『バブルヘッド』
この話は2019年2月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第136作目です。
特に予定のない週末や連休は断捨離に当てるようにしている。平日は普通に働いているので、週末となると先ずは体を休める。しかし、体力が回復すると予定がなくても断捨離を後回しにして気分転換を理由に街に出てしまう。その繰り返しなので進まない。
桜が咲く頃までに断捨離を完了させることが新年の誓いとなった。この話を書いているのは1月の下旬。今年2019年のゴールデンウイークは10連休になるという。そこまで延びないようにしなくては。
片付けるつもりのものが雑に入っているダンボール箱がいくつも残っている。過日たまたま開けたひとつから未開封のバブルヘッドが出てきた。バブルヘッドとは首振り人形である。アメリカではスポーツの試合会場でチームのスタープレーヤーを模したものなどがファンサービスとして昔からよく配られている。4大スポーツ(ベースボール、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー)それぞれが同じファンサービスをしている。
出てきたものはミネソタ・バイキングス(フットボール)のものだ。ミネソタのチームのものであることと、同じ箱に詰め込まれていた他のものから航空会社に勤めていたころのものだと察しはついた。自分で買ったものだろうかとしばらく思案した。自ら買った記憶がない。NFLをしっかりチェックするようになったのは、航空会社を去った後でワシントン・レッドスキンズの仕事をしてからだ。
少々困惑しながらパッケージをひっくり返してみると、メッセージが書かれた付箋が貼ってあった。メッセージにあったお名前を見て合点がいった。同時に断捨離の手が完全に止まった。航空会社に勤めていた頃の大先輩Uさんにいただいたお土産だったのだ。Uさんがミネアポリスの本社に出張なさった際に私のために手に取ってくださったものだ。
私が新卒で受けたその航空会社の入社試験は長かった。書類選考で使われる履歴書と志望動機を書いたものを会社説明会後に提出し、人事部長が突然自宅にやって来て内定を告げられるまで、その会社との行き来は7回を数えた。目指す場所まで難所が多い旅のようだった。航空会社なので、途中で様々な困難が重なってなかなか目的地に到着しないフライトに乗ったようだったというべきか。
その長い入社試験の都合第4次試験に当たる面接がUさんとの出会いだった。人事課のUさんは面接官のひとりだった。そこまでに書類選考と面接を1回、合わせて筆記試験を通っていた。こちらは1人、先方はUさんを含めて4人いた。緊張している中で目の前をぐるりと見回しながら、航空会社で働いているのはこういう方々なのだと思った。学生の身ではなかなか出会えない雰囲気の複数の大人たちに取り囲まれながら、この大人たちが自分を試すのだと思ったのでよく覚えている。Uさんは私が学生の頃から知っていることになる。
社歴を重ねていくなかで、課は異なったが、Uさんと同じ部になった。同じアメリカ人上司の下で、私はアジア内の機内食のサービスで使う食器や機材の管理を、Uさんは主に機内サービスを初めとする研修とオフィスと同じ建物内にあった研修施設の管理をなさっていた。入社試験という旅の途中で出会った方と目的地で再会できたような感じがした。
口数は多くないが決して無愛想ではなく黙々と仕事をする。Uさんはそういう方だった。常に上品で冷静な振る舞いは見習わなくてはと思うほどだった。
ある日出社すると私の机の上そのバブルヘッドが入った袋が置いてあった。付箋のメモを見てすぐにお礼を言いにUさんのところへ走った。
Uさんからいただいた未開封のバブルヘッドです。パッケージも含めてアメリカらしさが感じられます。付箋のメモも当時のまま(お名前は写真上加工して消しました)。MSPはミネアポリスの空港コードです。社内ではメモやメールでの地名の表記はよく空港コードを使っていました。
改めて付箋のメモを読んでみた。バイキングスが好調だったシーズンは2000年だった。いただいたのは2000年ということになる。19年も前だ。19年前にミネアポリスでUさんの手に取られ、海を越え成田で私のもとに辿り着き、東京の私の自宅でいまでも未開封のままでいる。バブルヘッドにとっては長い旅路のあとでまだ旅装を解いてもらえないままだ。
バイキングスがベースボールのツインズと共有していた本拠地のメトロドームは2014年に解体された。ツインズは2010年に新築のターゲット・フィールドへ移った。メトロドームの跡地に建ったUSバンク・スタジアムが以来バイキングスの本拠地だ。
19年という歳月の中でミネソタの2大メジャースポーツを取りまく環境がガラリと変わった。私の人生も同じ。いまは全く別の仕事をしている。仕事をしながらだが、旅の話を毎月こうして書くようになるとは・・・。
