『サテーでひといき』(再会・9)
この話は2019年9月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第143作目です。
隣町にあるそのお店に夕食のために飛び込みで入ったのはいまから4年前。母のスマートフォンの機種変更に思いのほか時間がかかり、夕食を済ませて帰ろうとなったときだった。
携帯ショップの目と鼻の先にあるそのお店は出来て間もない様子のアジア料理の店。入り口脇のボードには見慣れた料理名が書かれていた。
テーブルに着いて手渡されたメニューを改めて見ると、チキンライス、バクテー、サテー、ナシゴレン、トムヤムクン、フォー、ゴイクンなどが並んでいた。私も母もシンガポール、マレーシア、タイ、ベトナムをそれぞれ各自で訪れた際に食べてきたローカルフードだ。
例えばチキンライス、バクテー、フォーなど、ローカルフードの一つのメニューに特化した店が都心には随分増えた。度々訪れる店もいくつかある。東京の東端から江戸川を超えた市川市にあるこのお店では、旅先で慣れ親しんだ料理がどう出てくるのかちょっとワクワクした。
中でもサテーがとても気になり注文した。ナッツのソースがたっぷりかかって出てきたサテーはシンガポールで食べたものより大振りなチキンのサテーだった。一口食べて、“あっ、これだ!”と思うや否やメニューにあるのを覚えていたシンガポールのタイガービールを注文した。美味しさと懐かしさが入り混じりタイガーがサテーとともに進んだ。夕食が晩酌になってしまった。
串に刺さったチキンの量に比べて多過ぎるほどかかったソースも美味。付け合わせの玉ねぎをひとかけらも残すことなくそのソースで食べたほどだ。すぐに再訪してまた堪能しようと思った。
サテーはこんな感じで出てきました。次回も必ずサテーとタイガーをと思ったほど満足しました。
勤めていた航空会社では契約していたアジア各都市の機内食会社を訪れて監査する業務があった。監査は同僚たちと分担した各責任都市で年に2回行うことになっていた。
シンガポールも私の責任都市のひとつ。シンガポール発成田行きのチャンギ国際空港出発は朝の6時台だったので、現地での準備は夜中から明け方にかけて行われる。自社便での成田からの到着は夜中の12時頃だったので、到着後空港に隣接されている機内食会社へ直行することが多かった。
機内食(飲みものやその他機内食サービスに必要な備品、機内販売の免税品も含む)の機内への積み込みは出発2時間前までに完了することになっていた。私が訪れるのは、あとはトラックに積み込んで空港へ出発するだけという時間帯だった。
機内食のトラックへの積み込みが始まる前にしか出来ない部分の監査はその時間に済ませる。積み込みが終わると、機内への搭載の監査のために私もトラックに同乗して搭載予定機まで行った。ミールカートに入った食事や機体にダメージがおきないように安全に搭載が行われているかが主な監査事項だった。
搭載が完了した出発2時間前の午前4時ごろに客室乗務員が搭乗してくる。少々遅れてパイロットたちが搭乗する。機内食会社のその便のコーディネーターと、ほぼ全員が私と顔見知りの客室乗務員とのやりとり(搭載した食事の数、特別食がある場合はその種類と数量と搭載されているミールカートの場所などを説明)を横目で見ながらコーディネーターの調整振りも監査した。
監査中に私を見つけた客室乗務員たちが、それぞれの持ち場のセッティングをしながら業務のことや仕事とは関係ないことまでいろいろと話しかけてくる。業務に関することはくまなく拾っておき、乗務員たちから直接もらったコメントとして上司やアメリカの本社へレポートした。
旅客の搭乗が始まる頃に現地シンガポールの客室乗務員のマネージャーのPhyllisや空港のマネージャーのGeorgeが出発前のチェックに来る。出発前の機内がその出張での初めての二人との挨拶の場となる。そういえば、いまPhyllisとGeorgeはどうしているのだろうとふと思った。
出発を見届けた後でホテルまで送ってもらって数時間仮眠をすることもあった。そのまま機内食の会社に戻って、私のシンガポールの話に何度も登場しているJohnやJosephの出社を待ちながら、機内食会社内の監査に備えたこともあった。ちなみに二人の仕事は、Johnは機内食サービスで使う備品からお酒、ソフトドリンク、免税品などの管理、Josephは営業だった。
