【園館等訪問ルポ】産業都市・総合公園・モニュメント――ときわ公園(山口県宇部市)/かみね公園(茨城県日立市)
様々な動物園を訪問していると、園が置かれている都市公園そのものの特質性に関心が向くことがあります。
今回取り上げるのは、「県庁所在地ではない」「産業都市に置かれた」「複合的な文化娯楽施設を擁する」2つの総合都市公園と、その中にある動物園です。
山口県宇部市。令和元年10月現在の住民基本台帳人口、164,387人。かつて宇部炭鉱での石炭採掘事業が盛んに行われ、炭鉱が閉山したあとも、㈱宇部興産が化学メーカーとして事業を展開する基盤都市となっています。
「ときわ公園」は、江戸時代に築堤が行われた広大な人工湖「常盤湖」にのぞみ、1925年に市の所有となりました。
1958年に遊園地開園、1961年より野外彫刻展開催、1964年に市内にあった動物園の移転と、高度経済成長の只中で市民憩いの場として整備が進められてきました。
茨城県日立市。令和元年10月現在の住民基本台帳人口、178,203人。㈱日立製作所の本拠地として知られます。
創建580年あまりの歴史を誇る神峰神社から伸びる坂道に沿って「かみね公園」が整備されたのは1957年。動物園、遊園地を擁するこの公園は人気を博し、最盛期の1970年には動物園に年間45万人が訪れました。
1970年、宇部炭鉱が閉山。宇部市の人口は一時161,000人にまで減少します。ときわ公園内には1969年に日本初の「石炭記念館」が開館し、炭鉱街の記憶を繋ぐ役割も担うようになりました。
昭和時代の終わりから平成時代の初めにかけては、日本初となる人工孵化で育ったモモイロペリカンの「カッタ君」が宇部市内の保育園へ飛来し全国的に大きな話題を呼ぶ出来事もありましたが、街の産業構造は変化していきました。
かみね公園内の遊園地や動物園も、昭和時代から平成時代にかけて、入場者の減少に悩まされるようになったと言います。平成10年代には動物園入園者は年間20万人台にまで落ち込み、経営危機に陥っていました。
しかし、21世紀に入り、いずれの公園も変革が起こり始めました。宇部では現代彫刻展がUBEビエンナーレに名を改め、動物園も全面的に生息環境展示を行うという大規模なリニューアルを遂げました。
日立でも、東日本大震災の被害を受けながらも、老朽化していた動物園のリニューアルが進められています。特にチンパンジーの群れ作りは高く評価され、「エンリッチメント大賞」も2度受賞しました。
いずれの公園も、街全体を見晴らす展望台が設けられていたのが印象的でした。
「働く人たち」が生産した利益を還元して市によって造られ、彼らが息抜きや家族サービスのために足を運ぶ娯楽施設が、象徴的にひとつの公園に集められていたふたつの街。
街の在り方の構造自体が変化していることと、娯楽の場であった公園全体や、その一部を構成する動物園が変化しつつあることは決して無縁では無いのかも知れない、と感じました。
その一方で、これらの総合公園は、街全体を一望できるという点から、地域の人たちにとってのモニュメンタルな意味を未だ喪ってはいないと言えるのではないか、とも感じました。