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『Bell Deskにて・4』

 この話は2018年6月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第128作目です。

 隣国では平和に向けて歴史的に大きな動きがあった。お隣なのになぜだかそれほど近くに昔から感じられない。「近くて遠い国」というのはこういう感覚をいうのだろうか。

 そのほとんどは仕事が目的であったが、これまで結構な頻度でアジアを旅してきた。韓国は近いので国内の地方へ行く感覚で仕事でも余暇ででも何度も訪れていてもよさそうだが、台湾や香港、シンガポール、北京、上海の半分も訪れていない。やはり、「近くて遠い国」なのだろうか。

 以前から少し気になっていたお酒と食べものに関する二冊の本を最近手に取った。どちらも韓国に関する本だ。よく手に取る旅の本ですら韓国がテーマのものを手に取ることは少ない。手に取った二冊は著者が自分の足でそれぞれの場所を訪れ、自分の舌でお酒も食べものも味わって書いた本である。写真も豊富なその二冊を、気になったところに付箋を貼りながらあっという間に読了した。読後に久しぶりに韓国を訪れるのも悪くないという気持ちになっていた。特に未踏の地である釜山に行ってみたいと思った。これは自分でも意外だった。「近くて遠い国」という感覚が自分の中で多少薄らいだのかもしれない。

 韓国・・・といってもこれまで訪れたことがあるのはソウルのみだが、どれだけのホテルに宿泊してきたのだろう。初めて訪れたのは週末の休みを利用しての同僚たちとの慌ただしい旅だった。そのときはロッテホテルに宿泊した。丸々休暇で訪れたのはその一回きりだ。その後仕事で訪れるようになって主に滞在したのは、勤めていた会社のクルーたちの常宿だったこともあり、ヒルトンだった。他にはどこに滞在したのだろう。スーツケースに貼ってあるステッカーを頼りに記憶を辿ってみた。スイソテルとホリデイ・インのステッカーが貼ってあった。調べてみたが、ヨーロッパのテイストが感じられたスイソテルはもうないようであった。ホリデイ・インに宿泊したときには、ホテルから歩いてすぐのところにプルコギを食べに連れて行ってもらった。この二つのホテルに関しては将来書こうと思っている。

 ソウルヒルトン(現在は名称がミレニアムヒルトンに変わっている。この話ではソウルヒルトンとする)は観光客がよく訪れる南大門市場の近くにある。ホテルは結構な高台に位置していて、ホテルを背中に左へ坂を下って行くと右手に買い物客で賑わうその南大門市場、そのままさらに下って行くと南大門の通称で知られている崇礼門が見えてきて、そこがソウルのダウンタウンのひとつであることが感じられる交通量の激しい通りに出る。

 崇礼門は2008年に放火された。そのニュースを見聞きしたときには自分の中ではかなり衝撃的だった。前を車で通り過ぎながら遠目で見るだけで、自分の足で目の前に立つことはいまでも叶っていないが、交通量の多い今日の道路に囲まれて、その一角だけ時間が止まっているように見えた崇礼門の様子は好きな眺めであったからだ。2013年に現在の姿への修復が完了したという。ソウルを最後に訪れたのは2001年なので、私の記憶に残っているのは放火される以前の姿のままだ。

 ホテルを背中に右へ坂を下ると、下り始めてすぐの左手にコンビニが一軒あった。ミニストップだったかミニストップもどきだったか不確かだか、黄色が入った看板だけは覚えている。当時行きつけていた都内のバーで、常連客が持ち込んだチャミスルをお裾分けしてもらって美味しかったので、次のソウルの出張の際には必ず買って帰ろうと思い、そこで見つけて買った。飲み切りのグリーンの小瓶で1本80円くらいだった。その安さに驚いた。コンビニのところからさらに坂を下り、ホテルのエントランスと車寄せに当たる位置を見上げながらUターンするように歩を進めると、地下鉄のソウル駅がある。