仕事のときに滞在したホテルは空港に近いチャンギ・メリディアンが多かった。乗務員たちの定宿だったボート・キーやクラーク・キーのそばにあるマーチャント・コートのときもあった。
一日監査を全て終えてホテルへ戻る前に、機内食のメニューのプレゼンテーション用の部屋へJosephに案内された。キッチンやちょっとしたバーが併設されているその部屋に入ると同時に、よく冷えた缶のタイガーがどっさり出てきた。仕事を終えたJohnも加わり3人で食事に行く予定なのに何で?と思っていると、続けてサテーがどっさりと出てきた。
サテーのそのどっさり具合は圧巻だった。それまでにホーカーズなどで食べていたが、どっさりと出てきたサテーはどこか上品だった。タイガーもたっぷりあるし、JohnとJosephに今回はもうここでいいんじゃない?と言いたいくらいだった。
Johnが送ってくれた現地のサテーの写真。この本場のスタイルのサテーがどっさり出て来ました。
ふと気がつくと周りにたくさんの人がいて、ちょっとしたパーティーになっていた。深夜から続く仕事は肉体的にはキツかったが、こうした異国情緒も楽しめたので、当時の仕事は大好きだった。隣町の飛び込みで入ったアジア料理の店で再会したサテーでシンガポールでのそんなひとときを思い出した。
トラベラー各位がよくご存知の下川裕治さんが、20数年前にシンガポールの本を編集なさっていた。その本の存在を知ったのは去年。本の詳細をネットで見てその本は持っていると確信した。探したが見つからなかった。
世間がお盆休みの真最中の週末に断捨離の続きをした。変色しかかった青山ブックセンターのカバーがかかったその本が出てきた。1997年出版の初版だった。1997年といえばすでに仕事でも休暇でもシンガポールを頻繁に訪れていた。興味を持ったところの書物を読み漁るのはその頃もやっていたのだ。
そのシンガポールの機内食会社への出張となると諸々準備をしてくれたのは先方の営業で窓口であったJosephだった。Josephは残念ながら去年の夏に亡くなった。10年以上も入退院を繰り返しながら働き続けていた。
闘病中のJosephの病状にはJohnとともに一喜一憂した。10年前に当時約10年ぶりにシンガポールで再会し、会食したときは回復したと伝えられた直後だった。かなり痩せた印象を受けたが握手は力強かった。
Josephは亡くなるまでの数年間、仕事の合間に休暇を取り、家族とヨーロッパやアジアを旅行した。SNSにその様子を載せていた。しかし、日々更新された幸せで楽しそうに見える写真の中で、徐々にやつれていくJosephの姿を見るのはとても辛かった。
昨年の冬に家族で東京に立ち寄った際に再会のチャンスがあった。しかしお互いにタイミングが合わず残念ながら叶わなかった。結局Josephと最後に会ったのは、10年前の私のシンガポール再訪時となってしまった。
Josephの訃報はJohnから届いた。二人はお互いに兄弟と呼び合うほどの仲だったからJohnの落ち込みようといったらなかった。私がシンガポールに行くと三人でよくビールを楽しく飲んだ。タイガーを飲むたびに思い出す。本当に三人でよく飲んだなあ・・・。
タイガーでJosephに献杯。グラスは以前Johnが送ってくれたタイガーのグラスです。タイガーは一人一本ずつのつもりで用意しました。
今回は香港再訪の続きを書く予定だった。世間がお盆休みの時期にずっと探していたシンガポールの本がひょっこり出てきたことが、お盆でJosephが帰って来た知らせに思えてならなかった。予定を変えてまでこの話を私に書かせたのはJosephかもしれない。Joseph、今度はそっちでね。 またね・・・。
追記:
1. 以前書いた以下の話にJosephと Johnが出て来ます。 どうぞご笑覧ください。「口約束・2」「再会・2」「久々・2」
2. 断捨離で出てきた下川裕治さんが約20年前に編集なさったこの本は現在絶版のようです。興味を持った方は探してみてください。下川裕治さんについては「パブでちょっと・・・」というタイトルで書いています。
「おとなの青春旅行」講談社現代新書 「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