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【園館訪問ルポ】ノスタルヂアに惑わされるな(後編)――甲府市遊亀公園附属動物園(山梨県甲府市)

帰ってくるな。私たちを忘れろ。手紙も書くな。ノスタルジーに惑わされるな。……自分のすることを愛せ。――「ニュー・シネマ・パラダイス」

    ここまで4つの動物園を概観しながら、「『ノスタルジー』を持ち味にした施設でもレトロ一辺倒ではなく時代に即した取り組みが求められている」こと、そして「公立の動物園では公共施設再編の波の中で在り方が問い直されようとしている」ことが、施設規模の大小に関わらず国内の動物園を取り巻いている潮流であることを述べてきました。

   今まで歩いてきた場所の中で、 このふたつの要素について同時に深く考えさせられた動物園があります。


    山梨県甲府市の遊亀公園附属動物園

    1919年(大正8年)からの長い歴史を持ち、実は現存する日本の動物園では「恩賜上野動物園」「京都市動物園」「大阪市天王寺動物園」に次いで4番目に古い園です。

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    園内に現存する 「葡萄猿」の彫刻は昭和時代初期に門柱に立っていたとされ、地域と共に動物園が在った長い歴史を示すシンボルとして捉えられています。

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     猛獣舎にはマレーグマやコンドル、ライオンといった人気の動物たちがいましたが、この日は酷暑で日除けの簾のかかる中じっとしていました。

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 解説パネルには、昭和時代の動物観がそのまま遺されている部分がありました。コモンマーモセットのような小型サルを指す「ポケットモンキー」という表現が遺されている動物園にはこのとき初めて出会ったかも知れません。

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 ただ、これら施設の改修・アップデートが進まなかったことを一面的に責めることは些か酷な話です。

    甲府市が2015年(平成27年)に明らかにした「遊亀公園・附属動物園整備計画」では、昭和時代中盤から大規模な移転構想を含む計画が何度も練られてきたものの、オイルショック、バブル崩壊、経済状況の悪化……、時代に翻弄される格好で計画が凍結され続け、小規模な改修を継続することしかできなかったことが綴られています。

    このページからは極めて率直に、ハードを整備する設置主体の苦悩が滲み出ているように感じられます。

 こうした経緯がありながらも、園全体で現在進行形で問い直しが進められています。

 動物園が位置する遊亀公園自体も時代に即した施設へ変貌を遂げるため、動物園内の改善と連動し一体となった計画が立てられているのです。

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   ところで、計画の中には「懐かしさ」という表現が頻出します。「変わろう」という性格を持つ計画の中に、「昔」を完全に捨てきれない逡巡を読み取りました。

懐かしい雰囲気の創出と施設の有効利用
 手作り感あふれる雰囲気が、来園者にとって懐かしさを感じられる要素であり、それが本園の特徴でもありますので、現在の施設で、増改築する事で活用できる施設は、耐震性や強度などを考慮し、懐かしさが感じられるよう雰囲気を残すなど、有効利用に努めます。

 「ノスタルジーへの強い愛着」という遊亀公園の特色は、「遊園地」エリアにびっしりと集められた遊具群からも読み取れます。宇都宮動物園の「遊園地」もレトロでしたが、ここにはより古い時代の遊具も置かれています。

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   この場所で動物園が続いてきた歴史を伝える「葡萄猿」と違って文脈が切断されており、やや唐突さは拭えませんが、昭和時代に百貨店の「屋上遊園地」で活躍していた遊具を集め、メンテナンスして今も乗れるようにしているようです。

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 では、遊亀公園の「変わろうという意志」はいま、どのような形で立ち現れ、目にすることができるのでしょうか。

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【ヒト科ニンゲン】とはユーモアを持ち「笑う」という特権を与えられたイキモノである。その笑い声は伝染力が強く、周りにいるヒトを笑顔にする。また、その笑顔を記念に残すことが得意である。

 国内の動物園にしばしば見られる「ヒトの檻」です。遊亀公園の「ヒトの檻」にはふたつの「解説パネル」が掲げられています。1枚目のパネルでは「笑顔を記念に残す」――「想い出」に力点が置かれていることが分かります。「今」は「過去」に変わるから大切に「記念」しよう、という立ち位置です。

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ヒトが生息地を広げ活動することにより、地球の環境破壊がすすむ一方、地球全体のことを知り考える知能をもつのも私たち、ヒトだけです。これから先の未来、他の生物や植物たちとの共存を続けられるかは、今生きている私たちにゆだねられています。

   後になって追加されたと思われる2枚目のパネルでは、「将来に影響する環境問題に対して主体性を持ち働きかける存在」として私たちが定義されます。

   些細な部分ですが、「『今』のために生きるヒト」から「『未来』に責任を持つヒト」へ、という人間観の変化をこのふたつのパネルから見て取ることができます。


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 アジアゾウの「テル」です。踊るような動きを繰り返す常同行動が問題視されたこともある個体ですが、現在は帝京科学大学との連携により環境エンリッチメントのための設備を増やすなどの対応が進められています。

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 この行動は「ダンス」ではなく改善が望まれる「常同行動」だという知見は、動物行動に関する見方がもはや昭和時代の見世物のような感覚では立ち止まれないこと、変化が必要だという意識を私たちにもたらしてくれます。

 サイエンスの視点からの提言は、現状維持を是とする保守主義に陥りがちな私たちが見落としている部分に光を当てることで「懐かしさ」を更新してくれます。アジアゾウのテルに対する「懐かしさの感情」は「踊るように揺らめいている孤独なゾウ」から「ひとり暮らしだけど、『健康な終生飼育のための取り組みが進められている』ゾウ」に上書きされました。

    「懐かしさ」には日々更新されうる性質があります。

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 急進的な動物福祉の理論家から見たら、まだ足りない、と歯がゆく感じる部分は確かにあるかも知れません。

 しかし、亀の歩みに見えているとしても、変わることができない、と決めつけるのは早計だと考えます。

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 「懐かしさ」「レトロ」「ノスタルジー」という言葉は、絶えず私たちを惑わせる蜃気楼のようなものだと私は捉えています。

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    時代背景も技術も科学知識も移ろいでいる「いま」、昔あった光景をそのまま残す、あるいはそっくり再現することが果たして「是」なのか、いやそもそも「可能」なのかという点についてはよくよく考えなければなりません。

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 突き詰めて言えば「動物園って、こういうもの」という形式にこだわってしまう私たち自身も、「ノスタルジーに惑わされている」のかも知れません。そしてその欲望こそが動物園の変化の在り方を紋切り型に閉じ込めているのかも知れません。

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 不可逆的に進行する時代背景の変化の中でノスタルジーに強く誘引されながらも、動物園が「そこになくてはならない」背景のストーリーをいかにして描けるか。

 遊亀公園附属動物園の「いま」はそんな大きな問いかけを私たちに投げかけているように感じられました。

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