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【園館等訪問ルポ】「温泉に入るサル」の周縁から見えてくるもの――上信越高原国立公園 渋の地獄谷噴泉/地獄谷野猿公苑(長野県下高井郡山ノ内町)
野猿公園という施設はニホンザルの猿害防止と調査研究、観光を兼ねて日本各地で見られますが、世界的な知名度が最も高いのが長野県の地獄谷野猿公苑かも知れません。長野県の渋・湯田中温泉郷の奥にあります。
1964年に開苑すると、1970年にアメリカの"LIFE"誌が温泉に入るニホンザルの写真を表紙に掲載したこともきっかけとなって世界的に知られるようになったこの苑は、深い山の奥にありながら、国内外各地からやって来る人々を惹き付けていました。
地獄谷野猿公苑に向かうためには最寄りのバス停・駐車場から30分ほど山道を歩く必要があります。道中、「猿座」というカフェレストランで休憩したり、湧き水に枯れた葉が浮かんで文様を作っているのを眺めたり、ニホンザルの生態を解説したパネルを読みながら、自然の世界に入っていくための心を整えていくことになります。
この時間的・心理的な距離は、ヒトとサルが近づきすぎないための、必要な距離なのだ、と解しました。
林道を抜けると、 秘湯「後楽館」が見えてきます。野猿公苑の中の温泉はサルたちのためだけのものですが、こちらは人間が入る温泉です。宿泊もできるようです。
後楽館から野猿公苑へ至る道の脇には、激しく熱気と硫黄の香りが迸っている噴泉があります。国の天然記念物「渋の地獄谷噴泉」です。ヒトの暮らしの拠点であるいわゆる「里山」とも、ここは違う環境なのだという実感が湧いてきます。
ビジターセンターでは撮影方法や距離感について、言葉ではなく図で注意が示されています。国内外から写真撮影のために多くの人が来ることを踏まえての図示のようです。また、日本人が歴史文化の中で抱き続けてきたニホンザルについての「こっけいな」イメージを払拭したい、という想いも綴られていました。
地獄谷の群れを率いてきた歴代アルファオス の肖像も掲示されています。初代の「竜王」はいかにも長野らしいですね。
ビジターセンターを出て遊歩道に入ると、さっそく若い個体が居ました。近いです。目の位置よりも高くから見下ろされているので緊張感があります。視線は合わせないようにしてそっと撮影しました。スギの葉を大切そうに咥えており、最小限の餌付けはされていても自然の食べ物は欠かせないことが伝わってきます。
温泉ばかりが注目されがちですが、温かい湯が沸いているスペースは岸壁に囲まれており、当初のイメージよりも広くはありませんでした。しかし、ごつごつした岩場にもサルが居ます。いかにも「谷」のサルといった印象です。
餌の穀類は河原を中心に撒かれており、多くのサルの姿が見られました。 11月も下旬で寒い日だったが雪は降らず、温泉周辺に猿が密集しているような風景にはなりませんでした。それがかえって新鮮だったのでした。
輸湯管の上を何頭ものサルが歩いていました。サルたちにとって岸壁よりも安定した足場であるようで、「モンキー・ハイウェイ」ということばが頭に浮かびました。じんわりあったかいのでしょうか。
動物園で見かけるニホンザルよりも毛が白っぽく、丸々としてあたたかそうです。深い山の奥で、なおかつ冬支度の最中という条件もありますが、ニホンザルの体毛の色や長さに地域差はあるのか興味を掻き立てられました。
温泉に近い岸壁とは橋を挟んで反対側の山は、日がよく当たり、豊富に木々が生えていました。
よく目を凝らすと芥子粒のような大きさのサルたちがぴょこぴょこと山の上で動いていました。若い個体が多いようです。温泉の方まで降りてこないサルたちも含め「地獄谷の野猿たち」の群れだという当たり前のことも、「温泉に入るスノーモンキー」のイメージに囚われたままでは気づけなかったと思います。
地獄谷野猿公苑では、早くから注目され数多く言及されている事象の周縁を見渡すことで、一味違った発見ができるということを再認識できました。
この時の観察を経たことで、市民のための場所である動物園や水族館とはまた違った距離感での生きものとの向き合い方があることが腑に落ちたような気がしています。