脆弱な精神と獰猛な人格
自身の言葉なんてない
5年前に迎えて以降、書斎の中でも特に私から近い位置にケージを置いて飼育していたハリネズミのハリさんが7月22日に亡くなった。ハリネズミの平均寿命は3年程度と聞くのだけれど、私が飼育するハリネズミは大体5年程度生きる。
ハムスターは平均寿命まで飼育できた試しがないし、ウサギも可愛がっている割には早死にが多い中で、ハリネズミだけは恐らく私との生活環境が合うのだと思う。
どの程度愛玩していたかと言えば怪しいものの、ただ隣りにいるということに満たされていた。
今部屋にいるのはチンチラと猫とモルモットとデグー。そして私。
大所帯だった頃と比べればだいぶ落ち着いてきているのだと思う。ペットを抱え込まなくても生きていけるようになった、と言うにはまだ早い。ただ精神疾患の悪化に伴い、そこまで命に対して責任を持てなくなってしまった。
自殺未遂をして長いこと病棟にいる間、ペットの世話は実家の両親に任せることになってしまう。希死念慮を自身でどうこうできない以上はもう増やしてはならないのだなと思う。
毎日のように腕を切っている。
オーバードーズは金がかかる。大した稼ぎもないくせに市販薬にお金を溶かすのは馬鹿らしい。その時は一時的に満たされたとしても後ほど貧窮した際にその行いを悔やむことが目に見えている以上、咳止め薬だのそんなものを買い込む気には到底なれない。私はこれ以上自分のことを嫌いになりたくはないので自身の矜持に基づいて自傷ひとつをとったとしても取捨選択をしている。
手首を切ることに金はかからない。
視覚化もできて超良い。
半ば他人への当てつけのようなものであるし、限界度合いをどう表現しようかと思った際に、言葉を尽くしても尽くしても相手が自身と同じ程度の言語能力を持ち合わせていない限りは伝わらないものがあるので。誰にでもパッと伝えられる方法としましては身をもって伝えるということで、腕を切るのが一番安易である。
あと、自傷跡のある自身のことはけして嫌いではない。
年輪かなんかだと認識している。
他人からあまり大切にされないので自分のことを大切にしようとは思わないが、他人から愛されなくとも自分では自分のことをそれなりに気に入っている。トレインスポッティングの冒頭部分みたいなもんで、成人してからはある程度自分で選んできた。学歴を、この顔を、スタイルを、病気を、服装を、振る舞いを、選んだ。自傷だって選んだ。病むことも泣くことも切ることも自己決定ができる。
ただ、希死念慮だけは私から切り離されたものであるからちょっと責任取り切れない。
安全基地なんてない
今年の春に、友人の紹介で知り合った異性から告白をされた。タイミングが文学フリマ東京の直前だったものだから、東京から戻ったら返事をしますと言って延ばしたものの、はなから返事は決まっていた。
私は自分の感情に関しては大袈裟な節があり、尊重されないということに対して酷く憤る癖があるにも関わらず、他人に対してあまり関心が抱けない。ただ好きだの可愛いだの言われること自体はまんざらでもないものだから恋愛というものを繰り返してこの歳まで生き延びているものの、相手のことを「ちゃんと好き」であるかと言うと怪しい。
「ちゃんと好き?」「ちゃんと好きだよ」「ちゃんと、って何?」そんなやり取りと別れを繰り返しながら、上手くいかなさは諦めている。
性的な欲求が一切ない。
それはかつての暴力からの苦手意識なのかもしれないし、異性への苦手意識なのかもしれないのだけれど、説明するのも野暮かと思われるほどの強い拒絶があるものだから、交際相手との性行為がどうしても難しい。
大抵別れる原因は性行為が嫌だから、である。
向こうからは「じゃあぼくのこと好きじゃないじゃん」と言われる。
その台詞を言われるまではこちらとしても葛藤があるのだけれど、言われてしまえば「性行為ができないというだけで駄々をこねる成人男性を好きだという女がいるのですか」と思えてしまう。
付き合うこと自体には抵抗はないが、手を繋ぐだとか体に触れられるだとかするにはちょっとムリかもしれない。そう思う相手があまりにも多い。もうそう思った時点で付き合わない方がいいのだろうとも思っていたので、春の告白は断るつもりがあった。ただ、なんと伝えようか考えることが面倒であったので相手に対する気持ちをどこまでも下げていこうと思った。情でも湧いてしまったら付き合ってしまうだろうけれど、ひとりひとり人格を持ち合わせた人間である以上は情だけで交際するだなんて限界がある。
なのでまあ「こいつそこまで好きじゃないからなあ」という状態まで自身のメンタルを持って行きたかった。
とりあえず歌舞伎町のメンコンに行こうと思った。
美形を拝んでから名古屋に戻って相手を振ろうと思った。
実際、振れた。
だってもうレべチだもの。
都会の洗練された異性を見た後なら正常な判断ができる。
今年の初夏に知り合った異性から告白をされていた。
返事はしていなかったものの、私も初対面で一目惚れのような状態であり、正直まんざらでもなかった。ただ、いつ自分が傷付くような振る舞いを相手がし始めるのかと思うと気が気でなく警戒心が働いたものだから返事はしないままでいた。
しないままでいたら、私の休日に「そこ2日間は予定がある!」と言われた後にコンカフェをハシゴしていたことが分かった。
なるほどと思い私もまた今一度正常な判断をしたかったため、前回からそう期間も空いていなかったのにもう一度歌舞伎に行って正常な判断をしようと決めた。
東京に戻ったところでもう遅い
大学4年間、三鷹に住んでいた。って書くとどの大学に通っていたかが絞れてしまう。ICUと言われているが否定はしていない。
でも三鷹に住んでいるからと言って三鷹の大学に通っているとは限らない。武蔵境からは中央線だけでなくて西武多摩川線が出ていて、実際学生時代の私は多摩川線沿いを自転車で走っていた。
上京して1年は西東京から出るのが怖かった。あちこちへ行けるようになったのは成人してからだった。勿体ないことをした。
東京での日々は楽しかった。
いや名古屋よりマシだっただけなのだけれど、それでも名古屋と比べると遥かにマシで、息ができた。だから名古屋で上手くいかないことがある度に東京へ戻りたいと思っていた。