現在は跡形もないメトロドームの絵葉書。東京ドームにそっくりですよね。東京ドームはこのメトロドームを参考にしていて建てたそうです。ここでツインズの試合を2試合観ました。
我々が働いていた部署は他の部署に比べてアメリカやアジアへの出張が多かった。物事の決定権や発信元がアメリカの本社だったことと、アジアは日本が管轄している部分が多かったからだ。
Uさんや私の出張は一人でミネアポリスの本社やアジアの支社へ行って会議やプロジェクトをこなして帰ってくるものだった。出張先では英語オンリー。私にとっては日本人の自分がアメリカの会社で働いていることが普段以上に実感できた。月に2度ほぼ毎月ミネアポリスかアジアのどこかを訪れていた。大阪、名古屋、福岡へも行ったが、出張というと海外だったので「海外出張」という言葉を社内では耳にしなかった。
ミネアポリスの本社への出張の場合、宿泊は主に空港のそばのヒルトンかホリデイ・インだった。到着後長旅で疲れた体と荷物を引きずって到着ロビーにあるホテルのインフォメーションボードを目指す。ボードには電話が付いていた。受話器を上げて宿泊するホテルの写真に付いている番号を押すとフロントデスクが出る仕組みになっていた。毎回こうして迎えを頼むところからミネアポリスでの仕事が始まる。到着ロビーで迎えが待っている観光とは違った。仕事で来たのだと毎回実感できたスタートだった。
ミネアポリスの空港の絵葉書です。何十枚と買って現地から出したと思います。アメリカの空港らしい光景です。懐かしくてしばらく見入ってしましました。
空港周辺で人の出入りが多いところといえば、当時アメリカで一番大きなショッピングモールといわれていたMall Of Americaか勤めていた会社の各オフィスビルだ。両方のホテルから全て車で10分かからない距離に点在していた。ホテルと空港の往復はもちろん、Mall Of Americaと各オフィスビルまではホテルが無料のシャトルを巡回させていた。アメリカにいながら移動手段の心配は不要だった。ホテルがそこまでするということは、モール目当ての人たち、出張や研修にやってくる我々のような社員や商談にやってくる業者まで日々国内外からかなりの利用客だったのだろう。
オフィスビルの間は会社の航空機と同じペイントが施されたバスが巡回していた。運転手は整備士と同じユニフォームを着ていた。整備士が兼ねていたのだろうか。オフィスビルにはアルファベットが振られていた。思い出せる限りではAからFまであった。一つのビルに部署ごとにワンフロアではなく、単独もしくは複数の部署でビル一棟だった。
経理などお金に関わる部署のビルはA。機内販売の免税品の売り上げを管理していた頃に一度だけ訪れた。社名のロゴの入ったグッズを売っていたEmployees’ Storeと呼ばれていたショップがあったのはC。頼まれものやお土産の調達によく立ち寄った。所属していた機内サービス部が入っているBuilding Fは最も多く訪れた。私の話に何度も登場したリチャードもFにいた。訪れた際の“ビジネスクラスに乗れたかい?”から始まった挨拶回りの際のリチャードを始め同僚たちとの会話が懐かしい。
ミネアポリスに滞在しているときの朝食はほぼホテル内で取った。昼食はFビル内のキャンティーンでリチャードと他の同僚たちと共にした。夕食はMall Of Americaが多かった。デパートよりも「モール」がその言葉とともに身近になったのはこのころだ。
Uさんも仕事を終えて夕食にモールへいらっしゃっただろう。食後のモール内の散策でこのバブルヘッドを見つけてくださったのかもしれない。それとも、空港でチェックインを済ませて、あとは成田へ帰るだけと搭乗までの時間を過ごしたゲート周辺のショップだったのだろうか。
Mall Of Americaの絵葉書。ロゴを赤枠で囲みました。きっとUさんもこの辺りを歩いたかもしれません。お店の他に映画館や遊園地などもありました。
断捨離の最中に手にした未開封のバブルヘッドに充実していた過去のひとときへタイムトラベルさせられてしまった。Uさんとの音信は途絶えたり再開したりを繰り返していた。ここ数年は途絶えたまま。昨夏に出た「おとなの青春旅行」を残暑がまだ厳しい頃にお送りして近況を知らせた。今日まで無音。今年届いた年賀状の中にもUさんからのものはなかった。そう気付いたことが合図となり、タイムトラベルから現実に戻って断捨離を再開した。
追記:本文に出てきたリチャードのことは「旅の必需品」「お宅訪問」「Black Russian」で以前書いています。
「おとなの青春旅行」講談社現代新書 「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