『空港のある町で』
2024年は旅に出られなかった。有給休暇は消化させられたのに旅に出られるほどの長い休みは取れなかった。
2023年に岡山で出逢った大好きなイラストが描かれた愛用の革のノートを携えて、オリジナルのイラストのある岡山のカフェを再訪しようと思った。それすらも叶わず。
長めの休みが取れなかったのは仕事の責任が増したため。その分のリターンは将来きっと少しずつ・・・と思って日々過ごしている。
2024年12月のある平日。その日は消化のための有給休暇。せめて遠出をと思った。
では、どこへ? 30年近く先代の女将の頃からお世話になっている成田山新勝寺の参道にある鰻が有名な日本料理屋の老舗の菊屋さん。同じ参道沿いに二年前にできた上町の支店に行かなくてはと思いつつ果たせずにいた。
「鰻の蒲焼きにアイリッシュコーヒー」。鰻は子供の頃からの大好物。コーヒーは毎日自分で豆を挽いてハンドドリップで淹れている。
僕のような鰻好き・コーヒー好きでもこの組み合わせは聞いただけで「えっ?」となるのが普通だろう。この組み合わせをその上町店で楽しめると知ってずっと気になっていた。
消化のためにスケジュールされた有給休暇を充実させるためにも、ここは成田へ遠出をして、「鰻の蒲焼きにアイリッシュコーヒー」を経験しようと思った。
「食べてみよう」ではなく「経験してみよう」なのは、「合うのか?」と疑っていたから。
ただのコーヒーではなくアイリッシュコーヒー。作るにはアイリッシュウイスキーとホイップクリームが必須。全て日本料理屋さんに?
京成成田駅に着いてからJR成田駅の観光案内所へ。成田のパンフレットを収集。「遠出」を少しでも「旅」に近づけたいと悪あがき。
平日の昼下がりの成田山の参道は歩きやすい人出だった。参道の両サイドに並んでいるお店も今風の観光地の店構えだ。
1999年まで約9年住んでいた頃の面影は限りなくなくなっているなと思って歩いているとお店に到着。先客はなし。「鰻の蒲焼きにアイリッシュコーヒー」がいただけると聞いてやってきた旨を伝えた。店内奥のテーブル席に案内された。
アイリッシュコーヒーは、ウイスキーはジェイムソン(タラモアデューもあり)、砂糖は少し。ホットで。好みでの調整はいくらでも応じてくれる。「ここ、菊屋さんだよな?」と何度も自問。
先にきたアイリッシュコーヒーをひとくち。これを飲み干して、蒲焼きは二杯目のアイリッシュコーヒーでと思ったくらい美味しかった。アイリッシュコーヒーは厳密にいえばコーヒーではなくカクテルなのを思い出し自粛。
蒲焼きがきた。アイリッシュコーヒーをひとくち、何もつけずに蒲焼きをひとくち。「へえ〜、合うじゃん!」
アイリッシュコーヒーをひとくち、山椒を一匙かけた蒲焼きをひとくち。「おっ!これもいい!」
アイリッシュコーヒーをひとくち、テーブルに備え付けの鰻のタレを少々と山椒を一匙かけて蒲焼きをひとくち。「いや〜、美味しい!」少々不安だった「鰻の蒲焼きとアイリッシュコーヒー」はお気に入りになった。
その旨を本店にいる若女将の頃から知っている現女将に伝えなくてはと思った。というより、久し振りの成田なのに本店に寄らずには帰れるわけがない。
本店を目指して参道を新勝寺の方へ。懐かしい景色の中で歩を進めると約6年振りの再訪となる本店が目の前に。
お店に入るとお好きな席へどうぞと案内。選んだ席は6年前と同じだったことに気付く。動物の帰巣本能のようなものが無意識に働いたのかもしれない。
白焼きでも流石に鰻の「おかわり」は厳しい。刺し身の二点盛りと芋焼酎のロックを注文した。