今回の東京はコンカフェの一件に対する当てつけ旅行であったのだけれど、折角東京へ行くのであればと世田谷文学館での伊藤潤二展、吉祥寺のおにぎりバー、蒲田のニュータンタンメン、横須賀美術館でのエドワードゴーリー展等、欲張った。
その結果として大変満たされて名古屋へと戻ってきたのだけれど、また日常へ戻った途端に手首を切って過ごすような毎日であり、何が楽しいというんだこんな日々がと思った。
東京から戻って間髪入れずに、相手方がコンカフェで繋がりをしていることを知った。
連絡先交換だけでなく外で会っている、時に客とキャスト以上の関係性を持っている可能性があることまで知った。大須のコンカフェならまだしも錦のコンカフェにモラルだとか常識を求めてはならないのかもしれない。
悪いのは客として通っている男側であるとは分かった上で、昇格を控えているにも関わらず外で会っているキャスト側にもヘイトは募った。
あーあ名古屋になんて戻ってこなければよかった、という気持ちがさらに膨らんでいった。相手を嫌いになった、幻滅をした、もう今後会うこともないだろう、というところまでいったのだけれどそれで完結することなくダラダラと続く嫌な気持ちはなかなか収まる気配がない。
だって、私の日常はダラダラと続いていくし。
私の日常はちょっと嫌の連続であるし。
不愉快な日々に大きめなイベントとして不愉快が追加されたことがもうどうしょうもなく泣きそうで、更に自傷は加速したのだけれど。そのキャストの在籍店舗をSNSに書くこともなければ掲示板でこの女簡単につなげれますよとか書き込まないのは矜持であるし。それをしてしまったら今度こそ自分を嫌いになるだろうし。
神様はいるけれど私のことは見ていない
一目惚れしてまんざらでもなかった相手がコンカフェで二推し三推しと繋がるどころか一推しとのやり取りも欠かさないDDであることを知ってしまっても。
蔑ろにされていることを自覚してしまっても。
それでも日々は続いていく。
新卒の時、内定式で言われた言葉を思い出す。
「君たちはこれからペットが死んでしまっても、彼氏にフラれてしまっても、働かなければいけません」
私はペットが死んだら働きたくないし彼氏にフラれたら働きたくない人間なので、当たり前にその会社はさっさと辞めてしまったし、その後もペットロスの度に、失恋の度に、仕事は辞めていた。
だって心の支えがなくってモチベもなくって、なんのために働くの? 生きるため? 死にたいのに?
6月末から入ったドール専門店は淡々と単純作業をこなす日々であり、アパートと職場の往復という単調かつ無感動な生活は私が望んだものであったはずなのだけれど、こうして社会復帰をしていけたらいいなと思っていたのだけれど。
定時に店を出てスマホを見ると、大抵インストに足跡は着いているのだけれど連絡は来ていない。
私が返していないから向こうから来る訳もないのは分かっているのだけれど。少しは期待をしてしまっていた。
全部嘘だったんだな、薄っぺらい言葉並べられて信じた私もバカだったな、と思いながらも。だって一般人だよ。メンコンキャストとかの言葉を鵜吞みにしてガチ恋してるのなら私が悪いのだけれど、相手一般人だよ。嘘つくとかペラペラなこと言うとかそんなの予期できなくても仕方がない。
なんでメンコンキャストの方が深みあること言ってんだよくらいにはこいつがペラくて悲しくなる。
思い出とか言われた言葉とかを頼りに日々を過ごそうにも大した思い出もなけりゃ言われた言葉がペラ過ぎる。
過去一、軽薄。
それにムカつきながら、傷付きながら。
仕事でもムカつきながら、傷付きながら。
こうしてこういう日々が続いていく中で、私はどこで幸せになるのだろうと思った時に、なれない気がした。
何者でもないままに惰性で日々をこなし続けるだなんて私はそんなの嫌だった。何が楽しいのと思ったその途端、休憩中にバックヤードで裏紙に「仕事辞めます」と書き殴った。
その翌日に5年飼育していたハリネズミが亡くなった。
その日の昼に店の郵便受けに裏紙を投函した。
失恋、失業、ペットロス。
幸せの要素なんて何一つとない。ただ、膨大な時間とわずかなお金だけがある。
脆弱な精神と獰猛な人格
不貞腐れる
東京から戻ってからのしばらくが長雨であった。
アパートの階下に置いているエイプにはカバーをかけてあったのだけれど、エンジンルームに雨でも入り込んだのか、ある晩ちょっとの用事を思い出して引っ張り出してみたらエンジンがかからなかった。
圧縮上死点がない。
キックの手ごたえが一切ない。
ガス欠を疑ってガソリンスタンドへ持ち込み給油したのだけれど、それでもまったくエンジンがかかる気配はなく。しばらくキックを繰り返していたら店員さんが奥から出てきてキックを代わってくれたのだけれど、ちょっとライトが点灯してもまたすぐに消えてしまうの繰り返しだった。
朝になったらどっか持ち込んだ方がいいかもしれないと言われたものだから翌朝バイク専門店に持ち込んでみたら、改造マフラーだからと修理を断られてしまった。
その後もちょっと離れた店の駐車場でキックを繰り返していたら、そのうち重めの音がし始めて、エンジンがかかった。
圧縮上死点は分からないまま、軽いキックで軽めにかかった。
またすぐにエンストしたのだけれど、またキックを数度したら軽いキックで軽めにかかった。
不安だったのでそう遠距離は走らないことにして、とりあえず実家まで走ってみた。エンジンはか弱い気がするし、その割にマフラー音は大きい気がするし、元々ちょっとかくかくとした引っかかりを感じながら走っていたのが、急に滑らかな走行になってしまっていた。
重みがない。いつまた止まってしまうのか気が気でない。
それでもギアチェンジに問題はなく、ニュートラルにしておいても勝手に止まることもなく、スピードも思い通りに走っていた。
祖母の家のガレージにエイプを入れ、その日は実家でダラダラと過ごした。後、またアパートへ戻るためにエイプを引っ張り出してみたらやっぱりまだキックが軽いのだけれど、それでもなんの問題もなく走行ができていた。
なにこいつ、という気持ちが湧いてきた。おまえのせいで休日に思ったような過ごし方ができなかった。予定が大幅に狂った。そう思った。
