『隠しとは言わないよ……』
セイカは、料理が壊滅的らしい。むしろお菓子作りができて、なぜご飯が作れないのか。
わたしは目の前にあるクッキーをひとかけらつまむ。しっとりした生地の中から、バターとほのかに香るシナモン。ほろほろと口の中で解けていって、味わっていたらいつの間にかなくなった。
玄関が開く音がする。本人が帰ってきた。エコバッグと商品が擦れる音がする。ドスン、と大きめの音がした。ついでに米でも買ってきたのだろうか。指定した料理の割に重そうな音だった。
セイカは手洗い、うがいを済ませて部屋に入ってきた。ちらりと見えた袋の中からは、緑色の長いモノがちらりと覗いていた。
ポトフに入れる、緑のもの……?
「何買ってきたの?」
対面キッチンの小窓からちらりと覗く。当たり前にじゃがいもとにんじん。なぜか豆腐、生姜チューブ、醤油まである。冷奴?
「ポトフの材料と、ついでに色々買ってきた」
長ネギと冷凍パスタを両手に持ってニコニコと答える。袋から覗いていた緑のものは、ネギだったか。冷奴に合わせるための。
わたしが納得しているうちに、どんどんと購入品が冷蔵庫、ストッカーの中に吸い込まれる。殆どが冷凍食品やら、湯煎だけでできる肉じゃがの類、カップ麺、ふりかけやら鮭フレークやら、お菓子数点。料理の材料なんてものはポトフの材料以外ない。
「これとごま油で味付けした納豆美味しいんだよ」
とか言ってコチュジャンを冷蔵庫のポケットに放り込む。まあ、美味しそうだが。
ただ料理をしていないだけで、そんなにまずいものは作らなそうなのだが……?
泣きついてきたろっぷの姿を思い出す。彼女は隕石でも落ちてるのかという悲壮感を顔に表していた。見た感じ、地球は滅亡しない。むしろ発展していきそう。
わたしの脳内分析をよそに、セイカはどんどんと食材やら調理器具やらをキッチンに並べていく。さすが、お菓子作りを得意とするだけあって調理器具はしっかりと揃っている。しかし一向に長ネギが並べられている。もしかして、冷奴を合わせられるのか? それだったら、不安がる気持ちもわからなくない。でも、世界は終わらない。ちょっと注意するだけで変わるはずだが。
何の力も入れずに、包丁がじゃがいもを切っていく。包丁の手入れはしっかりしているようで、キッチンのライトをキラキラと跳ね返すし、料理番組みたいにトントンと良いリズムが響く。ウインナーも皮まで綺麗に包丁が入る。ボロボロじゃない。にんじん、キャベツ、ブロッコリー。色とりどりで美味しそうな材料たちが食べやすい大きさに切られていく。
「これで切るの最後!」
セイカは長いモノを握りしめる。キッチンの端っこに永久に鎮座していた、長ネギだ。
まだ味噌汁ならわかる。ポトフ……玉ねぎじゃなくて長ネギ。私の驚きをよそに、セイカは根っこを切り落とす。そして、微塵切りとかそんな優しいモノじゃない。しっかりと食感が残るくらい分厚く切る。豚汁とかじゃないんだから……
これは、セイカがどのようにしてメシマズ料理を作り上げるのかを確認するためのもの。セイカにはいつものように作ってとしか言っていない。レシピも見ずに、わたしの助言もなし。言いたいけれど、ルール違反。目が飛び出ているけれど、言いたいことは唾と共に飲み込んだ。ちなみにセイカはポトフを作るのが初めてらしい。
セイカは何も気にせずに、材料をコトコト煮込んでいく。鍋の蓋を開けると、閉じ込められていた湯気たちがぶわっと周りを舞う。コンソメの良い香りが漂う。長ネギの香りと共に。ぐるぐるとお玉でかき混ぜて、もう一度蓋をする。ぱっと見は、まだ美味しそう。長ネギがなければ。
もしかしたら、長ネギを使ったポトフのレシピがあるかもしれない。わたしは、レシピサイトを色々探す。しかしなかなか見つからない。トマトが入っていたり、カレー風味だったり、ウインナーじゃなくてベーコンまたは鶏肉だったりとそんな程度で、玉ねぎは絶対に材料の中に書かれている。
十分に煮込まれたようで、セイカはお玉で少し掬って器に開けた。ほくほくにほぐれたじゃがいも、温まって色濃くなったブロッコリー、プリプリのウインナー、散らばっている長ネギ。スープを軽く啜って、首を傾げていた。長ネギの味がいつもと違う味にしてるからだろう。具材に竹串を刺して、火の通り具合を確認していた。これは私も納得の具合。じゃがいもとウインナーが特に美味しそう。
セイカは味に満足いかないのか、調味料を足した。胡椒らしき粉をふりかける。すると、甘い香りが漂った。
胡椒が、甘い?
脳みそがバグっていく。この香り、どこかで嗅いだことがある。悩みながら、クッキーを一口噛んだ。
同じような風味がする。頭を回して、この風味の正体を考えた。茶色っぽい粉で、甘くて、クッキーに合う……このクッキーに入ってたのは……シナモン。シナモン!??
長ネギに、シナモン……こりゃ、人によっては泣きつく。地球滅亡する。わたしがガッカリしている隙にも、どんどんとシナモンがふりかけられていたようで、甘い香りがぷんぷんする。
出来上がったポトフは、ぱっと見は美味しそうだった。ぷかぷかと浮かんでいる長ネギを見なかったことにすると。長ネギと、浮かぶ油を見ると、塩ラーメンのスープなんじゃないかと錯覚してくる。しかし、シナモンの香りがぷんぷんする。
「はい、できたよ。セイカ特製ポトフ! 隠し味にシナモンを入れてみました」
隠し味とは。香りがぷんぷんするのに、隠しとは何だろう。私の不安そうな眉間など知らず、セイカは自信満々そうに差し出してきた。
もしかしたら、食べたら美味しいかもしれない。恐る恐る、スープを口に入れる。長ネギとシナモンがケンカしている。形容しがたい味。コンソメはほぼ後ろに行って、隠し味の方になっている。
具材も、とことん周りがシナモン味。口に入れたら舌触りがブロッコリーの長ネギシナモン。噛めば噛むほどよくわからない味に変貌していく。まずいというか、想像以上。人類が理解できない味。
セイカも一緒になって食べる。その本人でさえ、この味に納得がいっていない。
「なんか、違うね。なんで?」
全くわかっていない。わたしは、飲み込んでいたツッコミを滝のように吐き出した。
「まず、ポトフに長ネギ入れないよ。玉ねぎだよ! だからなんか味変わったんだよ。そして、隠し味のシナモン! 全く隠れてないよ! むしろメインであるはずのコンソメが隠れていってるよ! というか何でシナモン入れるの?」
怒涛のツッコミに、セイカは目を丸くした。そして、理解したように言う。
「なるほどね、玉ねぎと長ネギじゃこんなに味変わるんだ〜。でもさ、シナモンは隠し味として最強じゃん?」
これは、もしかしたら「料理にはシナモンを極力入れない」と叩き込まなきゃいけないかもしれない。
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