合が足りない。
夕方6時すぎにパートが終わり、ダッシュで米を研ぎ、だし汁を沸かし、夕飯の支度をしていた。
そこに子が現われて「ごはん、いっぱい炊いた?」と聞いてきた。
そうだ、たくさん炊かなければいけなかった。
子らには日中すでに今日の菜は伝えてあり、その菜のときは(子の好物なので)たくさん米飯がほしい、と常々言われていた。
また忘れてしまった。
毎回新鮮に忘れてる。
しかし、と言い訳するならば子らは普段あまり米飯をたくさん食べる方ではなく、余らせてしまう方が多く、言い募ってきた子も最近は学校に部活にバイトに友達交流やらで家で食事を取る回数自体がめっきり減ってきて、米飯は常に余らせがちだった。ついついそちらに気がいって、身体が米を多く掬うことに怯え、控えめな「合」になってしまっていた。
なんで何度言っても覚えてくれないの、と子が不思議そうな感じとイラつきがまじった顔で、なじる。
まあ、そうだ。自分でもびっくりするくらいにその時点になるときれいに忘れている。その瞬間の自分をなんとか掘り返してみると、どうやら別の記憶や衝動の方につよく支配されて(今回は恒常的な、ごはん余らせたくない思い)道を間違えてしまうみたいだ。
年々、子が伝えてくる連絡や情報を覚えられないでいく。言ったよね、言ったじゃん。すまない、でも覚えられない、その覚えられなさがどうしても子には伝わらない。マジでわかんない。うん、おかあさんも多分おまえんときはマジでわかんなかったと思う。
じゃあ何が残ってるかというと、子が幼少時の記憶。あれがすきだった、これがああだった、その時こうだった。いつの話だよ。子がしかめつらをする。
2回めのごはんが炊けるあいだに書きました。(画像はなじりながら子が研いだ2回め炊飯用の米)