ジョルノが長期休暇前に壊れてしまったためにエイプの納車を待つ必要があって、長期休暇をずっとどこにも行けずに過ごしたのが今年の春。休みが終わってしまう焦りとどこにも行けないという苛立ちと。そういう時にじゃあ車出すよと言ってくれる友人がいないという寂しさと。そういったすべてを悲観していたものだから、「毎日が休みだったらこんな気持ちにならないのに」という自棄が頭角を現してしまう。
私が社不である何よりの根拠がこれに集約されている。
休んでいたいし遊んでいたいし仕事で嫌な思いをしたくはないし仕事を理由に何かを諦めたくもない。
これもドールショップを飛んだひとつの理由になってしまった気もする。
助手席に慣れたくない
名古屋に戻ってすぐに、原付の免許を取った。
車がなければ生活ができないようなトヨタに支配されている県なのだけれど、私は持病があるために普通車免許までは取ることができなかった。ただ、生活ができないため原付だけは取った。
数年は通勤に使う程度で、都会へ出る時だとか遠出の際は電車を使うようにしていたのだけれど、昨年自殺のために夜中海へ行こうとしたのを機に原付で遠出をするようになってしまった。
愛知を原付で越えられた時は、自分はもうどこにでも行けてしまうのではないかとも思った。
原付で? とかひとりで? とか言われる。危ないよとかすごいねとか。
危なかろうとなんだろうと、車を出してくれるほどの知り合いがおらず私が平日休みで誰とも休みが合わないのだから自力で出かけるしかない。
愛知県の田舎は電車が一時間に一本来るか来ないかだし、駅からバスを乗り継がないとたどり着けない目的地も多い。
誰かと休みが合うことを待って部屋でジッとしている時間が昔っから好きではなかった。学生時代に社会人と付き合っていたせいで部屋でただlineをしているだけで夏休みが潰れてしまったこともある。口約束は沢山したのに結局どこにも連れて行ってもらえないまま、貴重な20代の夏を無駄にしたことに腹を立ててそれとは別れた。
愛知に戻ってからは特に相手の車を宛てにしていたものだから、車を持っていないどころか免許を持っていない異性と付き合っている期間はひたすらバカの一つ覚えのように大須をぶらぶらと歩くか、私の部屋で一緒に住むかの二択しかない。
私がインスタで見付けたカフェだとかなんらかのスポットに行きたいと思っても彼氏から「俺を置いてくの?」とか「どうせ浮気するんじゃん」と言われるともうその時点で諦めるしかない。
おまえが免許持ってないのが悪いじゃん、と言いたかったけれど、そんなことを言うと殴られるので言えなかった。
車も免許も持っておらず定職についておらず居候しておいて家に1円も金を入れないどころか財布から金を抜くようなDVとばかり同棲していた。愛知県の男なんてこんなものだろうと諦める他なかった。
ジョルノでどこへでも行けるかもしれないと思った時、急に何かが始められるような気がした。死にたい夜に部屋でメソメソせずにパッと出かけられるようになって、行きたい場所があったら次の休みには出かけられるようになって、ようやく、無理に彼氏を作らなくても大丈夫になった。
大雨暴風雨の日に足首まで浸水しながら水の中を走った時は、生きているんだなと思った。あまりの強すぎる横っ風に吹かれながら海沿いを走った際、死ぬのなんていつでもできちゃうんだとも思った。
夜中に街灯もなく舗装もされていない道を走っている時が堪らなく楽しくて仕方がなくって、今が一番満たされているなと思った。誰かと通話をしている時間よりも、ひとりでジョルノを走らせる時間の方が楽しくなってしまって、友達を次々と減らしていった。友達が減ったことで息ができるようになった。
本当は何もかも要らなかったんだと知った。
分別つかないバカ男
そのジョルノが壊れた。
あと数時間で出勤しなければならないという時だったので、近所のバイクガレージまで行って即納可能な50ccを見繕ってもらったらエイプかモンキーの二択だった。見栄っ張りな私はモンキーを選ぼうと思ったのだけれど実際に両方に乗ってみたらエイプの方が遥かに「自分」って感じがした。脚が長く見えるし。改造マフラーなのはパッと見て分かっていたけれど、いざエンジンをかけてもらった時のその音に心が躍った。
これに自分が乗る。
そんなこと愛知に来たばかりの私には想像もつかなかった。
移動手段として仕方がなく原付という乗り物を選んだだけだったのに。原付に格好良さだとか愛着だとかそんなものはなかったのに。
きっとこれに乗っている自分は最高に違いないと思った。
ジョルノしか乗った経験がなくって、MTなんて初めてだった。
納車後は邪魔にならないようにと夜中に近所を走ったのだけれど、ひたすらエンストの繰り返しであった。ブレーキのかけ方も分からなくってすぐにエンスト。エンストした後にNの場所が分からなくってギアをつま先でいじっている間に後ろから車がやってきてしまうことも多かった。
クラッチを握りっぱなしにしていればNに入っていなくってもタイヤが動くということは、後々友人から教えてもらった。キックもなかなか入らなくってずっと苛々していたし焦る場面も多かったけれど、圧縮上死点のこともその友人に教えてもらった。
近所のコンビニまで走れるようになって、もう少し遠いコンビニまで走れるようになって、実家まで走れるようになって、帰り道に他のライダーから手を振られたりするような夜が積み重なっていってようやく、エイプでも遠くへ行くようになった。
最初は何こいつ、って思うかもしれないけれどそのうち気付いたら大好きになっている沼男だよとMT車に乗っている友人から言われていた。クラッチについて教えてくれていた友人からも慣れれば楽しいからと言われていた。
でも慣れなかったらどうしよう、というほど乗りこなせるまでにあまりにも時間を有して、正直殴りたくもなった。何こいつ、の連続だった。
ジョルノと一緒に行った海に行った。行けた。
山道も走った。下りカーブがとても苦手だった。乗りこなせていないものだから下り自体が苦手で、かなり際に寄ってブレーキを握りっぱなしでトロトロと下っていくことがあまりにも多い。
犬山の街コンにもエイプで行った。
街コン自体はひたすら異性から逃げ回るだけのイベントだったけれど、すっかり夜になった帰り道をエイプで走って帰るその時間が何物にも代えがたい思い出となった。行って良かったと思った。