しばらくして、僕が「若女将」と今でも呼んでいる現女将が登場。上町のお店を初めて訪れて「鰻の蒲焼きとアイリッシュコーヒー」を楽しんできた旨を伝えた。
成田も菊屋さんも僕にとっては約6年ぶりの再訪だった。しかし、お互いに特に懐かしむこともなく、常連がいつものようにフラリと飲みにやってきているかのように若女将と普通に話していた。
せっかくなので、どうして「鰻の蒲焼きとアイリッシュコーヒー」なのかを、上町店で伺ってはいたが、さらに詳しく聞いてみた。
ある寒い日に外国人のお客が「寒いからアイリッシュコーヒーが飲みたい」と先代の女将に言ったのが始まりだったとか。人を逸らさない女将はすぐに「アイリッシュコーヒーとは何ぞや?」を調べ、作って出したという。
まだインターネットなどなかったと思う。以来裏メニューとして存在していた様子。
12代目現店主のが上町店開店とともに店主の母である先代を偲んでメニューに加えたとか。
その外国人のお客はどこかの航空会社のパイロットだと思った。僕が成田に住んでいて飲み歩いていた頃、あるバーで「なぜUSドルが使えないんだ」と言い張った日本円を持ち合わせていないパイロットに迷惑した話を聞いたのを思い出したからだ。
そのことを話すと、「先代はそういうお客様にもその日の新聞で為替レートをチェックして融通していたんです・・・。」と、若女将が言った。
先代の人柄が偲ばれた。鼻の奥がツンとしたのは刺し身のわさびの所為だけではなかったと思う。
そろそろ夕食時で混み始める時間。話は尽きず、長っ尻になりそうだったので、二杯目の芋焼酎のロックが少し残っていたグラスを空けて腰を上げた。
支払いを済ませて、平日の有給休暇の良い散歩コースができたと若女将に告げてお店を後にした。
駅への道すがらアイリッシュコーヒーの起源についての記憶を辿った。自宅で確かめると、やはりアイルランドの飛行場が始まりだった。
1942年当時の飛行艇(飛行機ではなく)は暖房事情が酷く、加えて乗客は燃料補給の待ち時間を過ごす飛行場のレストハウスへは、極寒の中ボートでの移動を強いられたという。その待ち時間に乗客に体を温めて貰いたいという思いから、その飛行場のパブのシェフが考案したのがアイリッシュコーヒーだったそうだ。
アイリッシュコーヒー発祥はアイルランドの飛行場。「鰻の蒲焼きとアイリッシュコーヒー」の発祥は「空港のある町・成田」のお店。繋がった。
旅に出られなかった2024年の年の瀬に、旅のストーリーにするには持って来いのトピックを旅の神様がくれた。えっ?神様?成田山新勝寺?こじつけにも程があるか・・・。
祖母の実家は老舗の天ぷら屋だった。閉店して久しいが有名店だった。場所は銀座。外国人のお客も多かったはず。
鰻とアイリッシュコーヒーのように、何か想像もつかない飲みもので天ぷらと合わせた外国人のお客がいたかもしれない。
「何か書くときの資料になれば」と2024年に亡くなった老舗の呉服屋の女将だった叔母がくれた古い雑誌のページが手元にある。
そこにはかつて「尾張町小町」と言われた曾祖母が天ぷら屋の帳場で微笑んでいるモノクロの写真が紹介記事とともに載っている。クリアファイルに入れて、ストーリーを書いたり、本を読んだりする机の上に置いてある。
ひいおばあちゃんも菊屋の先代の女将のように外国人のお客の「無茶ぶり」に何度も遭っていたかも。都度どう対応したのだろう・・・と、この話を書いていて古い写真がふと目に入ったときに思った。
意外な発見となる天ぷらに合う飲みものとは?「鰻の蒲焼きとアイリッシュコーヒー」を再び楽しみながら考えてみようか。カロリーを気にする前に財布を気にしなければ・・・。
本年もどうぞご贔屓に。