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おじいちゃんの書院

母方の祖父母は新幹線で5時間かかる遠くに住んでいたので直接関わることは少なかった。私が小学6年生の時に、母方の祖父が脳梗塞で倒れた。幸い助かったけども、少し生活が変わったようであった。

倒れる前に買ったワープロ書院は使い道がなくなったとのことで、私がもらえることになった。1992年くらい、ワープロ専用機で大きさは30×30×30センチくらい。画面は7インチ四方くらいだったと思う。感熱紙で印刷。記録媒体は2DDのフロッピーディスク。
とても楽しく遊んでいた。外字を作ったり、お絵かき機能を使ったり、分厚い説明書を隅々読んで楽しんでいた。オートシェイプ的なお絵かきもあったし、ドット絵も描けた。縦縦横縦縦横と点を打つのと、縦横横縦横横と並べるのと、縦縦縦横縦縦縦横と曲線を比べて楽しんでいた。
中学生の時にはブラインドタッチをおぼえる。演劇部のわら半紙の台本を必死に写していた。顧問の美術の先生がオリジナルで書いた台本だったので、なんとなく残したい気持ちがあったんだと思う。
1995年、高専1年生の時には新世紀エヴァンゲリオンにはまっていて、ビデオデッキを少しずつ一時停止しながらセリフ起こしをしていた。アポトーシスという言葉を知ったのはその時。
書院、その後どうなったのかおぼえていないけど、遊び倒したし、当時の女子としてはパソコンに抵抗がなかったのは書院遊びのおかげだ。

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