見出し画像

『ひきつけられて・1』

 この話は2021年2月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第160作目です。

 新年から使い始めるトラベラーズノートのリフィルにトラベラーズファクトリー各店の新春のスタンプを捺すのが毎年恒例となっている。ストーリーを書くためのものとその年のダイアリーに捺している。

 2021年も三が日明けの週に東京駅からトラベラーズファクトリー詣を始めた。例年は三が日の間に東京駅と成田空港に行き、1月の連休に行われる中目黒での福引に行って新春のスタンプが各リフィルに綺麗に出揃うのが恒例だった。

 今年のイベントはコロナの状況を考慮の上の各店での分散開催となった。来客は途絶えなかったものの、入場制限をしていたせいもあってか、イベント初日の中目黒は例年になく落ち着いていた。ここ何年かの来客者数が異常だったのかもしれない。

 中目黒の新春のスタンプは二階に設置されていた。私のInstagramを見てくださっていた方、愛用のトラベラーズノートの話をしたカップルの方々と旅先を彷彿させるいい出逢いがあった。

 月に数日の開店が続いている成田空港店には中目黒の翌日連休中日に訪れた。空港内は閉鎖間近のショッピングモールのように閑散としていた。注意しなくてもソーシャルディスタンスが保てるくらいに行き交う人たちが少なかった。

 一月の連休中も成田山新勝寺には初詣の参拝客が多く訪れるが、成田空港を往復した京成線も驚くほど空いていた。新勝寺の参道の様子も推して知るべしだったかもしれない。通い慣れた場所を訪れるほどに今は平時ではないことを思い知る。

 トラベラーズノートのプロデューサーの飯島淳彦さんには中目黒で久し振りにお会いできた。新年の挨拶の後でイベントの応援に来ていた京都店の店長さんを紹介してくださった。店長さんは初めてお会いしたとは思えないほど親しく接してくださった。お話をしているその空間だけまだ訪れていない京都店の中のように錯覚した。イベント期間中も今後もしばらく訪れることが叶わない京都店の新春のスタンプもリフィルの中に揃った気がした。

 店長さんに「京都へも是非」と言っていただいた。三連休中だったし、平時ならトラベラーよろしくフットワーク良く翌日に、遅くとも翌週末にはトラベラーズノートを片手に行っていたのにと思った。自分の入選作品も展示されている「トラベラーズノートに描いた京都おすすめスポット」の展示が終わらないうちに訪れなくてはずっと思っているのだが・・・。 2021年も旅がままならないこんな思いをずっと抱えて過ごさなければならないだろうか。

 旅がままならないというのは、状況は異なるが、平時でも経験していた。仕事で海外に行ったときは、仕事なのだから当然なのだが、自分の思い通りの旅ができなかった。

 必要最小限の時間の中で、空港、ホテル、仕事先のトライアングルの中で時間に追われて駆け回って日本へ帰る・・・の繰り返しであった。自由になった時間は機内にいる時間と現地で寝る前に訪れたホテルのバーにいるときくらいだった。

 出張の際は自由時間なんてほぼないことは常に重々承知していた。それでも毎回バッグに忍ばせてきたガイドブックをホテルのベッドの上で眺めては行きたいところに印をつけていた。(自社便の機内では仕事で乗っているのでガイドブックを広げるのは流石に憚られた)トラベラーズノートがこの世に出てくる10年以上前のことだ。

 振り返ってみると、わかっていてもどうにもならないそんな状況が限られた時間の中での買いものに出てしまっていた。普段の日本での日常では決して買うことはないものに手が伸びていたのだ。

 その土地の観光名所やローカルフードなどが象られたマグネット。ふと気がつくと自宅の冷蔵庫のドアにいっぱいに着いていた。中に入っている食べものや飲みものの数よりもずっと多くのマグネットがそれほど大きくない冷蔵庫のドアに着いている。

 その景色は日常にすっかり溶け込んでしまっているので違和感を覚えない。違和感を覚えないのはホテルのステッカーが無数に貼られた自分のスーツケースと似た景色だからだろう。

 再訪したい気持ちがここ最近一番強いシンガポールのものだけを冷蔵庫のドアから外してテーブルの上に並べてみた。改めて見てみると悪くない。

画像1

シンガポールのマグネットをテーブルの上に無造作に広げてみました。それぞれ本当によくできていると思いました。割と細かく丁寧なところがシンガポール的?同じものをお持ちの方いらっしゃいますか?