それでもちょっと好きかもと思い始める頃に不自由をかけて来る男だった。初めてのガス欠の時は途方に暮れたし、なんでメーターないんだよと思ってしまったし。エンストの度に理由を探ったし。疲れている日の帰り道なんて脳死で走れないこと自体が辛かった。
雨の日とか気を遣うし、ジョルノより遥かに手がかかって、見た目だけのバカ男じゃんと何度も嫌いになった。
今後上手く付き合っていけるかも正直怪しくって、この夏長雨でエンジンがかからなくなった時にはもう今度こそお別れだと本気で思った。
あまりにも思い出が足りなさすぎる。
今後作っていくのだと思うのだけれど。
まだ手間暇かけていないし、私が忙しくって構いきれていなかったのも勿論あるのだけれど。それくらいで不貞腐れるとかメンヘラ過ぎない? 不自由な思いをさせてくる割にはこの男、とか。もっといい男いるだろとか。そうは思っても、こいつ以外に跨っている自分が想像できなかったりもする。
いつかちゃんと大好きになるのだろうかとか、お別れの時に悲しいと思うのだろうかとか。そういうのがまだ分からない。
ただ現時点どう考えても、人間のオスよりかはこいつの方が遥かにマシ。
初めて鶏を轢いた夜
昨年からようやく人間関係をリセットできるようになった。名古屋に戻ってきてから友人という友人がいないものだから、合わないなと思っても多少嫌なところがあったとしても、多少というかもう本当にとんでもなく嫌なことを言われたとしてもずるずると関係を続けている相手が多くいたのだけれど。それらを少しずつ切っていった。
バカにされているなと分かっていながらも長年続けていた関係も、切ってしまえばなんてことはなかった。友人が少ないということを小ばかにしてくる人も一定数いるものだからそういう人のことも早々に切るようになっていった。少々の違和感だとしてもそれは後々大きな確信に変わっていくものだし、ひとつの失言だとしても、言葉を間違える人は今後も間違え続けるのだから、一緒にいて嫌な気持ちになることはもう分かり切っている。
それでここ1ヶ月で切ろうかなと悩んでいる相手がまたひとりいる。
お金を貸してくれないかな、と言われたことがきっかけだった。
その前日に彼女は私に対して「ホスト行かない?」と誘ってきた。初回3000円で飲めるから行こうよとのことだったのだけれど、そもそも私はお酒を一切飲まない方の人種である。あと、ホスト苦手。
一応もしかすると「めちゃくちゃどタイプ!」な人がいる可能性に賭けてそのお店のキャスト一覧を調べてみたものの、しっかりとした肩幅と目力をお持ちな方ばかりでヒィッムリデスッとなった。
楽しくないことに3000円も払うのは高いと思う。
その3000円で自分の好きなものを買いたいし好きなことをやりたいので、ここで付き合いでホストへ行ってしまったら割と早いうちに後悔するだろうなと思った。
なのにその翌日にお金を貸してほしいと言われた。
1000円、2000円くらい貸してほしいと言われた。
ホストのくだりから薄々分かっていたのだけれど、恐らく友人は3000円を小額だと思っているのだろう。
そう思っているから、1000円や2000円に困るような生活になるのだろう。
お金を借りる時に「5000円くらいでいいから」と言ってくる人は多い。くらいってなんだよ、いいからってなんだよと思う。ろくに労働をしていない人に限ってこうだ。少しでも社会経験があれば、それが昼職だろうと夜職だろうと働いたことさえあれば、数千円を稼ぐためにどれほどの苦痛があるかは想像に容易い。
苦痛を得なければ稼げないような額を、金銭にだらしのない人間が返せる訳がない。どうせ働かないんだろうし。
「私も給料日前で余裕がないから貸せないなあ」と濁した。
それで納得してくれなかったのかそっから数日は「おはよう!」「お疲れ様!」と挨拶の連絡が来ていて、私が未読のままにしていると送信取消になっていた。 催促なのだろうなと思ったら気が悪くって、こちらも大して思い入れのない数年間の付き合いを思い起こしながら潮時だなあと思ってしまった。
無心されたこと以外にもここ最近彼女に対し立て続けに不信感を抱いていたというか。不信感ではないな。このまま仲良くしていていいわけがないということに気付き始めていた。いつまでおんぶにだっこで過ごすのだろうとか、30代になってからも付き合っていたい友人ではないなとか、そう思うと切り時を探していたのかもしれない。
すっきりしないなあと思いながらもツーリングに出かけたいなと思い夕方にSNSでツーリング相手を募集したところ、カメラマンの知人が写真を撮りに行かないかと声をかけてくれたため撮影を深夜決行することにした。
知人はカメラマンであるから、機材等を積む必要性があるものだからそれなりに大きな車に乗っている。対して私はエイプ50なのでどこか撮りに行こうとなるとどこで待ち合わせをしてどこから私が車に乗り込むか等の問題が毎回ある。
今回は一応出先だったものだから「一度着替えてから集合したいので深夜1時にこの駅前で落ち合ってそこから撮影場所に向かいたい」とこちらがお願いをした。
夜、着替えを済ませて多少の化粧直しをした後に待ち合わせ場所へとエイプで向かった。駅前で落ち合ってからどこで撮ります?と候補をいくつかあげながら、片道30分は遠いなとか店の明かりや街灯等の条件などを気にしながら一か所を選んだ。大昔にそこでサイバーパンクのような光の入りの写真を撮ったことがあったのを思い出したのと、集合場所からは比較的近い場所にそこはあった。
ただ、大通りから抜けた後の道が分かり辛いこととエイプのマフラー音でナビの音声がかき消されてしまうことからお相手に車で先導を頼むこととして、私はそのあとをついて行くことにした。
真夜中とは言え、暑かった。汗が流れるほどではないのだけれど湿気が肌にまとわりついてきて毛穴を塞いできて苦しくなる。国道を走りながら少しの風を感じるもののその風自体が生ぬるくって、今夏にいるんだなと思った。
車と原付だからたまに距離が大きく開く。けれど信号のところ大抵追い付く。
夜だし私たちのほかに車は走っていなかった。見失うことも間に他の車が入ることもなかった。けれど、暗く静かな夜の下を走ること自体に不安がまったくないわけではない。何に対する不安なのか、恐怖なのか、分からないのだけれど。ああでも、金貸してって言われたあの件で情緒が引っ張られているのかもしれないなとか思いながら知人の車を追いかけた。
