『導かれて』
この話は2020年1月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第147作目です。
2019年10月、伊集院静さんの「大人の流儀 9 ひとりで生きる」のサイン会に行った。このシリーズはずっと読み続けている。出版の都度開かれるサイン会には整理券が入手できれば参加している。
サイン会は出版元の講談社と松屋銀座の創業記念で開かれた「大人の流儀 伊集院静展」の会場の一角で行われた。仕事終わりで駆けつけると、会場はサイン会の参加者と展示を観にきた人たちで賑わっていた。人集りでサイン会の場所はすぐに分かった。騒々しい中でいつものようにサインをいただきながら伊集院さんと短い会話をし、握手をしてサイン会の場を離れた。
会場入口にあったボード。かなりの大きさでした。
取材ノートが展示されていた。伊集院さんは旅に関する作品も多い。「作家の愛したホテル」は好きな旅のエッセイのひとつだ。展示を一気に観てしまおうかと思ったがこの人の多さと閉館までの残り時間では駆け足になってしまう。日を改めることにした。
サイン会の列に加わる前に、人集りができているモニターの前を通り過ぎた。モニターから伊集院さんと作家の阿川佐和子さんとのこの展示に関しての対談が流れていた。
2019年6月、都内の書店で行われたある本のイベントでの著者の対談相手は阿川さんだった。「旅の素」という約20年前に出た阿川さんの旅のエッセイはいまも大好きな旅の本の一冊だ。
イベント後のサイン会で、「旅の素」は大好きな旅の本であることを告げながらいまでも大事に持っている初版本を差し出した。阿川さんにとってあまりに懐かしい本だったようで、「おー!スゴいものが出てきましたねーっ!」とおっしゃった。すぐに横にいるスタッフの方々に「これ、知ってる?」と本を見せながらお尋ねになったが、スタッフの方々は首を横に振るばかり。
「僕はサラリーマンですが、毎月一話旅の話を書いています。パブを飲み歩いた話などロンドンの話が二話載った本が昨年出ました。どうぞご笑覧ください。」と言って、「おとなの青春旅行」を一冊差し上げた。いただけるのですかと言いながら気持ちよく受け取ってくださった。
伊集院静さんのサイン会の場を離れたときに、その阿川さんが目の前にいらした。展示の鑑賞を兼ねて伊集院さんのお顔を見にいらっしゃったのだろうか。その阿川さんに話しかけて過日お目にかかったときのことを話した。「ああ、あのときの!どこかでお見かけしたお顔だと・・・。」とおっしゃった。人を逸らさないところに感心し、ますますファンになった。さすが「聞く力」をお持ちだと思った。
サインをいただいた「旅の素」。単行本は絶版ですが「タタタタ旅の素」と改題されて文庫で出ています。
後日再訪して展示を鑑賞した。日を改めたのは正解。サイン会のついでに観るような半端な展示ではなかった。それほど充実していた。やはり取材ノートやメモの前で足が止まった。字がとても丁寧。見習わなければと思った。
鑑賞後同じ銀座で開催中のイラストレーターの平澤まりこさんの個展へ向かった。平澤さんと初めてお会いしたのは2013年のトラベラーズファクトリーでのイベント。プロデューサーの飯島淳彦氏にご紹介いただいた。
そのイベントで平澤さんのイラスト入りの限定のリフィルを購入した。平澤さんがそれにサインをしてくださることになった。そこで飯島さんが、
いきなり「Hideさんは大酒飲みなんですよ〜。」と言った。それを聞いた平澤さんがワインボトルとグラスを描き足してくださった。そのリフィルは未使用のまま大切にしている。以来文章も上手い平澤さんの旅のエッセイも手に取るようになった。
イベントのチラシと限定のリフィル。サインと描いてくださった絵は一番下の写真に。
個展「Horn and Wall」の会場は、前回と同じく老舗の画材屋さんが経営しているバーレストラン。ビルの屋上を上手く使ったお店といえば、どこだかピンときた方は多いと思う。
展示作品はドイツを旅したときに湧いたインスピレーションをモノタイプ版画という手法で製作なさったとご本人自ら解説していただいた。
