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『機内にて –機内誌- 』

 この話は2015年10月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第96作目です。

 旅に出る日というのはいつもとは違った目覚めで始まる。旅に出るのだといういくらかの興奮と、旅客機に乗り遅れてはいけないという用心の所為だ。空港で搭乗便のチェックインを終えても海外へ行く場合は出国審査が終わるまでは安心出来ない。手荷物検査を終えて数歩踏み出したところまで出国審査を待つ人の列が迫って来ていたらかなり慌てる。一度だけその状態になったことがあり、前に並んでいる方々に事情を話して順番を繰り上げてもらったことがあった。前に並んでいたのが物分りのよい欧米の人たちばかりで、急ぎなさいと背中を押すようにどんどん前へ進ませてくれた。そんなことが搭乗前に起きなかったとしても搭乗して自分の席に着いたときはホッとする。極端な言い方だが、目覚めてから旅客機の自分の座席に着くまでがその旅の第一章に値する気がする。そんな日常とは異なる状態よって出た疲れの所為か、それとも無事間に合ったという安堵からか、シートベルトをして機体がジワジワと動き始める頃には眠りに落ちていたりする。

 手荷物からシートポケットに移した読みかけの本よりも、機内では何故か機内誌を先に手にする。広告ばかりが目に付きほとんど読むところがないのを承知の上なのだが、すっかり習慣になっている。途中もしくは巻末に近いところにある降機地が記された世界地図と降機地の空港の簡単な案内図や空港からダウンタウンまでのアクセスなどを目にすると、自分が機内にいることを認識する。そしていつの間にかパラパラと最後までページを繰っている。

 機内販売のページが独立した冊子になって久しい。最近はこういうものも機内で売るのか・・・などとある意味感心しながらこちらも最後までページを繰る。トラベラーズノートを旅に携えるようになってからは、カスタマイズに使えるものはないだろうかと思いながら目を通す。目を通しながら一番気になるのは、実は自分が搭乗している旅客機の模型があるかどうかだったりする。

 都合2冊とも目を通してシートポケットに戻した後で必ず指先を見る。 一昔前の機内誌、特に欧米系の機内誌は印刷の具合が良くなく、少々長い時間手にしていると指先に表紙や裏表紙の印刷の色が着いた。その手で私物でさえ触れるのが憚られたので、温かいおしぼりが食事の前に配られるのが待ち遠しかった。

 航空会社で働いていた頃、機内免税品販売のセクションにいたことがあった。機内誌の新しい号が出たとき、機内免税品の品揃えが変わったときにはいち早く入手して機内免税品のページをチェックした。一通りチェックが終わり我に返って指先を見ると、毎回結構カラフルになっていた。

 2014年10月に大分へ行った際に(その旅については「再会・5」をどうぞ)ソラシド エアに乗った。自ら選んだわけではなく、ANAのマイレージで大分へ行く便を選んだら、たまたま共同運行のその便に当たったのだ。

 自分の座席に落ち着いたときにいつもの通り機内誌を手にした。日本の航空会社の機内誌は素敵なエッセイや訪れてみたくなるところの特集記事があるので持って降りるようにしている。そして、旅先で必要なページだけを切り取って後は処分する。

 ソラシド エアの機内誌は紙質もよく、手汗などで印刷のインクが指先に着かない加工が施されていた。内容も観光案内、お薦めのスポット、上質なエッセイ(その号は檀太郎さんのエッセイだった)に降機地の空港からダウンタウンまでのアクセスまでバランス良く掲載されていて、程よいボリュームだった。内容に惹かれつつ、よく出来ているなと感心しながらページを繰った。

 初めて手にした“ソラタネ”という名のその機内誌には丁度目指している大分の特集が載っていた。流石宮崎に本社を置き九州に特化している航空会社だけあり、詳しく書かれていた。この機内誌だけを片手に興味を持ったところを巡ってもその旅はいい旅になることは間違いないと思った。

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これがその機内で出逢った機内誌です。どの記事も切り抜くことなく綺麗なまま持ち帰りました。

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大分行きの機内で出逢った機内誌の特集が正に大分でした。

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この装丁・内容なら有料と思う方がいても可笑しくはないと思います。  この表示は案外必要かも知れません。

 LCCというと、これまで当たり前だったサービスを出来る限り削ぎ落し、機内食などニーズがありそうなところは有料にして商売にするということが強くイメージされていた。しかし、機内誌がこれだけ充実していて、コーヒー(無料だった)が美味しければ国内線はLCCで十分だと思った。既存のものを出来る限り削ぎ落すという見方でその機内誌を改めて手に取って見ると、ページ数はわずか40足らずであった。過不足ない情報量と満足度で40足らずのページ数ということに少々驚かされた。既存のものを出来る限り削ぎ落すという考えがあれば、機内誌はそのものが真っ先に削られる対象になりそうだが、それをしなかったところにソラシド エアの考える機内サービスの一部を見た。

 結局持ってきた読みかけの本を開くことなく、その機内誌を感心しながら読んでいるうちに羽田を発った旅客機は大分に着いてしまった。

 当時約12年振りに訪れた大分への旅は、マイレージの消化とはいえ、到着後友人と会食し、街を少々歩いて、翌朝には帰京の途につくという慌ただしいものであった。大分での楽しみ方満載のその機内誌を通して、旅の出だしから次回はもっと時間を取ってゆっくり大分を楽しみなさいと大分に言われているようであった。振り返って見ると、日中の大分はほぼ知らないと言える。2002年のサッカーのワールドカップの仕事で大分にいたときは、朝から試合会場に入り、宿泊先のホテルに戻るのは夜になってからだった。

 約二週間も滞在した縁も馴染みもあるはずのところを実はよく知らないということを思い知ったときは少々衝撃的だったが、その機内誌の向こうに未知の楽しみが手招きしているのが見えた。

 “ソラタネ”のバックナンバーが欲しくなり、帰京後に方々手を尽くして入手した。機体の色に合わせて機内誌の装丁の色がどの号も統一されているところに先ず感心した。オーナー自ら必ず気持ち良く接客してくれる焼酎バーへ行くことが旅の大きな目的となっている鹿児島(「Barにて・2」をどうぞ)、異国情緒というものが分かる年齢になったので再訪したいと思いつつ高校の修学旅行以来訪れる機会がない長崎、次回は時間の余裕を持って訪れたい大分への旅を計画する際は、まずこの機内誌のバックナンバーをチェックしようと思った。

 気が付くと、ソラシド エアとその感心させられた機内誌と出逢ってから一年近く経っていた。現在ではその機内誌はバックナンバーも含めてウェブで閲覧出来るようになっていた。旅先の情報の必要な部分だけ集めるには確かに便利で無駄がない。現地の方に直接問いかけて目的地の欲しい情報を収集できる感覚になる。しかし、紙の書籍が電子書籍にその存在を脅かされている現状が機内誌にも来たのかと思った。そのうち、前の座席に設えてあるモニター画面に機内誌にあるべき情報が映し出され、必要なら目の前でプリントアウト出来るようになり、シートポケットから機内誌が消えてなくなる日が来るように思える。いや、知らないだけでもうとっくにそうしている航空会社もある気がする。

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手を尽くして入手したバックナンバー。                機体の塗装と遭わせた統一感が美しいと思いました。その後搭乗の機会がないので、最近のバックナンバーはウェブで閲覧しています。興味を持たれたトラベラーの方はチェックしてみてください。

https://www.solaseedair.jp/solatane/about/

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