途中、道路の真ん中に何かが落ちていることに気が付いた。
大抵、それらは気のせいである。気にしすぎであり見間違いであることがほとんどだ。大きめの木の枝だったり、車のスリップの痕跡であったり、何か塗料が広がっているだけだとか、食べ残しを入れたビニール袋が轢かれ続けた後であったりだとか。
大抵の場合、身構えていたところで肩透かしであることがほとんどだ。
けれどごくまれに、踏むことがある。
私もぼんやりしていたというのもあるし、合流のある地点であったこともあり、少しでも左に寄ると大量の小さなライトを踏むことになってしまう。絶対に躓く。かといって右に寄るには大きく動く必要があって転びかねない。
それが鳥の死骸である、と気が付いた上で轢くという選択をした。
潰されて広がった鳥の死骸だった。
山道を走り慣れているため、猫だとかイタチだとかそういった死骸は夜中目にすることは多かった。部屋で猫を飼っているしフェレットだって好きだし、だから彼らの死骸を見ると胸が詰まる思いであるし、絶対に無理なハンドルの切り方をしてでも避けて通るようにしていた。
ただ、私はあらゆる動物の中で鳥類だけはどうしても苦手だ。
ペットショップに勤めたいと子供の頃から思っていたけれど、鳥嫌いが大人になっても克服できなかったためその夢は諦めた。養鶏場勤めの男性と付き合っていた時期もあったのだけれど、彼が毎日鶏に囲まれていると想像しただけでもゾッとした。
鳩が嫌いという理由で寺社仏閣へ近づけず、テーマパークでもあまり楽しめた思い出がない。町中にいる1羽2羽だけでもダメで、鳩を見かけたらもう違う道を選ぶようにしているし、鳩が歩いているのに向こうから勢いよく自転車が突っ込んでくると、「鳩が飛び立つ」ということに身構えて頭が真っ白になり動けなくなることが多い。
とにかく、鳥がダメなのだ。
道端で煎餅になっている鳥の死骸を見て気持ち悪いだとか思うことはあっても、可哀想だと思ったことは一度もない。気持ちの悪さで数日記憶に残ってしまったりだとか食事が喉を通らなくなることは度々あったのだけれど、アレに感じるのは嫌悪感のみである。
ただ、気持ちが悪いと思うからこそ今までは轢いたことがなかった。
2018年に原付免許を取得して以降この6年で、動物を、死骸を、轢いたことが一度もなかった。
初めてその上に乗り上げた時、それは大袈裟な衝撃もなく本当に小さなものの上を通過した程度の、そんな感覚しかなかった。スッと上を通った際、自身が轢いたものが鶏であったことに気が付いた。なお気が悪かった。
羽の一枚でもタイヤに張り付いたら気味が悪いなと思い次の信号で停まった際にタイヤを気にしてみたけれど、特にこれといって何か張り付いている様子もなかった。
現地に到着してからも手押しで原付を移動させている間に多少気にしてみたけれど、動物を轢いてきたという痕跡はこれといってなかった。
痕跡がないということは、轢いていないのかもしれない。そもそもあそこに死骸なんてなかったのかもしれないし。
そう思ってはみたけれど、撮影の帰り道、対向車線から確認することが怖かった。アレを鶏だと私が認識したのは暗がりの中の白い体毛だった。そして一瞬だけ目視した程度の骨だった。細い脚だった。あれは鳥で間違いがなく、鶏で間違いもないのだろう。国道の大きな交差点手前であるし、輸送中に一羽落としたに違いない。知多半島には養鶏場が多くあり、サービスエリアなどでぎっしりと鶏が詰められたトラックを子どもの頃に見たことがある。アレだってだいぶ長いこと記憶に残り続けたな。
だから私は今でもドナルドダックのお尻が苦手だ。
ああ不愉快ってこうも重なるものなのだなあと思いながら、アパートへと戻って行く道中。夜の下をひとり走りながら次は何を考えようなどとポカンとしていた。
その時々の気持ちであるから
言葉が遅い子どもであったそうで、尚且つ言葉が少ない子どもでもあったそうで。大人になってから知能検査を受けてみたら言語能力だけが突出している代わりに他の能力がすべて人並み未満であることが判明したのだけれど、それでも未だに自分に言葉があるという自覚はそうない。
話し言葉が特に苦手である。話すのも聞くのも理解するのも難しい。
なので、人と話すことがあまり好きではない。
一章前でホスト行きたくないと言っていた理由もそれがある。
その時々の自分の気持ちや言葉を大切にした方がいいかもしれないと医師から言われた際に、私にそれは向いていないぞと思った。
私は一過性の感情やムーブを酷く軽蔑している。一過性の感情に振り回されている友人たちを見ると幼児じゃないのだからと思ってしまう。幼稚な振る舞いや整合性の取れない感情や言語は隠すべきものであると思う。
振り返ってみれば、その感情には同意できない、と過去の自身に対しても否定的であることが多い。過去の自分よりも今の自分の方が経験や知識が上回っているのだから当たり前だ。
かつて思っていたことや感じていたことへの答え合わせの結果、間違っていましたと気付いてしまった時、それらをなかったことにしたいと思ってしまう。その当時の自分の気持ちだとか言葉だとか、そういうのどうだっていい。今の自分は少なくともそうは思わない。
まったく違う人間かのように思えてしまい、時折昔の自分を不気味に思う。
私の方から連絡していないので当たり前であるけれど、もう連絡は途絶えたままになっている。インストに足跡は着くが、連絡は来ない。こちらから送れば返信はあるのだろうけれど、それは「来たから返しただけ」であり自分の意思で私に連絡を取ろうとは思ってくれないのだろうな。私も私で、来たら返したいというだけであり自分の方から連絡をしたいと思っていないのだから、もうどん詰まりである。
火曜日に脳波検査を入れていたことをすっかり忘れていて、検査の30分前になってそれに気付いた。出先だったから近くの駅から電車に乗れば着くには着くのだろうけれど、保険証だとか診察券だとかは全部部屋に置いてきている。
脳波検査は医院の診療時間外に行われるため、一日の受け入れがだいぶ少ない。私の担当医の出勤が週に1日のみであるためなかなか予約を取ることができず1ヶ月2ヶ月機会を逃し続けた末にようやく取れた空き枠であった。なのに、忘れていた。
