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『変わらない』

 この話は2019年12月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第146作目です。

 今回は5月に再訪した香港の旅の話の続きです。初めてご笑覧いただく方は、先ず既出の『旅先で具合が悪くなって・3』『初めてと久しぶり』『旅先で食べたもの・15』をお読みください。その後でこの話をご笑覧いただくと、少しは香港を旅している気分になれるかもしれません。


 香港へ向かう機内で決めた「海老の乾燥卵ふりかけ麺」と「海老ワンタン麺」の夕食に満足してホテルに帰館。一休みして着替えてから再び母と街に出た。

 ホテルを出てネイザンロード(彌敦道)に立つ。見上げると道にせり出すように並んでいた横長のネオンがかなり減ったように映った。香港の名物とも言えるそのネオンを作ったり修理したりする職人がいなくなりつつあるという話をどこかで読んだ。

 ネイザンロードを左に下り、車の往来が激しいソールズベリーロード(梳士巴利道)にぶつかると左手にシェラトン、ネイザンロードを挟んで右手にペニンシェラだ。ソールズベリーロードを渡るために一度シェラトンを背にペニンシェラのほうへネイザンロードを渡る。ソールズベリーロードにかかる横断歩道が以前よりかなり減った。手前で渡っておかないと、目指すところを通り過ぎてかなり大回りしなければならなくなる。目的の場所によっては地下道を使う羽目になる。地下道は出入りの度に結構な時間のロスを感じる。

 ペニンシュラを背中にして信号が変わるのを待っている間に左を向くと、見慣れない大きな建物が聳えていた。「聳えている」という表現がぴったりの佇まいだった。約7年の無沙汰の間に誕生したK11 MUSEAだ。今後再訪時に訪れるスポットのひとつになるのだろうか。

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中央に聳えているのがK11 MUSEAです。このあと目指すところがこの写真にも映っています。続きを読んだあとでチェックしてみてください。

 目指すはHARBOURSIDE。インターコンチネンタルホンコンの中にあるレストランだ。返還前からの我家の香港の旅はいつもそこから始まる。HARBOURSIDEを訪れ始めた頃はまだリージェントだった。インターコンチネンタルになって久しいがまだ何となく馴染まずにいる。いまだにリージェントと呼んでしまう。

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スーツケースに貼られたザ・リージェントとインターコンチネンタルのステッカー。一緒に旅をして結構な年月になりました。

 これまでの香港の旅ではほとんど当時勤めていた航空会社の便を利用していた。仕事を終えて飛び乗ったフライトが夕方に成田を発ち、香港に到着するのは夜9時前後だった。その日の夕食は自然と機内食となる。到着後寝るにはまだ早いので街に出てみてちょっとお茶(軽く寝酒も)でも・・・というときに見つけたのがHARBOURSIDEだった。

 滞在はほぼ毎回九龍サイド。空港が以前の啓徳空港ときでも現在のチャックラップコック空港でも、ホテルにチェックインをしたら旅装もほとんど解かずにHARBOURSIDEへ向かう。この旅では既述の通り朝成田を発って昼下がりに着いたのでこれまでと少々勝手が違ったが。

 K11 MUSEAに目を奪われながら歩を進めるとインターコンチネンタルが右手に見えてきた。ホテルの敷地内に入っても正面玄関へは少々坂を上る。ホテルは小高い丘の上にある感じだ。正面玄関の車寄せの左右どちらかに、おそらくホテルの名物なのであろう、「グランパ」と呼ばれている古いロールスロイスのリムジンが停まっている。かつてはゴールドのロールスロイスだったがここ何回かの再訪時に見かけるグランパはネイビーだ。

 そのロースルロイスがグランパと呼ばれていることを教えてくれたのは、数回前の再訪のときに対応してくれたとても感じのよいレセプションのスタッフだった。きっと誰よりも社歴も長く、長い間正面玄関のシンボルとなっているので親しみを込めて「おじいちゃん」と呼ばれているのだろう。かつての啓徳空港、現在のチャックラップコック空港へ何度もVIPや常連客を送迎しているのかもしれない。「おじいちゃん」にはチャックラップコック空港の往復は少々厳しいように思えるが・・・。今度詳しく聞いてみよう。

 今回その姿がない。帰りにあまり愛想が良くないレセプションのスタッフに聞いたところメインテナンスに出しているとのことだった。そのロールスロイスのリムジンを目にしたときも、また香港に戻って来られたと思えるひとときなので残念だった。約7年振りの再会は叶わなかった。