 坂道は急勾配とはこのことというくらい傾斜がきつい。バスやタクシーに乗ったときは、自分がここを運転する場合は絶対にオートマチック車じゃないと辛いなと思った。歩いてみるとそのきつい傾斜をより体感できる。トラベラー各位の中には、ここまで読んで、「ああ、あそこか!」と景色が目に浮かぶ方もいらっしゃるだろう。滞在したことがある方もいらっしゃるかもしれない。

 仕事で訪れたときに、到着した日が大雪の降った翌日だったことがあった。外は氷点下でしばらくは溶けないだろうというくらいに路面は凍ってツルツルだった。仕事を終えた日の夜に母が合流した。仕事を終えた翌日は予め休暇をもらっていたので丸一日母と過ごした。宿泊はソウルヒルトン。路面が凍結している上に出歩くにはその傾斜のきつい坂道を上り下りしなければならないので、街歩きの出だしから結構な不自由を感じた。そのときが初めての韓国だった母の中には、韓国イコール寒くて歩き辛いところということが強く印象付けられたのではと思った。短いソウル滞在ではあったが、母は南大門で眼鏡を一つ作ったり、大好きな冷麺を真冬にも関わらず食べ歩いたりして初めての韓国を満喫していた。その眼鏡はつい最近まで愛用していた。いまでもお世話になっている大先輩のLeeさんのお家へ食事の後で寄らせていただいたのもそのときだった。

 母を金浦空港へ迎えに行き、ホテルに着いたのは21時を過ぎていたはずだ。ソウル便は飛行時間が短いので機内での食事の時間は結構慌ただしい。私もそのときは夕食を済ませてなかったので、一緒にホテル内のコーヒーショップへ行った。そこで後輩に以前から薦められていた石焼ビビンパを食べた。これが美味しいのである。今回この話を書くにあたって、ホテルのウェブサイトをチェックしてみた。そのコーヒーショップはCafé 395という名前だった。395は何を意味するのか知りたくて、問い合わせてみた。395とはホテルが最初に建てられた際の番地で、ホテルの顔となるレストランの名前に残したとのことだ。ここから将来に向けて全てが始まった・・・的な意味を込めたようである。石焼ビビンパのことも合わせて聞いてみた。アラカルトメニューとしていまでも存在しているとのことだ。トレイの上では石焼の器を囲むようにキムチなど様々な小皿が並んでいた姿が懐かしい。興味を持ったトラベラーは是非一度チェックを。

 引き続きウェブサイトを見ていると、デリとバーの紹介のところで目が止まった。機内食のビビンパとともにデザートとして予定していたブラウニーのチェックのために、同行した機内食課のシェフがデリで買い求めてチェックなさっていたことが懐かしく思い出された。コーヒーショップの入口のところにあったと記憶していたが、ウェブサイトによると、いまではシラントロ・デリという名が付いて独立している。

 シェフとの出張をご一緒すると現地の人たちが食べているものをチェックしに出かけるのが恒例であった。そのときは確か南大門市場を歩き、屋台でおでんらしきものとトッポキをつまんだ。途中いくつもキンパ(海苔巻き)の屋台を見かけた。海苔ではなく薄く焼いた卵で巻いたものが美味しそうに見えた。これは美味しそうですねとシェフに話すと、食中毒が怖いのでここでは控えて欲しいといわれた。ちょうどO157の被害が日本国内で出始めた時期だったからだ。よほど食べたそうな顔をしていたのか、その代わり成田に(日本に)帰ったら作ってあげるからと言っていただいた。

 一日の終わりに必ず一人で寄ったバーも健在であった。バーにはオークルームという名が付いているのを初めて知った。韓国のビールといえば、OBが有名であるが、現地の方に教わったHITEをここではよく飲んだ。ただ飲んでいただけではなく、ソウル便に載せるならどちらがいいか考えながら飲んだ。HITEのほうが美味しく感じた。ちょうどHITEがOBを勢いよく追随し始めた頃だったし、他社のほとんどのソウル便に載っているのはOBだろうと予想していたので、あえて載せるならHITEだと思った。その後しばらくしてソウル便にHITEを載せることができた。振り返ると、仕事を終えてホテルに戻って来てバーで寛いでいても仕事のことを考えていた。仕事が面白かった時代だった。