すっかり抜け落ちていた。
スケジュールアプリにも書いていたし、カレンダーにも書いていたし。実家のカレンダーにまで書いてあったのに。ていうか実家の親はカレンダーを見ていないのだろうか。なんで連絡してくれないんだ。私が自分でスケジュール管理できないことくらい知っているだろう。どうしてこうも私の世話を怠るのだ。
と、暑さの中で苛立ちながら親に検査の日を忘れていたと電話を入れた。
親が病院に電話をしてくれて、とりあえず薬だけ今週中にもらいに行くことになった。脳波検査はまた予約を取り直さなければならないらしい。面倒だ。
しっかりしないとなと思うのだけれど、ぼんやりとしてしまう。
仕事を辞めてニートになったのだからこの有り余る日々をどう過ごそうと思うのに、何も思いつかない。ただ自分のアパートか実家のどちらかでゴロゴロと寝ているかSNSを眺めている。何かしなくてはと思うのに、何もできる気がしない。気力がわかない、体力もない、なんか面倒だし。暑いし。具合悪くなりそうで何もしたくない。
そうは思いながらも、仕事を辞めてから退職の手続きをしに各所を回りはしたし、その帰り道にひとりでステーキ屋に入ってハラミステーキを食べた。
しっかり成し得ているな、私は。
海とか行こうかな、とぼんやりと思う。
昨年はあんなにもツーリングを楽しんでいたのに、エイプになってからあまりにもエイプへの信用のなさから全然出かけていないのではないかと思った。
夜に涼しくなったら海へ行こう、というところまでは決められたのだけれど、どの海に行こう、からが進まない。
蒲郡、と思ったけれど遠いしなあとか、岡崎八帖からの一本道が本当に退屈で仕方がないことを思うと嫌過ぎる。あと割と最近西尾遊びに行った帰りに通ったんだよなあの道。そう何度も通りたくはない。
かといって三重は遠い。エイプが途中で動かなくなっては堪ったものじゃない。あと疲れるし、トラックに追い越されるあのハラハラを思うともう今から乗り気じゃない。
となると、野間。でも私野間ばっかりいってるなあとか、りんくうビーチとかは今の時期夜中でも人多いだろうなあとか。グルグルしながらツーリングマップで海水浴場を部屋から近い順で調べてみたら、ひとつだけ行ったことのない場所を見付けた。
使う道も途中まで苦手な道路が一本もなく、途中からは走ったことのない道になる。これは楽しいに違いない、と思った。場所も野間や三重ほど遠くはなくて、恐らく陽気な若者が屯ってもいなさそう。
東京に出ていた時期がありあまり土地勘がない、とは言え子どもの頃から愛知で育っているのだから、あまり行ってはいけない場所があるということに関しては心得ているつもりである。特に生まれ育った知多半島は海沿いであるものだから水難事故も多く水害の被害をモロに受ける。加えて夜間は街灯が少ないものだから治安にも問題がある区域がそれなりに多い。人が住んでいないけれど一晩中稼働している工業地帯は大型トラックの出入りが激しいわりに平凡な二車線道路であったりもする。
できるだけ通りたくない道路や町が多い中で、今回選んだ海辺の公園はだいぶ条件が良いのではないかと思えた。
22時過ぎくらいまでスマホを充電器に繋げて、その間にペットたちに餌やりをする。SNSを確認すると特定のフォロワーの投稿が途絶えていた。恐らく夜勤というか残業というか。日勤だと聞いているのだけれど終電を逃して始発で帰るとかもういっそ帰らず2周目に突入するだとか。子供の頃に聞いた東京のサラリーマンのようなことを彼はこの令和にしている。
辞めないのすごいな、と思う。
彼曰く、様子見らしい。
私だったら1度でも終電逃したら二度と出勤しないんだけれども、一般的な社会人は1度や2度で飛ぶような真似はしないのだろう。割と不平不満を言っていても、なんやかんやで一寸の我慢ができてしまうし社会人フェイスが備わっているという点、そういうところすごいなと思っている。
22時になってそろそろ行くかと重い腰を上げる。
ナビの音声はどうせマフラー音にかき消されるので、事前にある程度右折左折の地名を頭に叩き込んでおく。ウィンドブレーカーにスマホとミンティアと煙草を突っ込んで、リュックにお茶と免許証と1000円札を入れて部屋を出た。
鶏轢かないといいなって夜
苦手な国道を使わずに市外へ出る道がある。
かつての通勤経路であるので迷うこともないし、アップダウンが激しいとはいえ車通りは少なくカーブもない。山を切り開いて作られた平和な道だ。そっから一号線を使わずに西三河へも知多半島へも出ることができた。
途中までは知った道である。というか結構頻繁に使った道だ。
右手にあるウェルシアで当時入手困難と言われていたリプモンを買った。田舎過ぎて若者が買いに来なかったみたいで超穴場じゃん、全色選べちゃう、と思いながらも自分に絶対に似合うであろう無難な色を一色だけ選んだ。
そういうところが自分はつまらない。
けれど普段選ばないような色で冒険してみても後々使わなかったりして、なんでこんなもの買ったのかとかこれどうするのとか、ゴミ部屋で自問自答するのも嫌だし。
幻視や幻聴がある、というのは『ふわふわたっとんお迎えレポ』でも書いた。
夜の山道は特に怖い。症状が現れなくとも、万が一にもという不安がずっと肩や背中にしがみついてきて、その不安が全身を包み込もうと毛穴や爪の間から侵食してくる感触がある。動物の死骸だってあるし。軽率に読んだホラー漫画のエピソードを急に思い出してしまったりだとか、持っている知識や経験から形成されていく「もしかしたら」の恐怖は徐々に進化していって取り扱えない規模の恐怖がやってくる。
山道でなくても、ただの産業道路だとしても、左側の街路樹が少しでも道に向けて伸びているとそれだけでもう怖くて仕方がないのだ。
この日も伸び切ってすらいない街路樹の、生い茂る葉の中に白い人の顔が見えた。それがどんな風貌でどんな表情であったかまでは認識ができない。実際に見えていないのだから当たり前だ。
幻視ってどういう感じなの?と言われると、不明瞭さだとか杜撰さで言うのであれば夢と同じくらい。切り替わりの雑な夢。起きたら忘れているのと同じようにふっと見えてふっと忘れる。
その繰り返しをずっと続けている。
勿論怖い。
