
ダイソーの300円イヤホンは使うな
ダイソーの300円イヤホンと出会ってから半年、断線させて買い直してから3ヶ月。改めてこのイヤホンについて振り返ってもいいくらいの期間は経ただろう。
結論だけ書く。
失敗した。
とまでは、いかなかったけれど。
私が知らなくて良い世界だった、というのは確実だ。
因みに今までのイヤホンレビューが敬体だったのに対し、突然常体になって驚いている方もいるかもしれない。いや、いないか。
そんな仮想読者様方に説明すると、これはレビューという大層なものではなく(今までのレビューも全く大したものではなかったが)、大きめの独り言に過ぎないからだ。
買い直した青の300円イヤホンを普段遣いするようになってしばらく。絡みやすくほどきにくいコード素材にやっと諦めがつくようになった頃、ふと、Aluminumを使ってみようと思った。
それは、長い間付き合ってきたAluminumに対する遠慮だったのかもしれないし、ただ単にAluminumが手元にあっただけかもしれない。
しかし、その羽のように軽いハウジングを両耳に挿入し、いつも通りYoutubeの動画を再生したとき、頭に浮かんだのは「音質悪!」という漢字三文字と感嘆符だった。
もちろん、100円のSeriaのAluminumと、その3倍の価格である300円のDAISOのイヤホンの間には音質の差がある。それは前に書いた記事でも触れていたし、むしろ差がなければ詐欺だ。
そうじゃない。私はしばらく放置されていたがためにコードがカチカチになったAluminumを使ったとき、その音質の悪さからイヤホンを一度引っこ抜いてしまった。耳からではなく、ジャックからである。物理的な、何らかの接触不良を疑っての行動だった。
しかし当然、何度ジャックに抜き差ししても音質は変わらない。そりゃそうだ。これがAluminumの限界なのだから。
恐れに震える手で、DAISOの300円イヤホンを手に取る。ピンをジャックへ差し込み、ずっしりと冷たいハウジングを外耳道へ招く。
YouTubeで適当な動画を再生し、そのゲーム音に耳をそばだてる。
普通だ。
普通、だった。
かつては、Aluminumが普通だったのに。
私は前のレビュー記事で「高音質を楽しめるのはより高価なイヤホンに乗り換えた直後のみであり、どうせすぐに飽きる」という旨の文章を書いていた。しかし、いま思うと、この推察は甘すぎた、と言わざるを得ない。
正しくは、「高音質を楽しめるのはより高価なイヤホンに乗り換えた直後のみであり、どうせすぐ飽きる上に、それまでのイヤホンが聞けたもんじゃなくなる」。こうだ。
どうやら、オーディオ道というのは、一度奥地へ足を踏み入れると、もう二度と戻れはしないらしい。
これは非常に由々しき事態だ。これまで100円、税込み110円の音で満足していた安上がりの耳が、不必要に肥えてしまった。一線を越えてしまったのだ。
100円と300円の間には、およそ3倍もの格差がある。それ即ち、3倍長く使わなければならない、という事だ。
今までの100円イヤホンの寿命と言えば、本当にまちまちだが、平均して3~4か月はもっていたように思う。
つまり300円のイヤホンは少なくとも1年使い続けなければならない。
1年。私たちは気の置けないイヤホンを求めて、いくら粗雑に扱ってもよい、その免罪符を目当てに100円のイヤホンを使ってきたはずだ。そんな私たちが、イヤホンを1年安全に使いきれるか?
答えは否だ。事実私は体の下敷きになったイヤホンを力任せに引き抜き、当時は片方が断線しただけだと思っていた前任の300円イヤホンは、最近両方断線していたことが明らかになっている。
私たちは悪い音質と引き換えに、日々の細心を厄介払いしていた。
しかもこれは、100円のイヤホンしか使ったことのない音質貧民にとっては「音質の悪さなど気にならない」。無知は力なのだ。
それが、今ではどうだ。
DAISOの「高音質」などという言葉に踊らされ、実体のない益を得るために大枚叩いている。目くるめく資本戦争の尖兵として駆り出されている。
私たちは、いや、我々オーディオプロレタリアートは、決してDAISOの300円イヤホンを買ってはいけなかった。
あれは、正に、禁断の果実だ。