映画感想「糸」
中島みゆきさんの名曲「糸」をモチーフに漣と葵、二人の男女のめぐりあいの運命を描く映画「糸」
予告を見ている段階で絶対に泣けてドラマチックな映画なんだろうな、とハードルを上げて見に行ったのですが、演者さんの演技や後半の伏線回収がお見事すぎて、ハードルってなんだっけとなりました。
僕は同じ映画を連続で観ることはまず無いのですが、日中ずっと糸のシーンが脳内再生されすぎて、気付けば映画館にまた足を運んでいる自分がいました。
こんなに好きなシーンがあふれすぎて要約できない映画は久々なので、ネタバレ全開でよかったシーンをひたすら書いていこうかと思います。
糸の魅力が少しでも伝われば嬉しいです。
その1.「大丈夫?」から始まる二人の物語
糸の物語は「大丈夫?」から始まります。
花火大会に急ぎすぎて自転車で転んでしまった漣。
その漣を見かけて走りより絆創膏を渡してくれる葵。
その葵の手に包帯が巻かれていることに気付き、漣は自分が怪我しているにもかかわらず、「大丈夫?」と葵に言うのです。
この一言で漣という男の子がどういう性格なのかを伝え、葵が好意を持っただろうな、と伝たわる手法が見事だな、と思いました。
その2.埋められない時間の演出
親友である竹原の結婚式に呼ばれた漣はそこで葵と8年ぶりに再会します。
この8年の空白が生んだ二人の距離感が絶妙でした。
まず葵に対する漣の呼び方が「葵ちゃん」から「園田」に変わっています。
近いような近くないような絶妙な呼び方にむずかゆくなります。
そして、何を話せばいいか分からない漣はパーティーの小皿を持ってきて「食べる?」と聞くのですが葵に断られます。
この微妙な空気のなか、漣は皿の食事を食べてみたり、近くにあるプールの水に手を浸してみたりするのですが、この所在のない感じが絶妙で、この演技ができる菅田さんは流石だなぁ、としみじみ思いました。
その後、誰かに呼び出しを受けた葵はパーティーを抜け、見知らぬ車に走っていきます。
その様子を見ていた漣は車から出てきた高級スーツに身を包んだ浅黒く長身でくわえタバコのイケメンにエスコートされる葵の姿を見ます。
俺の恋は終わった...と叩き潰されるこの一幕は痛ましいけどなんだか爽快感すらありました。
同時に走る車の中で泣いている葵の姿がもどかしかったです。
あと少し早く二人が出会っていれば、と思わずにはいられませんでした。
その3.フルネーム呼びは最強
傷心の漣を見て、工場の先輩である香が女にでも振られたんでしょーと漣をいじりだします。
そんなんじゃない、とかわす漣に香は10年付き合ってた恋人との関係が壊れたことをぽつりと漏らします。
二人は似た者同士だったのです。
自分への苛立ちと香への共感を覚え始める漣。
しだいに涙声になる香。
「何言ってんだ、何泣いてんだ」
「しっかりしろやーーー!桐野香!」
涙を流しながら香を叱咤する菅田さんの演技が胸に来ます。
やっぱフルネーム呼びって特別感があっていいですね。
同時にこの言葉が自分にも向けられているという構図もよいです。
その4.もしもしコーナーでつながってつながらない二人
数年後、役所で漣と葵は偶然再会します。
空港での別れの際に「もしもしコーナー」で会話する、というシーンがあります。
このもしもしコーナー、保安検査場と待合ロビーを仕切るガラスの両側にある受話器で、ガラス越しに相手の顔を見ながら会話ができるというドラマしか生まれないガジェットなのです。
こんな昭和なアイテムがこの時代にあるのか!と衝撃を受けたのですが、どうやら平成生まれのとのこと。
平成のアイテムに昭和を感じてしまう自分。
年号が変わるってこういうことか、と改めて実感しました。
