【観劇ルポ/書評】唐十郎「動物園が消える日」
2017年、秋。唐組の紅テントが雑司ヶ谷・鬼子母神の境内に姿を現しました。月明かりに照らされたカバのポスターの前で、思わず足を止めたのを覚えています。
この芝居を観る前から頻繁に動物園に足を運ぶようになっていたものの、「動物園が消える」というフレーズに、私はそれまでピンと来たことがありませんでした。
芝居は、石川県金沢市でかつて栄華を極めながら、経営難により閉園することになった民間動物園「金沢サニーランド」を題材にしていました。
かつて動物園で働いたチケットもぎりの4人娘、カバを連れて消えたさすらいの飼育係。ユーモアとペーソスたっぷりに、今はなくなってしまった場所を忘れられず、それぞれの新しい人生に踏み出せずにいる群像が描き出されていました。
もっとも、芝居の中で語られた動物園の閉園には、唐十郎の脚色が大いに加えられています。
石川県金沢市卯辰山の山上にあったサニーランドは閉園することになったものの、市民の存続運動が立ち上がり、県営いしかわ動物園として再出発。狭かった動物園は石川県能美市に移転し、動物たちも引っ越しました。
芝居の中で、象徴的な動物として登場するカバ「ドリちゃん」のモデルになった「デカ」は2010年まで生き長らえ、推定58歳の天寿を全うしました。
しかし、日本の動物園が辿ってきた歴史に関心を持ち、様々な記録を探究していく中で、金沢サニーランドがいしかわ動物園に引き継がれたあとも、多くの動物園が歴史に幕を下ろしていたことを知ったのです。
2001年 行川アイランド
2003年 阪神甲子園パーク
2003年 宝塚ファミリーランド
2004年 栗林公園動物園
2006年 日本カモシカセンター
そして現在、飼育動物の高齢化や高度成長期〜バブル期に建設された施設の老朽化、野生動物保全の重要性の高まり、動物飼育に関する人々の意識の変化といった様々な背景から、「動物園」という場所の在り方自体が、大きな曲がり角に来ていると報じられることも増えてきています。
それでは、「動物園」という場所は、過去の遺物、やがて消え去りゆくものに過ぎないのか。
初めて「動物園が消える日」を観てからの2年間、私は日本各地の動物園に足を運び、その在り様を実際に見て、考えてきました。
私がそこまで園館等施設訪問に入れ込んだ理由のひとつは、「そこに確かに生きているいのちが息づいているのに、【動物園】という場は簡単に時代のあだ花として消えてしまう場所なのか?」という問いが、心を捉えて離さなかったからでした。
各地の園館等施設を訪ねていく中で、多くの施設が動物や自然環境を取り巻く最新の状況を念頭に置きながら、限られた予算や施設の中で動物たちにとっての最善を尽くそうと試行錯誤し、その取組を伝えようとしている様子を知りました。
金沢サニーランドの流れを汲むいしかわ動物園は、その名にサニーランド時代の残滓を残すゾウ「サニー」が単独で飼育されていることについて、海外から手厳しい批判を受けました。それに対して、「知ってください」と、未来に向けた取り組みを伝えていました。
長い歴史を持つ福岡市動物園。施設の老朽化により、今なおリニューアルの過渡期にありますが、「動物園の役割」について、シンプルなビジュアルも活用しながら伝えようとする様子に触れることが出来ました。
――動物園が消えないでいるのは、それはあなたの頭の中にあるその灯が消えないからです――(略) 人々もそれぞれの毎日に戻るが、自らのあばら骨を檻として、そこにさすらいの動物園を持ち続けるだろう。風よ、その彼らの肩を優しく撫でてくれ。(唐十郎コレクション3「あとがき」より)
この記事を読んでいる皆さんの頭の中にも、動物園の灯は、今も点っていますか。
動物園は、動物園の中で繰り返されるいのちの営みは、想い出の中の美しい一コマだけではなく、今なお続いているということに、思いを馳せてみませんか。