迫ります。(*本書は、現在「統合失調症」と変更された病名を事件当時のまま、あえて「分裂病」と記述されています)
林養賢と三島由紀夫
林養賢は事件後に統合失調症を発症し、事件から6年後に医療刑務所で死亡しています。
著者は養賢の生い立ちや金閣寺に入寺の経緯、「吝嗇で事なかれ主義の住職」慈海との人間関係を追いながら、養賢はすでに統合失調症の前駆期にあったと分析しています。
その前駆期がどのような心理状態であるかー。ここに三島由紀夫の『金閣寺』、そして三島由紀夫自身がクロスオーバーしてきます。
三島由紀夫の「離隔」という宿痾
幼少期から祖母の溺愛による閉じた世界で言語感覚が磨かれた三島にとって、現実は無味な世界に思え次第に廃退や死の気配に惹かれていくようになります。このあたりのことは、三島自身が作品の中に写し込んでおり、また晩年の政治的言動や「自決」という時代錯誤の最期からも慮ることができるでしょう。
この本の著者は『金閣寺』のほか長編小説『鏡子の家』を取り上げて、三島由紀夫の「離隔」という宿痾(しゅくあ)を考察しています。三島に憑りつく現実の希薄さー、言語で綴る世界にリアリティを求めてもそこには他者が存在しない。そんなナルシズムな世界で生きる三島が、なぜ他者の思考への侵入におびえる養賢の金閣に火を放つ心理を描き得たのか。
『金閣を焼かなければならぬ』感想
精神学の専門用語や学術的な分析が多いだけでなく、文学評としてもかなり難解な1冊です。
放火した若僧養賢の本当の動機はわかりません。
が、三島由紀夫の『金閣寺』と、さらには三島由紀夫という人間の考察が絡んでくることで、動機や理由ではない「金閣を焼かなければならぬ」決着があったことを少しだけ理解できるような気がしました。
『金閣寺』は2回は読んだはずですが、自分は何を読んでたんだろうというほど心理を読めていないことを痛感。もう一度『金閣寺』を読み直さなければならぬ。
そう思わせる力のある1冊です。ぜひ。