モラハラ男に2度引っかかった話
1,「まずはとりあえず聞いてくれ」
年齢不詳、ゴスな服装を好み、ヴィジュアル系バンドで青春を駆け抜け、ロックに触発されて女子校を自主退学してきた私(以下、A)。
突然の話だが、私はなぜかこちらが苦手だな、距離を起きたいな、と思った相手にバチクソ好かれる。
なぜか同性にだ…!
どの程度かというと、向こうからロリイタの女の子(知らない人)が走ってきて、
「あの!隣の方は彼女さんですか!?違ったら、彼女候補にして下さい!」
と言ってきたという過去を持つ程度なのである。
性的な関係でなく、プラトニックな関係として、同性とは10代~20代は合計25人くらいと付き合っていた。
同時進行は多い時で5人。
ほぼ全員がメンヘラだった。
安心しろ、私もメンヘラだ。リスカぱねぇ。ODやらピアッシングやらボディスティッチやらが日常だった。
でもまあ多分、どっちかというと私自身の心理にも百合への憧れがあったのかもしれない。
宝塚も好きだったし、オスカルにとても魅力を感じた。
初恋の人が、6歳年上のお姉様だった事を思うと、潜在的に男性に似た女性もしくは女性に似た男性を求めていた節もないとは言い切れない。
そんなわけで昔から、男性に好かれる事もなければ好きになる事もなく、そもそも男友達すらいないしどう関わればいいのかも分からないし興味もなかった。(興味は今でもない)
一度目のモラハラサイコパス野郎に引っかかったのは、もう随分前の事だ。
当時、私は戸籍上女性で容姿は完全に中性…という人と付き合っていた。
彼女の行動で気分が一喜一憂し、いつまでも眺めていたいと思える相手。
更に言うなら、お揃いでタトゥーを入れる約束もしていた。黒歴史だのバカだの軽はずみだの言われてもかまわない、実際そうなんだから。
まああれこれあって、その人は私から去って行ってしまった。
それが本当に本当につらすぎて、当時フォロワーだった男性(以下、N)に色々と話を聞いてもらっていた、悩み相談…みたいな。
Nと知り合った当時は私はとにかく先述の彼女一直線で、Nは「そういうの差別意識全くないから応援してる」という趣旨の発言だったしほぼ毎日DMのやり取りをしていたから、セクマイ(セクシャルマイノリティ或いはLGBT)に寛容な人だなという印象で、友人として好感を抱いていた。
彼女と別れてからの私は半死人だったけれど、とにかくそのNが過保護といえるほどに心配してくれたせいか、自殺一歩手前で踏みとどまる事ができていた。
それくらい彼女の存在は大きかった。
が、基本的に私は、喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプ。
「どんなに苦しくても明けない夜はない」というのは違う。「どんなに苦しくても勝手に夜が明けてしまうんだがむしろどうしたらw」という性質だった。
そして夜の明けた私は、ある朝目覚めた瞬間に
「あれ?Nの事好きかも」
といきなり思い立ってしまった。いやなんでだろう知らんし。
そして告白…関東と関西で遠恋となったが、ネットが根付いている以上、物理的な距離はあまり意味がなかった。
(小学生の頃は…ネットの概念すら一般人にはなかったんだぞ…、精々がパソコン通信、ポストペット…)
実は私はコスプレをしていて、SNSのアイコンは某海賊女帝に設定していた。
それを見たNのほうから声をかけてきたのがきっかけで話すようになったんだが、……あれ?こいつ今思うと出会い厨じゃね?
なんて発想すら当時はなかった。
私の顔はコスプレで知ってもらえていたものの、Nの顔を私はそれまで見た事がなく、待ち受けにしたいからと頼んで自撮りを送ってもらった。
私の感想→「まじかよ超イケメンじゃん。ジャニーズかよ…アイドルかよ……完璧中性じゃん…」
友人の感想→「イケメン過ぎて逆に怪しい。この写真たぶん本人じゃないよ、拾いもんでしょ」
外見を知らず中身で惚れたのだから、それに伴ってイケメンだろうが実はどうでも良かった。
デブで不細工で風呂入ってない系のやつだったとしても受け入れようと思ってた矢先にイケメンからの不意打ち。
確かに…美形であるに越したことはない。
突然の性癖を暴露すると、人体の顎のライン、鎖骨、平たい胸、男女問わずそれが好きだ。
Nは私の性癖にぶち刺さる容姿だった…いやほんとマジで。
という事で、毎日DMや電話で話をしていたし、好きだのなんだの言われていたので、カップルという事でよろしいか?と聞いたら「今更じゃん」という反応だったので、私はけっこうNにのめり込んでいた。
前の相手を忘れたかったという想いもプラスされていたんだろうな…
知り合った経緯はこれで、一度私が新幹線に乗ってデートをした事もある。
とにかく紳士的で、改めてこの人が好きだ…!と思った。
一緒に居て幸せを感じる、毎秒ごとにときめく。
ただ、この状態に対して違和感を感じたのは私の感情ではなく脳のほうだった。
ひとり帰りの新幹線の中で、倒れた。
今思えばそれが危険信号だったのかもしれない。脳から私への。
とにかく救急搬送され、終電を止めてしまった事が本当に申し訳なかった。
いつ倒れたのか全然記憶にもなく、気が付いたら病院にいた…そして後天性のてんかんだと発覚。
保護者が迎えにくるまで入院となった。
更に倒れたはずみで携帯を車内に落としたらしく、
「帰ったら連絡くれってNが言ってたのに…何もできん…」
という想いと、電車とめてほんっとうにごめんなさいという罪悪感でまったく眠れなかった。
その時に気づけばよかったのに…。
(毎週日曜更新予定)
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