ドイツといえば僕が訪れたのは東西が分裂していた頃で、ベルリンの壁がまだあり・・・とウイスキーを片手に話そうとしたところで、一人の女性が話に割り込んできて楽しい会話が分断された。仕方なくグラスに向き合った。
バーカウンターの真横の壁に展示の中で一番大きくその迫力に圧倒される作品が掲げられていた。好きなウイスキーを飲みながら右を向くとその作品を鑑賞できるという贅沢な時間であった。こんな贅沢なひとときはなかなかない。
技量のあるバーテンダー氏が作ってくれたウイスキーのハーフロックが美味しくて止まらない。そろそろ腰を上げようとしたところで平澤さんが戻っていらした。先ほど会話が途切れてしまったことを詫びてくださった。お気になさらないでくださいと言ってその場を辞した。以来そのお店は行きつけのバーのひとつだ。
当時Instagramに載せた写真。この状態で右を向くとその大きな絵がありました。
「伊集院静ワールド」から「平澤まりこワールド」へ徒歩での移動中、香ばしい匂いがした。覚えのある匂いだった。アジアのどこかで嗅いだ匂いであることを思い出した。匂いに導かれるように歩を進めると店の前で何かを焼いているのが見えた。店の前まできてシンガポールのポークジャーキーだと分かった。店の前でさらに濃くなった香りにシンガポールの様々な記憶が甦ってきた。平澤さんの個展に行く途中であることを思い出して買うのを控えた。後日再訪できるようにパンフレットを貰った。
初めてそのポークジャーキーを食べたのは、航空会社時代に機内で販売された免税品の売上を管理しているときだった。シンガポール便の乗務を終えて自分の売上を持ってきた顔見知りのシンガポールの乗務員が、「これ食べる?」とくれたのだ。長旅で小腹が空いたときのために持っていたのだろうか。バーベキューの香ばしい匂いがし、いくらかしっとりとしていて甘みがあって美味しかった。シンガポールに行ったら必ず買おうと思った。
シンガポールのポークジャーキーに関して紐解いてみた。意外に歴史があり1933年からあることを知った。あの香ばしい匂いはバーベキュー加工だから。日本上陸は2016年。結構最近なのは肉加工品なので日本への輸出に対して製法や処理に関する認可取得に時間を要したためだそうだ。探さなかっただけで昔からあったと思っていたので意外だった。
個展会場となったバーレストランに先日飲みに行った帰りに、ポークジャーキーを買いに行った。お店のスタッフ全員の話す日本語に中国語訛りが見えた。店長らしき人が試食させてくれながらいろいろと説明してくれた。シンガポールのオーチャードロードにある高島屋の地下で買ったことがあると話すと、表情が崩れて「そう。同じものです。」と言った。種類が豊富だったが定番のものを選んだ。
自宅でタイガービールとともに味わった。ゆっくり噛み締めるとシンガポールの思い出が次々と甦ってきた。同時にポークジャーキーと再会するまでの行程を思い返していた。
旅に関わりの深いお二方の銀座でのイベントを、旅の神様とはしご酒をするかのように巡った。巡る中で自分が大好きな旅のエッセイを書いた方々(伊集院静さん、阿川佐和子さん、平澤まりこさん)と次々に再会した。外国の懐かしい食べものにも再会した。振り返ると全てが「旅つながり」になっていた・・・。
久しぶりに再会したポークジャーキーでタイガーが進んだせいか、例えが飲み歩きになった。あくまでも偶然だが、全て旅の神様に導かれた結果と言ったら考え過ぎだろうか。飲み頃のタイガーがまだ冷蔵庫にあったがこのくらいにしておこうと思った。
ポークジャーキー。召し上がったことがある方も多いと思います。ビールが進むのが伝わるでしょうか。赤ワインやウイスキーにも合いそうです。召し上がる際は食べやすい大きさに切ってください。
追記:
1. 伊集院静さんの著書に関しては以前「いつかそこへ・4」というタイトルで書きました。本文で触れた「作家の愛したホテル」については追記で紹介しています。
2. 平澤まりこさんの旅のエッセイも面白いものがたくさんあります。本の装丁も素敵です。
「おとなの青春旅行」講談社現代新書 「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿
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