ふっと街路樹の中に見えた人、対向車線に見えた気がする人影、道路の上をグネグネと形を変えて見える影や光も。
こういうのを視るために走っているのかもしれないとも思う。
これらは私の知識と経験が生み出すものであり、内在するものであるから。私にしか見えない私だけのものであるから。ひとりになりたくって海へ向かう道中、私だけの時間だと思う。今ひとりっきりだなと思う。そのことにとても安心する。これらが見えていることは誰にもバレていない。私が何を見て何を感じているか、言わない限りはバレないことにホッとする。
街灯のない山道を上ったり下ったりとする。その間に車から数度追い越された。まだ起きている人がいることにホッとしたけれど、22時だもんなあ。一度暗すぎて、ライトを上にしても下にしても道が見えない程の暗がりがあった。左右に何もなさ過ぎて、道の続きが少しも見えない。ただ、行き当たりでないことを信じて真っ直ぐを選んだ。
カーナビは5キロ以上道なりとしか言わない。次どこで曲がるかは事前に叩き込んだ記憶だけが頼りだった。
左右に何にもない細い道を走りながら、今ガス欠したら嫌だなと思う。
一度ガス欠を経験してから、2度3度と同じことをやらかした。一定の走行距離ごとに余裕を持って給油するようにしていたのだけれど、走り方に癖がついてしまったようでその距離分走り切る前にガス欠になることが増えている。犬山とか瀬戸の往復は問題なくやれていたのに、アレは不慣れで慎重な走行をしていたからかもしれない。急アクセル急ブレーキは勿論のこと、ギアチェンを怠ることが最近増えてきているし。
片側一車線道路をとろとろと走りながら、たまに後ろから車が来る気配があればギリギリまで左側に寄りながら。
やがて田んぼの真ん中から工場地帯の細道となった。左側はずっと工場、右側はずっと山。街灯はないし対向車も来ない。工場も明かりが消えてしまっているところが多くって、ただコンクリと鉄の塊が左側にそびえたっているだけだった。コンビニもガソリンスタンドもなくって、目印になる明かりも灯っていない。寂しい。
寂しいな、とふと思った。
夜ツーを始めたばかりの頃は、目的地に着いたら誰かが待っていてくれるだなんてそんな想像を何度もした。行きも帰りもひとりで現地でもひとりで。それを楽しめるようになるまでに時間がかかった。
こんなところに一人で放り出されたら。万が一にもエイプになにかあったら。朝を待たないといけないのだろうな。暑い中、虫とかに刺されるんだろうな。変な人に連れ去られたりしたらどうしようとか。
コンビニどころか自販機すらない。
ちょっとした信号のところで曲がってきた車が私の後ろについたので、慌てて道を譲ろうと左側に寄ったのだけれど、一向に抜いてくれる気配がない。この暗がりの中をスピード出すの怖いな嫌だなと思っていたら、割とすぐにどっかしらの工場の敷地内へと入って行ってしまった。
のんびりと走っているとそのうち民家の明かりだとかが見え始めて、やがて大きな橋に出た。
あ、コレどこに来たか分かった。
碧南からの帰り道にいつも通っているところ。
橋を渡り切ってから斜めに右折をすると、いつも通る産業道路に出た。
本来片側二車線の道路なのだけれど、昨年の冬辺りから工事をしているらしくってずっと片側一車線となっている。産業道路なものだからトラックも多く、原付で走るには結構顰蹙を買う。夜は夜で働く車も多いものだから結構な不安だ。
トラックに追い越してもらう間低速で走るのだけれど、追い越してくれないトラックもいる。ただ私が低速で走って邪魔をしているだけの原付になってしまうことがある。車間距離がどんどん縮まっていくのに追い越してもらえない時、ああもうという焦りと苛立ちとそれ以上に大きな感情があるのだけれど。
この道は今工事中ということもあり余計に舗装が剥げている部分が多い。道路を真っ直ぐ走ろうにも斜めに亀裂が入っている箇所があまりにもあって、それらを踏むことで車体が傾いてしまったり転びそうになったりもする。亀裂を踏まないようにするためには道路の真ん中、時には右側へと逸れる必要があるものだから、後ろに車がいると走り辛い。頑張って左側だけを走ろうと思うと雑草の穂が頬を撫でたり、細い植物の葉に腕を切られたりもする。
ぐらつきながら急かされながら走行し続けた後に、普段曲がる地点より少し早めに左折となった。
そっからまた工場地帯に入って行った。
右折、左折、の間に見える景色が新舞子の産業道路に近いなとか思いながら、古い知多半島の町はどこも似たり寄ったりなのだろうとも思った。
そうして到着予定時刻が近づく頃に信号を曲がったら、視線の先に大きなタコの遊具が見えた。
須磨海岸緑地
別名タコ公園というらしい。釣りスポットであると書いてあったから人に出くわすのも覚悟の上だった。駐車場はチェーンがかかっていなくって、公園利用者以外はご遠慮くださいの旨の看板が見えたような気がしたが、公園利用者なのでそのまま敷地内に入った。
白色のバンが駐車場の奥に停まっていた。
多分、中で人が寝ているんだろうなと思いそちらにライトを向けないようにしながら駐輪する。
シーズンなので普段のような海水浴場へ行くと人がいるだろうと思った。花火をしている若者だとか近くの宿泊施設に遊びに来ている若い夫婦だとか。そういうのを見て悲しい気持ちにはなりたくなかった。誰かと一緒に来られないのならもういっそ一人が良かった。
煙草をポケットから取り出してそれに火を付けようとしたら、風向きのせいで火が何度も指に触れる。自分が体の向きを変えてそれでなんとかついた火はちょっと頼りなくってしばらく煙を吸い込めなかった。
湿気が酷く、蒸し暑い。
公園横にある工場には明かりが点いていてそれのおかげでスマホの懐中電灯を使わずに公園内へと移動ができた。堤防の向こうを覗き込むと少しのスペースもなくもう真下には海があった。海水浴場と違って浜辺とか。ちょっと降りるスペースだとか。そういうものはないらしい。
先日、こうも寂しくなる原因となったその男とも海へは行っていた。
彼と行ったのもこういう感じのコンクリから海を見下ろす程度の場所だったのだけれど、そこに座り込んで水面を眺めていたらパシャッパシャッと時々跳ねる音が聞こえて、水面に広がる波紋が思いのほか大きくって、コレ大きめの魚? イルカとかいる海? とかそんなことを言っていた。