 正面玄関を入ると目の前にはもう対岸の香港島の夜景がドーンと広がっている。夜景に導かれるようにロビーもレセプションも通り越してというよりすっ飛ばしてズンズン進むとあっという間にTHE LOBBY LOUNGEの入口に立っている。そのまま席に案内してもらわないで、横にある階段で地下に降りる。そこにHARBOURLOUNGEの入口がある。そこで席まで案内してもらう。

 なぜそうするのか? これまで香港を訪れたのは6月が多かった。6月の香港は日本以上にもの凄い湿気である。その所為かTHE LOBBY LOUNGEの壁のような大きなガラス窓が外気との温度差で曇っていてせっかくの夜景がよく見えないことがあった。しかし、地下のHARBOURLOUNGEの席に座ったとときに外気との温度差による曇りはガラス窓に一点もなく夜景が綺麗によく見えた。空調の問題なのだろうか。以来我家では地下に降りるようにしている。

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地下のHARBOURLOUNGEのテーブル席からの夜景はこのように見えます。高所から見下ろす夜景も素敵ですが、目の高さにある夜景もいいものです。世界的に有名な夜景が常に視界に入っているという贅沢なひとときです。

 注文するものはいつも決まっている。私はビール、母はアイスコーヒーだ。氷もコーヒーでできているので最後までコーヒーが薄くならないのが母は気に入っているようだ。ビールとアイスコーヒーでの再訪を祝しての乾杯で香港の旅が始まる。

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これは一杯目の青島ビールだったと思います。二杯目は確かサンミゲールでした(笑)。

 夜景に目を奪われながらしばらくぼうっとしてしまう。再訪できてよかったなと心から思うのがこのときである。落ち着いてきたところで、翌朝からの予定を立て始める。朝ごはんはあの店に行って・・・のように。今回は約7年振りだったせいか少々長っ尻になってしまった。追加で母はチーズケーキを、私もホットコーヒーをオーダーしていた。

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好みで三種のソースをかけて食べる母が絶賛したチーズケーキです。

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私が追加したホットコーヒー。紅茶でこの姿のカバー付きのポットを見かけます。紅茶文化の英国の返還前からの名残なのでしょうか。

 コーヒーをゆっくりと飲みながらあたりを見回すと、中国本土からの観光客と見受けられる人たちがたくさんいた。ちょうどディナービュッフェの時間帯だったせいもあったが、日本人の我々以外は全員と言っていいほどたくさんいた。一人一万数千円のディナービュッフェである。

 いつ訪れてもHARBOURSIDEには欧米人と見受けられる上品な身なりをした人たちがたくさんいた。飲みものとともにゆったりとしている人がほとんどで、ガツガツと食事をしている人は見かけなかった。ガツガツ食べることはもちろん悪いことではない。日本と同じアジアにいながら東京で感じるのとは異なる欧米を感じられた頃のHARBOURSIDEが懐かしくなった。

 正面玄関でいつも再訪を待ってくれているように感じた「グランパ」(前述の古いロールスロイスのリムジン)も今回は見当たらなかった。HARBOURSIDEの客層も変わってしまった。帰りがけにグランパのことを尋ねたあとでスーツケースに貼るステッカーのこともレセプションのスタッフに尋ねると「ない」の一言だった。少なくともリージェントの時代とインターコンチネンタルになってしばらくはそんな対応をするスタッフに会ったことはなかった。スタッフの対応までも変わってしまったのかと思った瞬間だった。

 返還前の香港は本当に楽しかったし訪れるたびにワクワクした。香港の話を書くとなるとつい返還前の楽しかった様子が思い出されて繰り返してしまう。1997年の返還を境に香港が隅々まで変わってきてしまっているのは否めない。目をつぶってやり過ごすにはその変化は多過ぎる。

 客層がどんなに変わっても、「香港の旅の始まりはHARBOURSIDE」は変えない。お気に入りの場所で夜景を眺めながら再訪を喜ぶ旅の始まりだけは変えたくない。健康に留意してこの変わらない旅の始まりを家族とともに一回でも多く繰り返したいと心から思った。今回はここまで。

追記:

1. HARBOURSIDEを取り上げてトラベラーズノートの2011年のポストカードキャンペーンに当選しました。2015年が最後になってしまったポストカードキャンペーンは是非復活してもらいたいです。

2. この話は夜の話なので本文には載せませんでしたが、インターコンチネンタルの正面玄関へのアプローチはこんな感じです。坂道の傾斜が伝わるでしょうか。噴水がなぜこの位置にあるのかは香港好きの方ならご存知でしょう。

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3. 前回再会した「グランパ」です。様子がいいですね。

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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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