『Barにて・4』
この話は2020年7月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第153作目です。
2019年5月の香港再訪の旅の話もそろそろ終盤。香港の話が三話続いたので今回は別の旅先の話を。
コロナウイルスが世界的に深刻になり始める直前の2020年2月の初旬、母が友人とシンガポールへ出かけて行った。振り返ると海外旅行をするには本当にギリギリのタイミングだった。これを書いているのは6月。 わずか約4ヶ月前だ。
母の旅の目的はあのマリーナベイ・サンズに宿泊すること。母はいつものように「これは」というパックツアーに出逢うまで辛抱強く数年かけてじっくり探した。
一緒に出かけて行った友人は、同じく十数年前に時間をかけて見つけたパックツアーでペルーへ行った際に仲良くなった方々の一人だ。そのツアーで仲良くなった方々とはいまでも親交が続いていて、数年おきに国内外を一緒に旅行している。
母は私や弟と出かけて行き、旅先で自由気ままに過ごすのが好きな反面、行きたいと思ったところにはパックツアーでもお構いなしである。ひとり参加も厭わない。
コロナ禍で多くの旅が叶わなくなる前に今年も旅を楽しんだことになる。ちなみに航空業界にいる弟は、この話を書いている時点でだが、海外出張が二つキャンセルになったと言っていた。母は旅の神様に相当気に入られているようだ。
そのパックツアーは東京からマリーナベイ・サンズまで連れてきてくれてあとは帰国日まで自由というものではなく、しっかり観光が付いていた。私や自分の友人たちと何度も訪れたラッフルズホテルも観光に含まれていた。
母とはティフィンルームでアフタヌーンティーを楽しんだこともある。公式サイトによるとアフタヌーンティーは現在グランドロビーに移っていた。2017年からの2年余かけて行われた改装で様々な変化があったようだ。ドレスコードはどうなったのだろう。
母とラッフルズというと、ラッフルズのギフトショップである現在の「ラッフルズブティック」で一点ものだと案内されたアクセサリーをかなり悩んだ挙句買ったという思い出がある。以来私が仕事等でシンガポールへ行きラッフルズを再訪した際には、同じものがないかどうか都度チェックしている。
ツアーの観光でラッフルズを訪れた際に、カクテルのシンガポールスリング発祥のバーといわれているロングバーも訪れたそうだ。そこで名物の落花生をお土産に買ってきてくれた。
これは手に取ってしまうだろうなという見事なパッケージの落花生。 結構たっぷり入っていてまだ楽しめています。落花生自体は銀の袋に入っていて、さらにこのバッグに入っているのでバッグは再利用可能。
ロングバーでは飲みものを注文すると大きな升のような器に落花生がたっぷり入って出てくる。落花生の殻は床の上にどんどん落としていくのがロングバーでの流儀だ。殻を片付ける際に殻から出る油分でフローリングに艶が出るので、殻の掃除が床磨きを兼ねるというのを聞いたことがある。
ロングバーはシンガポール国内で唯一「ポイ捨て」が許される場所らしいのだが、殻を床に直に捨てるというのは慣れるまで少々憚られる。抵抗が薄らいだ頃には既にグラスを重ねていてバーに馴染んでいる。バー独特の流儀というのは面白い。
ラッフルズの最新のホームページでロングバーをチェックしてみた。フローリングだとずっと記憶していた床はフローリングではなくなっていた。改装の際にフローリングは止めてしまったのか。
もしかすると最初からフローリングではなかったのかもしれない。フローリングだったら落花生の殻から出る油分で殻を片付ける際に床が磨かれるということにすんなり合点が行く。バー好きのただの幻想なのか。近所だったら飲みに行ってカウンターでバーテンダーと和みながら確かめるところだが・・・。
改装された様子をサイトで見ると、大きく変えられてはいないようだが、完全に観光スポットになってしまったように映る。歴史あるバーだが観光スポットとしての歴史の方が長くなっていきそうだ。
再訪して独特の雰囲気が少しでも失われていることが感じられたら残念だ。ちょうど良い暗さに保たれたバー内、落花生の殻で磨かれ続けた床、扇子を模したファンがゆっくりと動いている景色が懐かしい。
望めばビールは独特の丈の高いグラスで出してくれる。カウンターでそのグラスでビールを飲んでいる人を見かけたことはない。立って飲むにしてもカウンターでは確実に飲みづらい丈の高さだ。