ああ、海行ったなあそういえば。
煙草持って行くの忘れていて、ぼんやりとただ海を眺めながらコンクリに腰を下ろしていた。潮風がベタベタしていて暑くって、私今変な匂いとかしないかな大丈夫かな、あとで汗拭きシート使おう、とか思いながら。
あの夜って結局色んな市を跨いでただずっと取り留めのない話をしながら助手席に座っていて、それだけで満たされていたのに。私、それ以上求めるつもりなんて何もなかったんだけれど。
もっと我が儘とか言えば良かったかな。他の女と連絡とるなとか。他の女と遊ぶなとか。そういうの言っても良かったのかな。良い訳がないよな。
ダラダラとチェーンスモークをし続けながら、インストにエイプと海の写真を載せておく。まあ最悪彼が見てくれなくっても、二輪アカウントであるから他のフォロワーさんが「え、いいな」くらいに思っておいてくれればそれでも充分にありがたい。
相手は今日もどこかで誰かと遊んでいるのだろうかと一瞬考えてもみたけれど、いや平日だからそれはないと思い直した。相手の職場は土日休みで、一般的な勤務時間であると聞いていた。週替わりで夜勤もあるとのことだから今はもしかすると働いているのかもしれない。
昼間でも夜中でもインストに足跡がつくものだから、今日がどちらの日か分かり辛い。そのくせ休日は全然つかないから、ああ誰かと遊んでいるのだなということだけは分かりやすい。
別にいいのだけれど。
今でも好きかと考えたら、別に好きではない。
一度の失敗すら許せない程矮小である私が、あれだけのことがあってまだ相手を好いている訳がない。ただ、許せないとかそういう執着心なのだと思う。あと、今度こそ幸せになれると思ったのにだとか、いつになっても報われないかつての出来事だとか、そういう私怨がワンセットになっているものだからさも相手のことが好きかのような思考回路となっているのだけれど。
好きではない。
先日出かけた海同様、水面の波紋はそれなりに大きい。定期的にパチャパチャと聞こえる音に、釣りとかやったら楽しいのかなとか思う。でも釣った魚ってどうするの?食べるの?食べて大丈夫なの?工場地帯の海なんだけどこれは。
対岸にはちょっとした工業夜景が広がっていた。煙が空に流れているのを見ながら、一年前の執着も思い出す。めちゃくちゃ三重県行っていたな。
なんかこう、私がもうどうしようもない奴であることは誰から見ても明白なのだから、相手側が上手いことやれないものだろうか。最初から関わらないという選択肢を取れないものだろうか。
一般男性に取り扱えるような人間でないことは分かり切っているはずなのにどうして放っておいてくれないのだろうとか、余計なことをしてからリリースするのだろうとか。
上手いこと距離を取っていい感じに関係を続けてくれている友人も中にはいる。片手に収まる程度とは言え、大学時代からの友人も新卒時代からの友人もまだ繋がっている。
できる人にはできることで、できる人というのが少なからずいるのだから。
できないのなら放っておいてほしかった。
せめて余計なことはしないでほしかった。
不愉快だったなあ、嫌いだなあ、で終わればいいのに。不幸になってほしいだとか痛い目を見てほしいだとかその後を求めてしまうのだから、なかなか終わらせられない。
こうダラダラと恨み節を言っていることで更に周りから人が減るのは分かっているのだけれど、それでも立ち去らない人がいることを知っているからその善意に甘えっぱなしでいる。
いつまでいよう、と煙草を吸いながらどこか腰かける場所もないので腰を庇うような体勢で立ちっぱなしでいたら、インストにいいねが付いた。関東の友人たちだった。ライダーさん達からもいいねが付き始めた。いいだろういいだろう。そう思いながら煙草を消して、曲がりっぱなしだった腰を伸ばす。そろそろマッサージ機なりなんなり、コリをほぐすための何かを買いたいな。無職になったのだからそう凝るようなことももうない気もするのだけれど。
1ヶ月で飛んだとはいえ初任給が今月末に振り込まれる。
何に使おうな。自分へのご褒美とか色々考えていたけれど、ご褒美に使っていいのか怪しいな。
このままでいいのかどうか分からない。
生きていけるのならいいかもしれない。誰かに迷惑をかけているのだとしても、私だって人からの迷惑を耐え忍びながらこの歳になったわけだし、そういうのって考えだすとキリがない。人のこと迷惑って思いながら生きている人の方が本来少ないはずだしなとかそんな自分に都合のいいことを考えて着地する。
駐車場へ行くと、白バンがいるだけで車は増えていなかった。
キックを二度失敗した後エンジンがかかり、駐車場を出た。
すぐに近くの工場の人と思われる男性数人が歩いてくるのが見えてしばらく路上で通過を待ちながら、何時に帰れるかなと無限にある時間のはずなのにそんなものを気にしていた。
心のない人になりたかった
人付き合いが苦手であるため複数人で活動していた同人サークルを解散させて以降、ずっと一人でやっている。文章もイラストも校正も入稿もだ。得手不得手が極端にある自分にとって特に辛いのは印刷所とのやり取りだとか入稿方法の確認だとかそういった事務的な作業だ。このためだけに人数を増やしたいと思うこともあるのだけれど、今のところ自分でやれているし。万が一にも引き込んだ人が自分よりできない人だったら何のためのお前だよとか言ってしまいそうだし。
以前、そういう発言をしたせいでサークルを解散しているので。
あの後、色んなサークルと合併の話だとか寄稿の話だとか掛け持ちの話だとか色々あった。
色々あったけれど、絶対にうまくやれないと分かっていたから断っていた。私は人に対して優しくすることができない。自分のことで手一杯なものだから、余計な負担をかけてくるのなら今すぐ縁を切りましょうという趣旨の発言をしてしまう。
「余裕ないから」「ちょっとこっちもそれどころじゃない」「なんで? 約束したじゃん」「全部嘘だったんだね、もういいよ」「忙しいんだけど」
直近1ヶ月を振り返ってみても上記の発言はすべてしている。全部同じ相手にした。これ言われても次々と連絡を寄こしている相手も相手だと思う。
切り時だと思う。
例の、お金貸してって言ってきた相手だ。
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