
【園館訪問ルポ】詩のある動物園(Ⅲ)―― 盛岡市動物公園ZOOMO「PICNIC FIELD」(岩手県盛岡市)
東北新幹線に揺られ2時間強。盛岡は快晴でした。「ニューヨーク・タイムズ」によって「2023年に訪れるべき場所52カ所」に選ばれたばかりで、この街はなんだか新しい物語の曲がり角に来たような予兆に満ちていました。
あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。


国民的な童話作家、宮沢賢治とも縁深い盛岡。
この地に2023年、リニューアルオープンしたのが「盛岡市動物公園ZOOMO」です。


「動物福祉」を理念の中核に据えているZOOMO。飼育している動物の頭数を見直し、以前よりも飼育種のケアに重点を置くことを目標としているのだということでした。

この理念は、「ひとと動物のワンヘルス」に拡張され、新型コロナウイルスをはじめとする人畜共通感染症が世界的な課題となっている時代潮流のなか、動物園が果たすべき役割に現代的な解を照射しています。



余白が多くなった園内には「PICNIC FIELD」と名付けられた広場が拓かれていました。
この日はハンドメイドのクラフトなどを扱うテントが何軒も連なり、キャンプ村の様相を呈していました。



小川が流れ、畜産動物のゾーンも近い「PICNIC FIELD」の一角には、ラマとヤギ、アルパカが放し飼いにされています。
万緑の中、草を食み角を研ぐ彼らの姿を見ながらテントを広げたら、きっとのどかで開放的な気持ちになれることでしょう。

子どもはしばらくちゅうちょしていましたが、とうとう思い切ったらしく云いました。
「ポラーノの広場。」
「ポラーノの広場? はてな、聞いたことがあるようだなあ。何だったろうねえ、ポラーノの広場。」
「昔ばなしなんだけれども、このごろまたあるんだ。」
「ああそうだ、わたしも小さいとき何べんも聞いた。野はらのまんなかの祭のあるとこだろう。あのつめくさの花の番号を数えて行くというのだろう。」
「ああ、それは昔ばなしなんだ。けれども、どうもこの頃もあるらしいんだよ。」
かつて宮沢賢治が想像力の助けを借りて描き出した「広場」。動物園という「展示」の現場でしばしば周縁化されていた「広場」が、ここでは施設の中心に置かれていることを実感しました。


郷土動物の飼育展示に力が入っているこの園では、また野生動物との共生も大きなテーマになっています。



園の看板動物のひとりでもあるニホンツキノワグマは、野生個体が施設の周辺にも生息しています。リニューアルしてまもない6月と7月、園は野生のニホンツキノワグマの侵入のおそれがあるとして2度の臨時休園を余儀なくされました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20230703/6040018164.html
「広場」は、歓待の場であるとともに、異なる世界に暮らす者が交わる場でもあるという点で、「共生」の困難さを私たちに突き付けます。
宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』もまた、「共生」の決してきれいごとではない側面を「因果」という言葉に託して語り掛けていました。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射うたなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰たれも相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
盛岡にはもうひとり、国民的な詩人がいます。石川啄木。動物公園の位置する岩山エリアは岩手山と盛岡市街地を一望できる「岩山展望台」も置かれ、「啄木望郷の丘」の掲示と銅像が往時の彼の姿を忍ばせます。



岩手山 秋はふもとの三方の 野に満つる虫を何と聴くらむ 啄木
啄木もまた、岩手山の麓の「野」を愛した詩人でした。野に生きる、虫の声に耳を傾けた詩人でした。

ZOOMOの「共生」に向けた理念はそのスタイリッシュな施設構成から、自然観・動物観をめぐる現代的な解釈のもと成立しているように見えます。
しかし私は、賢治と啄木がこのイーハトーヴの野辺でことばにしてきた、自然への雄大なまなざしと果てない想像力の影響を感じずにはいられませんでした。
「諸君、諸君の勉強はきっとできる。きっとできる。町の学生たちは仕事に勉強はしている。けれども何のために勉強しているかもう忘れている。(中略)けれどもどっちがさきに進むだろう。それは何といっても向うの方が進むだろう。そのときぼくらはひどい仕事をしたほかに、どうしてそれに追い付くか。さっき諸君の云う通りだ。向うは何年か専門で勉強すればあとはゆっくりそれでくらして、酒を呑んだりうちをもったり、だんだん勉強しなくなる。こっちはいつまでもいまの勢で一生勉強して行くのだ。(中略)
ぼくらはだまってやって行こう。風からも光る雲からも諸君にはあたらしい力が来る。そして諸君はまもなくここへ、ここのこの野原へむかしのお伽噺ばなしよりもっと立派なポラーノの広場をつくるだろう。」
現代の都市における動物園は、自然ならざる根拠を持つヒト社会に埋没するようにして生きる都市人にふたたび「野生」に触れる場を提供しています。
しかし、都市と野とがとなり合い、その魅力を世界からも見出されつつある盛岡の地の動物園では「広場」がひときわ存在感を放っています。

この新しい「広場」から、次世代の詩が、物語が生まれてきたときが、「21世紀の新しい動物園」のひとつのモデルが誕生するときかも知れません。イーハトーヴの豊饒な文学的土壌が、その成果を育んでくれることを大いに期待しています。
