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フィルムカメラのすすめ〜幸福な無駄を愛する

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 これは誰かの受け売りだが、昔の家族写真のアルバムを見返していて面白いのは、観光地でピースしている写真ではない。旅行から帰ってきた後余ったフィルムを使い切るために撮った写真だという。
 それは疲れてソファーで寝ている親父だったり、風呂上がりの自分自身や兄弟だったり、昔住んでいた家の台所をただ撮ったものだったり。

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 そういう、アルバムの端っこの方に乱雑に仕舞われているような、一見無駄な写真こそ実は幸福に満ちあふれた写真なのかもしれない。

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 デジタル写真だとそのような数合わせは起きない。どんなに中途半端な数字の撮れ高でも関係ないし、気に入らない写真はすぐ削除することになる。手元には残らない。

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 フィルム写真は、36枚撮り終えたらもう次のシャッターは切れない。逆に言えば36枚撮りきらないと次のフィルムは詰められないとも言える。
 だからこそ大切に慎重にシャッターを切るけれども、結果として撮り逃しがあれば意味がない。しかし、無駄撃ちが過ぎれば帰り道に偶然雲の間から差した神々しい夕陽をとらえられないかもしれない。

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 恐らくフィルム写真を撮る者は皆そのようなディレンマを抱えてるはずだ。
 基本的には、後で足らなくなるよりは少し余らせるくらいに調整することが多い気がするが、結局何も撮らずに次の日に持ち越すこともあるだろう。そうなると、現像に出すために数合わせに無駄なものを撮ったりするのだが、そんな余りの写真が意外と良かったりするのだ。

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 幸福な無駄を愛そう。