 ここでもベルデスクと話をしてステッカーを入手した。毎回慌ただしい旅だったのだろう、ベルボーイと交わした会話は覚えていない。続けて訪れている時期にロゴが変わったようでステッカーは二種類ある。これまでに、ミネアポリス、グアム、台北、北京のヒルトンに滞在したことがあるが、ロゴが統一されておらず、これら二種類のどちらかロゴだった。ちょうど移行の時期だったのかもしれない。

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二種類のロゴとステッカーです。左のロゴは上から2002年のワールドカップのステッカーを貼ってしまったので見えません。下のバゲージタグをご覧になってください。それぞれまだスーツケースに付いています。

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上のロゴから下のロゴに変わりました。                ウェブサイト上では現在でも下の字体が使われていました。上のほうがカッコよくて好きだなぁ・・・(苦笑)。

 全く読めないハングルだらけの街中からここに帰ってくると妙にホッとした気分になった。無意識のうちに「近くて遠い国」の街中で体が硬くなっていたのかもしれない。ホテル内はアメリカのホテルということとインターナショナルな場所なので、館内の表示は英語が必ず併記されていた。違和感が拭えないハングルから解放されて、慣れ親しんだ英語に囲まれたことでホッとしたのだろう。

 「近くて遠い国」という印象が強く、訪れた回数も少なければ思い出もそれほどないだろうと思っていた韓国だが、この話を書き始めたら結構いろいろなことがあったことを思い出した。長いこと忘れていた仕事を通して出逢った人たちの顔もたくさん思い浮かんできた。次回ソウルを訪れる機会に恵まれたら、やはりここに宿を取るだろう。そして、ここを拠点として読めないハングルに囲まれながら路地や小路に足を踏み入れてみたい。そのあとで自分の中での「近くて遠い国」という感覚にいくらか変化が見られるだろうか。次回の再訪で楽しみなのはそこかもしれない。

追記:

1. 文中の“お酒と食べものに関する二冊の本” は以下のチョン・ウンスクさんの著書です。気になったところに貼ったたくさんの付箋が見えるでしょうか。

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「うまい、安い、あったかい 韓国の人情食堂」双葉文庫       「港町、ほろ酔い、散歩 釜山の人情食堂」双葉文庫

上記二冊を読み終えたところで、ちょうどチョンさんの旅作家としてのこれまでを振り返るイベントが都内であったので参加しました。お話を伺って興味が湧いたので後日この本を購入しました。秋にまたイベントがあるらしいのでそれまでに読むつもりです。                   また付箋で一杯になるかもしれません(笑)。

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「韓国ほろ酔い横丁 こだわりグルメ旅」双葉社

以前台湾の話を書いたときに光瀬憲子さんの著書を紹介しましたが、

チョンさんと光瀬さんは同じ事務所(キーワード社)に所属していて、執筆とともにツアーや取材などのコーディネートなどもなさっています。

光瀬さんの著書は以下二話で紹介しています。

「旅先で食べたもの・11」

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/77fe6802b026

「旅先で食べたもの・12」

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/6a635de09990

そのキーワード社のコーディネートで作成されたこの小冊子を韓国観光公社から所定の手続きを踏んで送っていただきました。いいですね!

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2. 自分のために唯一南大門市場で買ったものがこのベースボールキャップです。もちろん黒もありましたが、こちらのほうが気に入りました。黒はまとめて買って職場のジャイアンツファンへのお土産にしました。値切ったとはいえかなり安かったと記憶しています。

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これまで書いてきた韓国の話は以下の通りです。合わせてご笑覧いただければ幸いです。

「お会計32万」

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/c9c949e860c3

「空港にて」

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/5b2de7c42558

「Air Force One」

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/8b1d00516a80

「汗・・・」

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/0bcf765727b7


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