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『初店』(旅先で食べたもの・16)

 この話は2020年4月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第150作目です。

https://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/a42e40f37909

 2019年5月に再訪した香港の話のつづきを。今回からしばらく食べものの話を続けるつもりでいる。

 ギックリ腰を抱えて出発。到着後夕食は機内で食べようと決めたものをチェックしておいた店で。夕食後香港の旅の始まりに必ず訪れるインターコンチネンタルホテルのカフェでお茶と夜景を楽しみながら約7年振りの再訪を喜んだ・・・のが前回まで。

 ホテルのベッドは少々柔らかくてギックリ腰の身には辛かった。腰に楽な寝相を探しているうちに眠っていた。ベッドは微妙な高さもあり、降りる際も辛かった。

 一夜明けての朝ごはん。九龍に滞在の際は、何年もほぼ毎朝廣東ロードにあった糖朝だった。(現在はペニンシラの近くに移転)

 今回は約7年振りの再訪ということもあり、出発前からどこかほかの店で食べてみようと思っていた。

 収集した情報に食指が動く店は皆無。こういうときはホテルのコンセルジュだ。未知でいい店に当たる可能性に賭けてみた。ワールドワイドなホテルなので、お客を送り込むことにより店からマージンが・・・なんて店は紹介しないだろうと思った。たとえそうでも美味しければよしとすることにした。

 どこで朝ごはんを食べることになるのかわからないまま母親とともにロビーに降りてコンセルジュのもとへ。

 コンセルジュに「糖朝以外でお粥が食べられるところ」を条件として徒歩で行かれる朝ごはんが食べられる店を尋ねた。

 男性のコンセルジュはホテルのロゴが入ったメモに店の名前を書いて場所を説明してくれた。「ここ(正面玄関)を出て左、通りを右、最初の角を右。あとはまっすぐ進むとお店のサインが見えます。歩いてだいたい2、3分です。」と丁寧に教えてくれた。

 コンセルジュといえば、こういうときは広告がたくさん付いた観光客用の地図に赤いペンで道順をなぞって説明してくれる。そしてその地図を「よろしければお持ちください」と差し出す。そのときはそうはならなかった。

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コンセルジュが書いてくれたメモ。「粥」の下の「稲香」がお店の名前です。現地の人が書いた漢字がいいですね(笑)。

 手渡してくれたメモを持って教えられた道順を辿った。街はまだ目覚め切っていない表情をしていた。シャッターの降りた各店の前に転がっている黒いゴミ袋が前日を引きずっているようだった。

 日本のチェーンのラーメン屋の前を通った。かなり立派な店構えだった。入口に係が予約や人数をチェックする台が置かれていた。日本ではサンダル履きで行かれるラーメン屋が予約必須のレストランの様相だった。

 迷うことなく教えられた店に到着。地図は要らなかった。コンセルジュの道案内は正しかった。こちらも説明を正しく理解していたということか。何度経験しても少し嬉しくてホッとする旅の一場面だった。

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食事の後でもらった店のショップカード。独特の字体ですが、店名の「稲香」が読めるでしょうか。

 店の入口は大きく、目の前の扉までは階段を下った。扉を開けると奥行きのある店内には大きな円卓が敷き詰められたように並んでいた。結構な広さだった。

 案内されたテーブルでメニューに目を通した。何にしようか・・・ではなく、いつも食べているものがあるかのチェックになった。

 私はピータンとポークの細切りが入ったお粥、母は何を選んだかは失念。メモも取っていなかった。合わせて点心を数品頼んでシェアした。

 お茶を飲みながら頼んだものを待っているうちに場に馴染んできた。多くのテーブルが埋まっている店内を見渡すと、日本人と思われる人たちは我々以外いなかった。この旅はデモが始まる前でデモの欠片も見えなかったが、振り返ってみると日本人とほとんどすれ違わない香港の旅だった。

 数人で使うための円卓を一人で使って新聞を読みながら点心をつまんでいる地元の人らしき人たちが点在していた。これは飲茶の店で見られる香港らしい朝の風景のひとつだ。

 返還前に訪れていた頃の朝ごはんは飲茶が多かった。ワゴンで運んでくる廣東式の店によく行った。どこの飲茶の店でも新聞を読みながら一人で点心をつまんでいる人をよく見かけた。外国での地元の人たちの日常に身を置いていることが感じられたひとときだった。ワゴンで運んでくる廣東式の飲茶が懐かしい。