 ひとつひとつ手に取ってじっくりと見てみた。仕事先でもあった空港に憧れの場所であるラッフルズ。オーチャード・ロードにあるシンガポール・マリオット・ホテル。ここは一度だけ宿泊したことがある。観光スポットであるマーライオン、クラークキー、ハードロックカフェ。クラークキーのすぐ側の乗務員達の常宿であったマーチャント・コートには何度も宿泊した。大好きなローカルフードであるチキンライスとサテー。ゆっくり訪れたいと思っているがフィッシュヘッド・カレーを食べに立ち寄っただけのリトル・インディア。シンガポールのルールを皮肉ったもの。町歩きをして路地に入ったりしながらシンガポール独特のルールが謳われている標識などをゆっくり見て回りたいと思って手に取ったに違いない。

 それぞれいつ手に取ったのかは流石に思い出せないが、手に取ったときの自分の心情が想像できて面白い。チョイスも観光地からローカルフードまでバランスも取れているように見えた。上手く並べれば紙芝居のようにストーリーになりそうだ。

 冷蔵庫に何本かあったタイガービールを飲みながらもう一度ゆっくりと眺めた。心地よく酔っていくにしたがってシンガポールでの様々なことが思い出されてきた。長いこと思い出すことがなかった出逢ってきた人たちの顔も次々と浮かんできた。ご無沙汰している人たちが順番に家に訪ねてきたようだった。行きたなあ、シンガポール。

 マグネット・・・いいじゃないか。旅先での限られた時間の中での買いものの優先順位はスノードームが常に第一位である。これからはマグネットのためにスノードームを探す時間を少し使うことになりそうだ。

 これまでの各旅先でどれだけマグネットを素通りしてきたのだろう。もったいなかったという後悔に似た気持ちが湧いた。

 旅先での買いものの際によくあることだが、これはと思ったものを後で改めてとしてしまうと、同じものに二度と出逢えないことが少なくない。見送ったために誰かに買われてしまったり、スケジュールの都合で同じお店に改めて立ち寄る時間がなかったり。

 マグネットもこれはというものに出逢ったらすぐに入手しなければきっと同じものに再会できないだろう。いつまでもお店の柱や壁にくっついて待っていてはくれない。

 次回の旅ではそれが海外であっても国内であってもマグネットにも注意を払ってみるつもりだ。食事のためによく訪れる浅草や神楽坂にも灯台下暗しでこれはというものがあるかもしれない。浅草には雷門を模したものがありそうだ。種類がものすごくありそうな気がする。浅草を訪れるたびに必ず雷門をスマホで写真に収めるほど雷門が好きだ。全種類欲しくなっても厳選して散財しないようにしなくては・・・。

 シンガポールのチキンライスとサテーのマグネットはすでに持っている。シンガポール再訪の際には同じく国民食であるカヤトーストのマグネットは絶対に探し出したい。ラクサやバグテー、フィッシュヘッド・カレーもあるだろうか。

画像2

チキンライスとサテー。ツッコミどころはありますがよくできていると思いました。フィッシュヘッドカレー、カヤトースト、ラクサ、バクテーなどもあるといいなあ(笑)。

 旅先でのマグネット探しを忘れないようにする前に断捨離を続けていることを忘れてはならない。その旨を記したメモを冷蔵庫にマグネットで留めておくことにしようか・・・。

追記:

1. マグネットとトラベラーズノート。Instagram的にはこんな感じでしょうか。

画像3

2. この話は年明け早々に購入したブラス万年筆で下書きをしました。日々馴染んでくるのを楽しみながら書きました。

画像4

3. シンガポールの旅に関してはこれまで「旅先で食べたもの・2」   「社会科見学」「旅先で食べたもの・6」「旅先で食べたもの・9」  「Barにて・3」「サテーでひといき」「導かれて」「Barにて・4」   「週末ちょっと早起きしてシンガポール」というタイトルで書いてきました。未読の方は是非。


画像5

「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


いいなと思ったら応援しよう!