『さんぽみち』
この話は2018年5月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第127作目です。
新宿方面に向かうJR総武線の先頭車両に乗り、飯田橋で下車し、ホームから続いている改札までの真っ直ぐな通路を歩く。改札を抜けると跨線橋の中程に出る。日本武道館まで歩いて行くなら、左を向いて真っ直ぐ行けば辿り着く。靖国神社もその途中にある。私にとってのこの道は、小学生の頃に歯列矯正のために通った日本医科歯科大学の歯科を目指した道だった。
跨線橋を右に行くと橋を下る形で外堀通りにぶつかる。外堀通りを跨いだ先はJR飯田橋駅側からの神楽坂の入り口であたり、神楽坂の袂となる神楽坂下である。大学生になって通った英会話の学校が神楽坂にあり、場所は神楽坂下から目と鼻の先だった。2012年に見つけて通い出したパブも神楽坂だ。現在は日本武道館にライヴを観に行くこともほとんどなくなったので、跨線橋を右にしか行かなくなった。
ここまではメモや資料などを見ることもなく、景色は経路もはっきりと浮かび書くことができた。しかし、現在は状況が少し変わっている。数年前に飯田橋駅の改良工事が始まった。現在は落ち着いているが、まだ完全には終わっていない様子だ。改札まで真っ直ぐに続いた通路はなくなり、その通路が始まる位置からは階段になった。階段を上がって左折し、突き当りを右折すると改札である。改札を抜けるとまた階段で、外へ出るには下る必要がある。そして、神楽坂を目指す跨線橋へ行くには出口を右に少し行き、交番が見えてきたら右折する必要がある。諸事情があっての改良なのだろうが、“武道館方面や神楽坂へ行くには新宿方面へ行くJR総武線を飯田橋で降りて真っ直ぐな通路を改札まで歩いて・・・。“ が子供の頃から染みついている私にはいまのところ不便しか感じない。過日パブでギネスを数パイント呷った帰りに駅員さんに尋ねてみたところ、改良工事は2020年の東京オリンピックまでに完了予定で、かつての改札までの真っ直ぐな通路は工事完了とともに復活するとのことだった。電車の乗り降りの際に結構危険を感じるあのホームと電車のあいだのギャップも改修されるとのことだ。
皮肉なことに、この不便を感じる回り道のおかげで、ただの跨線橋だと思っていた橋には牛込橋という立派な名前とさらには歴史があることを知った。江戸の歴史に興味があるトラベラー各位はご存知かもしれない。
飯田橋駅西口は右手交番の並びにあります。写真中央はただの跨線橋だと思っていた牛込橋です。左の石垣と橋名のプレートを以下の写真で少々大きくしてみました。石垣は交番の横にももう一つあります。石垣の由来に興味のある方は調べてみてください。
昨年トラベラーズファクトリーでのOZ magazineとのイベントに参加して以来、“さんぽ”や“よりみち”という言葉をさらに身近に、そしてなんとも心地良く感じられるようになった。あえてひらがなで書いてみると、リラックスできてゆっくりと流れる自分だけの時間がそこから醸し出される気がする。
“さんぽ”を意識して神楽坂を歩いてみようと思った。あれっ?旅の話じゃないの?と思ったトラベラー各位には、吉行淳之介の「街角の煙草屋までの旅」というエッセイを未読だったら手に取っていただきたい。既読のトラベラー各位なら、“街角の煙草屋まで行くのも、旅と呼んでいい”とか、“そうなれば、角の煙草屋までとか坂上のパチンコ屋まで、私はしばしば旅立っていることになる”・・・を思い出されるだろう。さんぽも旅になるだろうし、通勤・通学のお決まりの道中からちょっとよりみちをしてもそれは旅になるのだと思う。行き先が電車にたった数十分しか乗らないところでもそこへ行くことは旅になる。さんぽもよりみちも旅なのだから、TRAVELER’S notebookとOZ magazineは去年タッグを組んだのだと私は思っている。
外堀通りを背中にして、神楽坂下から上って行くところからさんぽを始めよう。
跨線橋を下ると外堀通りにぶつかります。外堀通りを渡ると神楽坂下です。写真中央が神楽坂下です。上り坂の傾斜が辛うじて見えるでしょうか。
外堀通り背中にするとこういう景色になり、実際は坂の傾斜がよく分かります。
歩き始めて間も無く、ペコちゃん焼きを唯一販売しているという不二家が右手にある。不二家の数件隣にカグラヒルズというビルがある。そのビルの中に私が大学一年のときに通った英会話の学校があった。いまはもうここにはなく、飯田橋駅東口の近くに移転してしまっている。ここで出逢った先生が、いまも親しくしていただき、私の話に何度か登場していただいたK社長である。
そのビルのマツモトキヨシになっているところにはかつてウェンディーズがあり、当時初めて食べたチリが美味しくて気に入った。マクドナルドとロッテリアしか知らなかった当時の私には衝撃的だった。エレベーターの奥は現在ファミリーマートになっているが、当時はゲームセンターだったと記憶している。