 テーブルを埋めているのはほとんどが中国本土からの観光客と思われる人たちだった。

 香港では多くの店のメニューには中国語(香港だから広東語だろうか)、英語と日本語が併記されていた。このお店のメニューの表記は中国語と英語だけだった。香港にとっての上客は日本人から大陸からの人たちにシフトしたのを見た気がした。

 そんなことを思っているうちに料理が運ばれてきた。十分香港再訪を感じさせてくれた。美味しかった。九龍サイドでの朝ごはんの店のひとつとしてこのお店をリストしておくことにした。

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久しぶりのピータンとポークのお粥。予め胡椒が振ってありました   (苦笑)。

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エビ餃子はチリソースで。これはいくらでも朝から食べられるかも(笑)。

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湯葉巻き。これは母が注文。添えられているのは現地のマヨネーズです。

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腸粉。海鮮の腸粉でした。初めて食べました。創作系点心というところでしょうか。

 香港らしい朝ごはんを楽しんだ。しかし、少々物足りなさを感じた。   

 それはお粥とともに運ばれてきた点心と新聞を読みながらひとりで食べている人たちを見ているうちに思い出した廣東式の飲茶のせいだった。テーブルのあいだを蒸籠がいくつも積み重なったワゴンをおばさんたちが押して回っている光景が目の前になかったからだった。

 こちらがちょっと興味を示すと、ここぞとばかりに自分のワゴンにある全種類を蒸籠のフタを開けて見せてくれる。フタが開いた途端に湯気とともに点心が現れる。この瞬間がいい。

 気に入ればその旨を態度で示して蒸籠をテーブルに置いてもらう。そして伝票にチェックが入る。気に入らない場合もその旨を態度で伝える。そのおばさんが次に回ってきたときにはスルーできるように可能な限り顔を覚えておく。このように展開されていく飲茶が自分の中では好きな旅先での朝ごはんのひとつだった。

 飲茶はランチのイメージが強い。「早茶」といって朝7時くらいから飲茶を出す店も多い。ランチでの飲茶も何度も経験したが、私の中では飲茶はやはり朝ごはんとなる。

 返還前に休暇で訪れた際の朝ごはんは廣東式の飲茶が多かった。香港に来ているのが感じられたひとときだった。返還後廣東式の飲茶の店が少しずつ消えているように再訪の度に感じる。

 飲茶のお店は客がメニューを見て点心を注文し、点心がトレイに乗って運ばれてくるスタイルに統一されつつありそうだ。

 独特なワゴンのメンテナンスや清掃などを考えると、衛生面重視の今日には既に合わなくなってしまったのだろう。ワゴンで運ばれてきてこそ香港の飲茶・・・と思うのは外国からの観光客の勝手なノスタルジーなのかもしれない。

 廣東式の飲茶の店がまだどのくらい残っているのか少し調べてみた。九龍にも香港島にも想像以上に残っていた。これは意外だった。それぞれが老舗として生き残っている貴重な店なのかもしれない。次回の再訪の目的がひとつ見つかった。廣東式の飲茶を楽しむ・・・これだ。

 香港は何度も訪れているので、もはや早起きしてガツガツ観光する必要はない。朝はゆっくり始動して滞在先からMTRを乗り継いで廣東式の飲茶の店に出かけて行ってもいい。

飲み干せばポットごと代えてくれるお茶を飲みながら点心をつまみ、ゆっくりとこれまでの旅の出来事をトラベラーズノートに綴ったり、その日の予定をチェックするのもよい。

 今回のタイトルは伊集院静さんのエッセイで読んだ伊集院さんが初めて訪れたお店の呼び方から拝借した。そういえば、何度も香港を一緒に訪れた母が先日ポツリと「本当はあまり点心が好きではない」と言った。「初店」ならぬ「初耳」だった。

追記:

 この香港再訪の旅に関してはこれまで「初めてと久しぶり」「旅先で食べたもの・15」「変わらない」というタイトルで書きました。未読の方は是非。


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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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