『珈琲の香りに誘われて(1)』
2021年の元旦、母親宅で弟夫婦とともに新年の乾杯と食事を終えて自宅に戻った。
リビングのソファに落ち着くと、テレビではなくiPadの電源を入れた。テレビは殆ど観なくなって久しい。
YouTubeにアクセスすると、前回毎朝淹れるコーヒーのヒントでも探したのだろう、コーヒーに関する動画が次々と現れた。
適当に一つ選んだ。心地よいボサノバ調のBGM、ゆるやかで心地良さそうな陽射しが射す室内で、コーヒー器具が並んだテーブルを前に誠実そうな男女が座っていた。
器具の説明は丁寧で分かりやすかった。次は器具に合わせたコーヒーの淹れ方の動画を観た。これも思わず見入っていた。
気が付くと何本もその二人のコーヒーに関する動画を遡って観ていた。撮影場所は岡山にあるカフェ。男性の方はそのカフェのオーナーで「ぼく」さんで、女性は「なつみ店長」・・・などということがわかってきた。「へぇ〜、岡山か・・・」とぼんやりと未踏の地に思いを馳せた。
「暮らしと珈琲」というカフェだった。本のタイトルのような店名だが、カフェ内でコーヒー豆の焙煎もしていて、コーヒー器具も合わせて取り扱っていた。
動画でよく出てくる「甘みのブラジル」が気になった。オンラインショップで買ってみることにした。
一日お試しで100gだけ買った「甘みのブラジル」が届いた。梱包に始まり封入されていた手書きのメッセージまで、動画から伝わってくるお二人の誠実さが表れていた。
普段は深煎りをブラックで飲んでいる。少々酸味を感じる中深煎りの「甘みのブラジル」は初めての味。本当に後味にほんのり甘みを感じた。以来そのほんのりとした甘みを味わいたくなるとオンラインで買うようになった。
「甘みのブラジル」に親しんでくるにつれて、実際に岡山の「暮らしと珈琲」を訪れて淹れたてを飲んでみたいと思った。岡山・・・。
オーナーのぼくさんとお目にかかれるチャンスが唐突にやってきた。それも僕が住んでいる都内で。2021年の11月20日に東京でのコーヒーのイベントが急遽決まり、チケットを手に入れた。告知からイベントまでわずか数日というゲリラ的なイベントだった。
普段動画で観ている方が目の前にいるというのは不思議だった。前から知っているという錯覚に簡単に陥ってしまった。 一時間ほどのセッションでの入れ替え制のイベントだった。僕を入れて参加者はわずか二人という回だった。
動画で拝見しているそのままのぼくさんにネルドリップで淹れていただいたコーヒーを飲みながらお話をした。贅沢な時間だった。
コーヒー好きの間でネルドリップが改めて注目され始めたのはこの頃からだ。「またゆっくり。次は岡山で」と再会の約束をして会場を後にした。
土日休み以外に旅に出られるほどの長さの休暇がなかなか取れないままでいた。なかなか岡山へ行く時間も機会も作れなかった。
グズグズしている間に2023年に。またまたイベントで「暮らしと珈琲」のほうから東京にやってきた。
「東京珈琲道具フェスティバル」という数々のコーヒー器具に実際に触れながら自分でコーヒーを淹れられるイベントだった。
YouTubeはチャンネル登録し、既にぼくさんとはSNSのDMでいろいろと話しをするようになっていた。「甘みにブラジル」の購入も続いていた。
新橋にある岡山県のアンテナショップが会場だった。ぼくさんと嬉しい再会をし、「甘みのブラジル」を購入する度に直筆のメッセージも封入してくださるなつみ店長ともようやくお目にかかれた。
近年稀にみる素晴らしいイベントだった。「次は本当に岡山で」をお二人への挨拶代わりにして会場を後にした。
会場のアンテナショップを出る際に、観光案内のコーナーに気が付いた。そう、都内にある他府県のアンテナショップ内には観光案内所を併設しているところが多いのだ。
「次は岡山で・・・」はもう使えない。本当に行かなくては・・・というより未踏の地岡山に是非行ってみたい。本腰を入れて計画を立て始めた。
その新橋にある「とっとり・おかやま新橋館」の「情報コーナー」で旅のヒントや情報を集めた。自治体が関わっている観光案内所のパンフレットや情報量はガイドブックが不要なくらいだった。係りの方もこちらの質問に親身になって調べて答えてくれた。
仕事が急に忙しくなり日程が二転三転。たとえ一泊でも滞在したいと思っていた岡山市内のあるホテルも満室。イベントもないのに。旅の計画を立てる際に起こる横槍が久しぶり何本も刺さった。結局土曜日を丸一日使っての日帰りとなった。
岡山へは飛行機で行くことにした。2019年以来旅に出ていなかったこと、コロナ禍でオンラインでの買いものが増えたことなどもありマイルが貯まりに貯まっていた。アジアならどこへでも行かれるくらい貯まっていた。
初めての岡山は、「飛行機で岡山へ行ってコーヒーを飲んで帰ってくる」という一人旅になった。所謂「弾丸」になってしまったのがちょっと悔しかった。
日帰りでどれだけ旅気分を味わえるだろうか。これまでの旅とは少々違うことをしてみようと思った。限られた時間でのトラベラーの意地か?
例えば最寄りの駅からバスで羽田へ向かわず、普段使わない京浜急行で行ってみた。
馴染みのない駅をいくつも通り過ぎて羽田空港駅に到着。改札を抜けるといつのまにか空港内に入っていた。京浜急行は意外に便利だった。
各所で自動化やオンライン化が進んだ空港は職員の数がグッと減ったように映った。出発までに繰り返した予約の変更も、予約課とのやり取りではなく全てオンラインだった。誰とも口をきかずに飛行機の座席に辿り着ける時代ということを再認識。
使用機の到着の関係で出発は少々遅れたがフライトは快適。かつてはシートポケットに入っていたイヤホンも機内誌も乗務員に頼んで持ってきてもらう形になっていた。削れない莫大な人件費と燃料費のための苦肉の経費節減か。
岡山に着いてからのことを考えて機内ではコーヒーもビールも控えた。朝ごはんが中途半端だったのでスープをもらった。これが当たり。帰りに羽田で買おうと思った。
「暮らしと珈琲」のお二人には今回の訪問は「近々いきなり現れるかも?」くらいしか伝えていなかった。完全にサプライズ訪問。どうやってお店に現れようかと考えているうちに、あっという間に着陸。一時間と少々の空の旅だった。
岡山駅行きの直通バスで市内へ。岡山駅の「岡山市ももたろう観光センター」と、「暮らしと珈琲」の直営店の「little岡山」で「暮らしと珈琲」へのアクセスの最終チェック。在来線のJR山陽本線で二駅先の高島駅からタクシーが最適とのこと。新橋の情報コーナーでも同じアドバイスだった。
都内では何年も乗っていないタクシーに旅先で乗るなんて・・・。電車に乗る前に観光センターで教えてもらったタクシー会社に電話。高島駅に到着する時間を告げて手配をした。
改札を抜けるとタクシーが既に待っていた。「甘みのブラジル」を購入した際に封入されていた「暮らしと珈琲」のショップカードを運転手さんに渡しながら行き先を告げた。
以前「暮らしと珈琲」への道案内の動画で見た景色の中をタクシーが走る。備前国総社宮に到着。ショップカード裏の地図を見ながら運転手さん曰く、目の前の道を抜けると「暮らしと珈琲」があるはずだと。
さて、どうやって登場しようかと再び考えながら「暮らしと珈琲」を目指して歩き始めた。
(2)に続く・・・。
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