ここからだんだんと坂の傾斜を足に感じるようになってくる。その傾斜に神楽坂はやはり坂道なのだと、否が応でも意識させられる。傾斜がキツいと感じ始めたところで道はようやく平坦になり、神楽坂が神楽坂通りになってくれる。平坦になって間もなく、左手に仄かにお香の香りがしてきたら、そこは椿屋さんだ。ここには神楽坂の素敵な絵葉書があるのでよく立ち寄る。椿屋さんの横の小路を入って行くと、朝ごはんの話を書いたときに登場した美味しいギネスが飲め、最高のフル・ブレックファストが食べられるパブがある。ここでパブに立ち寄ってしまうと長っ尻になってしまい、さんぽが終了してしまうので、小路に入らないで神楽坂通りを真っ直ぐ進むことにする。
大ぶりな肉まんで有名な五十番が右手にある。数年前に改装して昔の面影がないので、久しぶりに訪れた方は少々戸惑うかもしれない。五十番の数軒先にはお茶の楽山がある。五十番の肉まん、楽山のお茶は祖母がよくお土産で持ってきてくれた。楽山の特徴あるロゴを見ると祖母を思い出す。
自宅で小唄を教えていた祖母は神楽坂へ三味線の稽古に来ていた。稽古の帰りに五十番の肉まんや楽山のお茶をお土産に買ってくれたのだ。
ここまで来ると左手に毘沙門天がはっきりと見えてくる。神社の周りが多くの人たちで賑わっている様子は、いつの時代も変わらないのだろう。
毘沙門天と神楽坂通りを挟んで相対している福屋さんは勘三郎せんべいで有名だ。母の従弟の一人が以前、自分は煎餅にこだわりがあり、ここの煎餅が大好きだということを教えてくれた。先日福屋さんに初めて行って、お店の方とその話をしながら勘三郎せんべいを買った。ご本人(改めて言うまでもないが6年前に亡くなった勘三郎さんのご尊父のほうの勘三郎さんである)は、もうちょっと焦がしたほうが好きだったそうで、奥にいる職人さんに言って、本当の勘三郎せんべいを一枚焼いてくださった。帰宅して通常のものとともに食べくらべてみたが、お茶請けというよりもお酒のあてになる煎餅だった。今後しばらくは勘三郎せんべいが手土産になりそうだ。この流れはまさに旅先でその土地の名産をお店の方とやり取りをしながら買うのと同じで、旅をしている気分になった。
一般のお煎餅よりは“ウェルダン”ですが、美味しいです。酒の肴にはピッタリでした。濃いお茶にも合うかもしれません。朱印の電話番号の桁数に時代を感じます。
私が神楽坂を訪れると大体ここで折り返してパブへ行くが、もう少し歩いてみよう。この辺りも老舗と思われるお店と出来て日の浅い新しいお店が混在している。例えば、パン屋さんなのだが、そう呼ぶよりはベーカリーとか、ペイストリーと呼んだほうがしっくりくるヨーロッパの香りがしてきそうなお店が、かなりの老舗で江戸の香りがしてきそうな和菓子屋さんと共存していて面白い。ニューヨーク・スタイルのケーキを売っているお店の前でその雰囲気の良さに足が止まったことがある。
大久保通りに面した神楽坂上が見えてきた。外堀通りに面した神楽坂下から歩き始めた神楽坂のさんぽもそろそろ終わりだ。神楽坂はイタリアンレストランが結構多いようだ。一日何回か前を通り過ぎて気になっていたピザが美味しそうなマルゲリータ パリアッチョにランチで立ち寄ってみた。再訪決定の一店となった。
イギリス好きの母とフル・ブレックファストを夕食としてパブで食べて、飯田橋の駅を目指して神楽坂を下りていると、老舗の鰻屋さんがあった。祖母が贔屓にしていて、屋号が入ったバスタオルが私の幼い頃に家にあった。銀座育ちの祖母がなぜ鰻は神楽だったのか母に聞いた。銀座にも目と鼻の先の築地にも鰻の名店がいくつもあるのに不思議に思ったからだ。それは、その鰻屋さんの屋号には、祖母の母(私にとっては曾祖母)の名前と実家の天ぷら屋の屋号が入っているからだった。三味線の稽古の前後に、ときには立ち寄ったそのお店の前を通っては自分の母親を思い出していたのかもしれない。この話を聞いて神楽坂がグッと身近に感じた。以来その鰻屋さんの前を通るときは、娘時代は銀座小町と呼ばれた一度も会うことがなかった曾祖母に心の中で挨拶をするようになった。
さて、神楽坂下から神楽坂上まで真っ直ぐに歩いてきたが、歩を進めて行ったら面白そうだと思った小路や路地が途中にいくつもあった。見番横丁、芸者新道、かくれんぼ横丁・・・神楽坂商店会発行の神楽坂マップから拾った名前はどれも魅力的だ。特に名前が記されていない道も地図にはある。今後は何度も神楽坂を訪れて一つ一つ歩いてみようと思う。横道に逸れる勇気があれば旅はもっと面白くなると常に思っているので、さんぽでも小路や路地に入ってみたら思いも寄らぬ発見がありそうでワクワクする。もしかしたら人生も横道に逸れる勇気があれば面白い展開が待っているかもしれないとふと思った・・・危ない、危ない(苦笑)。
追記:
1. 神楽坂商店会発行の神楽坂マップはハガキ大の大きさです。綺麗に折り畳めるようになっています。散歩には必携ですね。
2. 今後さんぽの共になるであろう神楽坂に関する本です。小路や路地をさんぽする前に少し歴史を知っておこうと思います。
3. 私が喉を潤しに行くギネスとフル・ブレックファストが美味しいパブについては「朝ごはん」というタイトルで昨年書きました。フィッシュ&チップスもあえて述べるまでもなく絶品です。興味のある方はさんぽの際に是非。小路を入って行くと見つかります。
http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/d0eddb009165
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