数人で円卓を囲んでそのグラスでビールを飲んでいる様子は訪れるたびに目にする。間違いなく観光客だろう。丈の高いグラスで埋め尽くされたテーブルはグラスの森のようだった。このグラスはスタンドとセットで売られているそうだ。価格に興味のある方はそのグラスで供されるビール一杯の値段とともにチェックを。見事な「観光地価格」にああやっぱりとなるだろう。
「丈の高いグラス」とはこれです。これは仕事でタイガービールを訪れた際にお土産でいただきました。ちょっと飲みづらいと思いませんか?(笑)。現在は母が花瓶代わりに使ったりしています(苦笑)。しかし、よく持って帰ってきたな(笑)。
世界的に有名なホテルにある世界的に有名なバーが観光地になってしまっていると、宿泊客はどこで飲むのだろうか? 2010年に再訪した際に初めて利用して気に入ったライターズバーだろうか。お通しのオリーブが美味しかった。しかし、場所がロビーなので周りは少々騒々しい。
タイガーが隣町のスーパーでいつでも手に入るようになった。世の中の風潮は、出来ればではあるが、まだまだ「ステイホーム」だ。
家飲みの際にお土産の落花生でロングバーを自宅で再現してみた。ラッフルズのフィギュアとスノードームを眺めながらタイガーを飲み落花生をつまんだ。落花生の殻は現地よろしく床の上に放った。片付けるのは自分であることを忘れて。
自宅での「ロングバー」はこんな感じで。大きな升のような器はないので、故百瀬博教さん主催の「鳥越祭りを愉しむ会」でいただいた升で(苦笑)。グラスはタイガーのもの。私のシンガポールの話によく登場する現地の友人Johnが以前贈ってくれました。しかし、上手く注げたな(笑)。
落花生の殻を床に放りました。後悔するまで時間はかかりませんでした (苦笑)。
母、大叔母、母の従弟、私の従姉と一緒に休暇でシンガポールを訪れたこともあった。滞在中昼食以外はみんな一緒だったが、女性陣は一緒に観光や買いものに出かけ、私と母の従弟はそれぞれ気ままに過ごしていた。
そんなシンガポールでの一日、昼過ぎまで一人で気ままに過ごしてホテルに戻ってきた。母の従弟から部屋に連絡があり、夕食まで軽くビールでも飲もうとなった。オーチャードから地下鉄に乗ってロングバーへ行った。
地上に出て強い西日とアジア特有の湿気を感じながらラッフルズを目指して歩いた。ホテルの外から直接ロングバーに通じている階段を上がり、カウンターに落ち着いた。迷わずタイガーを注文。砂漠に水が染み込むかのように一杯目のタイガーが五臓六腑に染み渡るのを感じる間も無く体の中に消えた。落花生をつまむ間もなく二人とも二杯目を注文。二杯目でやっと人心地つけ休暇だなと思ったひとときだった。
外階段の入口もしくはバーの入口にこの看板があったと思います。これは何度目かの再訪時に買った手のひらサイズのマグネットです。自宅の冷蔵庫の扉にずっと着いています。
自宅で「ロングバー」をしながらその旅のことを思い出した。そのときも含めてロングバーにはラッフルズを訪れた際には必ず一回は立ち寄っていると思う。しかし、名物のシンガポールスリングを一度も飲んだことがないことに気がついた。まあ、普段もほとんどカクテルを飲まないので・・・。
飲むほどにシンガポールの思い出がどんどん出てきそうな気がした。まだまだ飲み歩きが憚られる世の中で、「ステイホーム」でこういう家飲みも悪くない。これまでの旅の記録を肴にしてもいい時間になりそうだ。
母との、私もまだ一度も宿泊したことがない、「ラッフルズに宿泊させる」という約束をまだ果たせていなかった。そろそろお開きと我に返ったときにふと思い出した。
約束したのは私がまだ航空会社で働いていた20年近く前のこと。すっかり現代的になった様子のいまのラッフルズになってもその約束は有効なのだろうか。
ラッフルズかぁ・・・ステイホームで家飲みをしながらあと何回か給付金が来ないだろうかと思いながらもう一本タイガーの栓を抜いた。
追記:
1. 今回の話の旅での母からのお土産です。手前のスノードーム以外全てラッフルズのものです。手提げの紙袋に入っていました。私のラッフルズ好きをずっと知っていたようです(苦笑)。ありがたいですね。
2. 私のシンガポールの旅に関してもこれまで結構書いてきました。本文で触れたライターズバーに関しては「Barにて・3」に、大叔母や従姉たちと訪れたときの話は「リラックス・1」に少し書いています。「紅茶」「久々・2」「社会科見学」「旅先で食べたもの・2」なども未読の方は是非。
「おとなの青春旅行」講談社現代新書 「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