『旅先で小腹が空いて』 (旅先で食べたもの・14)
この話は2019年5月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第139作目です。
新著が出ると必ずチェックする作家がいる。平松洋子さんもその一人。 浅草の飯田屋でどじょうを食べることを教わったのは平松さんのエッセイだった。可愛がっていただいたお店だったが、残念ながら長い歴史に幕を降ろした浅草のアリゾナキッチンのことが、突然出てきて驚いたのは平松さんの「焼き餃子と名画座 わたしの東京 味歩き」というエッセイだった。あの永井荷風もアリゾナキッチンを贔屓にしていた。
2018年の11月に平松さんの新作が出た。テーマは立ち食いそば。最近は立ちそばというらしい。平松さんが数年かけて立ちそばを食べ歩いて上梓したエッセイ集で「そばですよ 立ちそばの世界」というタイトルだった。何冊も平松さんの本を読んできたが、あの平松さんと立ち食いそばを結びつけるのはなかなか難しかった。どうして?という思いが消えないままその本を手に取った。
立ちそばと聞くといえば駅の改札横やホームにあるお店が浮かぶ。食べ盛りだった中学生の頃によく最寄りの駅の一軒に行った記憶がある。大人になってからは食べに行ったことはほとんどない。多分もっと美味しいもの、他に手軽に小腹を満たせるものが豊富になってきたからだろう。コンビニも各所にあるし。しかし、平松さんのその新著を読み進めるうちに久しぶりに立ちそばへ行ってみようと思った。
丼物に添えられていたりする紅生姜は、食べられないことはないが、常に取り除いていた。紅生姜単独ではないが外さないで食べられるようになったのはそれほど前のことではない。ピクルスもハンバーガーに入っていたのが気にならなくなったのは酒を飲むようになってからだったと思う。
立ちそばのメニューに紅生姜天そばというものがあるのを「そばですよ 立ちそばの世界」で知った。興味を持ったので、本で知った都心の一店へ食べに行ってみた。かき揚げのような紅生姜だけの天ぷらがそばの上に乗っているだけのシンプルな一品だった。これが美味いったらない。冬に食べたせいもあっただろうが、久しぶりに食べもので体が芯から温まったのを感じた。この冬は結構な頻度で食べた。
日本にやってくる観光客も小腹が空いたときにさっと立ちそば屋に入るのだろうかと、何回目かの紅生姜天そばを食べながら思った。自分より先に食券を買う発券機の前でメニューを吟味していたのがアジア系の観光客と思われる人たちだったからだ。発券機も店内のメニューにも外国人対応がなされている様子は見えなかった。きっと彼らが手にしているガイドブックにはマニュアル的な情報があるのかもしれない。
久しぶりに食べた立ちそばは中学生の頃に食べていた立ちそばよりも遥かにレベルが上がっていたのを感じた。メニューも豊富になっていた。ストゥール的な椅子を用意している店もあった。もしかしたら、外国人観光客のあいだでは老舗の蕎麦屋よりも立ちそばのほうが浸透していて、立ち寄る回数を重ねることで日本通を気取れるのかもしれない。老舗の蕎麦屋にはないメニューも多いし。紅生姜天そばはないと思う・・・。
アジアは小腹が空いたときに満たしてくれるもののメニューが豊富だ。香港、台湾、シンガポール・・・各所で仮に小腹が空いたときに何を選ぶかと考えたときに結構な選択肢が思い浮かんでくる。
立ちそば的なものとして真っ先に浮かんだのは、香港は中環で食べた海老ワンタン麺だ。サッと店に入って、当たり前のように見知らぬ人たちと相席をし、お店の人との会話になったかならないかのコミュニケーションで望みの海老ワンタン麺がしばらくして運ばれてくる。
飲茶のときに味わった海老のプリプリ感が、海老ワンタンでも味わえる。どうして香港の海老はこんなに食感がいいのだろうと都度感心する。久しぶりに食べると飲み込むタイミングが難しい縮れ麺とともに、食したときに香港にいることを実感させてくれる一品だ。
香港の海老ワンタン麺といえば、私にとっては中環にある池記というお店のものだ。たしかあの邱永漢さんが美味しいと言っていたことを後から知って驚いた九龍のショッピングモールの中にあったお店のものも安くて美味しかった。しかし、返還の前後にお店は消えていた。海老ワンタン麺よりも一緒に頼んだ卵の炒めものの卵の黄色さが印象に残った。見慣れないやや薄めの黄色だった。お店の名前を間違えて記憶していなければだが、そのお店が中環に移っていたことを最近知った。
最初に池記を訪れたのは、恐らく観光で行った際にガイドブックで見つけてランチで行ったのだと思う。仕事で香港を訪れた際に銅鑼湾(コーズウェイベイ)にあるホテルに宿泊したときは、空き時間に地下鉄に乗って食べに行ったこともある。仕事とはいえせっかく香港に来ているのだから限られた時間を使って自分なりに香港を感じたかったからだ。
池記では雲呑というと、我々がいうところの海老ワンタンのことようなので以降雲呑麺とする。あるとき雲呑麺を楽しんで支払いを済ませたあとで割引券をもらったことがあった。外国人の私にどうしてと思ったが黙ってもらっておいた。確か数ヶ月後か翌年だったかに再訪した際にダメモトで支払いのときにその割引券を出してみた。期限が切れているかどうかは分からずに出したのだが気持ちよく受けてくれた。どのくらいの割引になったかは分からなかったが、いい店だなと思った。そして、また新たに割引券をくれたのだった。小腹が満たされた以上に何だか気持ちが満たされた感じがした出来事だった。香港の思い出のひとつとしていまでも記憶に残っている。
直近での再訪は2012年。人通りが激しいところに面しているお店の狭い入り口の前に人だかりが出来ているのが見えた。店内は混んでいるようで何人も諦めてお店を後にする人たちがいた。同行していた母とちょっと難しそうだねと話しながらお店の人にこちらは2人である旨を告げるとあっさりと通してくれた。もちろん見知らぬ人と向き合っての相席。香港らしい旅のひとときだった。
雲呑麺はもちろんだが、母が青梗菜も取った。周りを見渡して多くの人が食べているのを目にしたからだろう。ちょっと小腹が空いたねという感じでの池記への再訪が結構しっかりした一食になってしまった。
池記の雲呑麺と青梗菜です。雲呑の海老の大きさが伝わるでしょうか。青梗菜も美味しかったです。
この話を書くにあたり、池記のショップカードを探した。文字だけのシンプルなものが2012年の香港再訪の記録の中から出てきてハッとした。記憶にも手元にも残っているのは店名よりも雲呑麺を強調したもののはずだった。2012年の再訪時にショップカードががらりと変わったのを目の当たりにして驚いた記憶が蘇ってきた。
上がお馴染みだったショップカードで、下が2012年の再訪時入手したものです。上のカードから本文の中であえて雲呑麺としました。
初めて香港を訪れたのは1992年(平成4年)だった。アジアを旅したのもこのときが初めてであった。翌1993年から2002年くらいまでほぼ毎年1回は仕事や休暇で香港を訪れることが続いた。池記には行かなかったこともあったが訪れた回数は少なくないはずだ。
年号が令和に改まっての最初の旅先はなんと香港になった。五月の下旬に出かけて行くことになった。香港になった経緯などは回を改めるが、慌ただしい中で決まった旅で、これを書いている時点ではフライトだけが決まっている状態だ。限られた時間の中であるテーマに沿って現地で過ごすつもりでいるが、まだ十分に計画を立てられないでいる。
池記には立ち寄るつもりでいる。平成になってから訪れ始めた外国で食べ慣れたものを令和になって食べたときにどんな想いが自分の中で生まれるのだろう。訪問を重ねる中で、香港では楽しいことも辛いこともあった。久しぶりに食べる雲呑麺から小腹を満たしてくれる以上のものを貰えるような気がなんとなくしている。
追記:
1. 本文で触れた平松洋子さんの本です。「そばですよ 立ちそばの世界」は行こうと思った立ちそば屋のページに付箋を貼りながら読みました。
2. 直近での2012年の香港の再訪に関しては「私の発作的終末旅行」というタイトルで以前書いて掲載していただいています。どうぞご笑覧ください。
「おとなの青春旅行」講談社現代新書 「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿
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