そのもしもしコーナで二人は別れの言葉を交わします。
漣「俺はここ(北海道)で生きていくわ」
葵「じゃあ、私は世界を飛び回ろうかな」
一枚のガラスを隔てて二人の物語がはっきりと別れていく。
爽やかさと寂しさがふっとこみ上げてきます。
世界を目指していた漣が地元に残り、世界なんていけなくてもいいと言っていた葵が世界を目指す、というのがなんとも運命的で好きなシーンです。
その5.行けよ、漣
この作品で最も漣と葵を結ぶ糸になっている人物、それは漣の会社の先輩であり後に妻とになる香です。
彼女の事を語る際には「どんぐり」がかかせません。
彼女は漣にちょっかいを出す時に「どんぐり」をぶつける癖があるのですが、このどんぐりが最後までいい仕事をするのです。
映画を見終わった人にどんぐりをぶつけて見てください。
多分何人かは泣き始めると思います。
冗談はさておき、彼女は癌に侵され、なんとか娘を出産できたものの最後は病がぶりかえし、後が長くないことを悟ります。
遺言を残すように思い出を語る香をやりきれない気持ちで接する漣。
「運命の糸ってあるとおもう」
「糸はすぐほつれる、でもその糸は必ず誰かにつがなる」
この言葉はとても胸に刺さりました。
自分が評価していない行動も、必ず誰かの何かにつながっているのです。
そして彼女は出会った時のようにどんぐりを漣にぶつけながら。
「行けよ、漣」
と、漣に最後のエールを送るのです。
この時の香役の榮倉さんは観るのも痛々しいぐらい痩せており、そんな中泣き笑いの表情でこの言葉を贈るものですから漣と一緒に泣きました。
数日後、葬式で泣き崩れる香の両親。
その姿を目にした香の娘「結」は母から教えられた「悲しんでる人がいたら抱きしめてあげなさい」の言葉を思い出し、小さな手で二人を背中から抱きしめてあげるのです。
その姿に胸がいっぱいになりました。
こういった想いが受け継がれていく構図に弱いです。
そしてこの抱きしめてあげなさいは、さらなる感動への前フリであることに僕はまだ気づいていないのでした。
その6.ファイト!からのファイト!
僕はこの映画を見るまで「ファイト!」という曲を知りませんでした。
聞いた瞬間から突き刺さりまくる歌詞とメロディ。
さぞ有名なお方の曲なんだろうな、と思っていたら中島みゆきさんの曲でした。納得。
この映画ではファイト!が2回流れます。
この1回目と2回目の対比がまたよいのです。
1回目のファイト!は香が空気を変えるために歌い始めます。
もっと明るい歌歌えよ、と言いつつじわじわテンションが上がっていく漣。
「ファイト!」の掛け声を上げながら葵との気持ちを忘れて楽しい夜を過ごすのです。
2回目のファイト!は漣の親友である竹原が歌います。
1回目にこの曲を歌っていた香はもうこの世にいません。
そして1回目に居た利子は竹原と結婚していますが、東日本大震災を経験し、心を病んでしまっています。
「中学の頃は何にも悩みがなかった」
「普通に生きたいだけなのによぉ!」
竹原はそうぼやいた後、おもむろにこの歌を歌い始めます。
もっと明るい歌にしてくれー、漣は数年前と同じ言葉を投げます。
ただ、漣の目は遠いところを見ており、1回目の時とは心境がまったく変わっていることが伺えます。
2回目までに起こった数々の出来事を僕は見ています。
ファイト!の歌詞は1文字たりとも変わっていませんが、心への響き具合はまったく違って聞こえてきました。
苦しそうに、それでも生き抜いてやる!と自分と周りを奮い立たせている竹原のファイト!を見ている漣。
(ここのがむしゃらに歌ってる成田凌さんもいい!)
ぼーっと見ていた表情から、じわじわと心を動かされていき、サビを迎えるころには笑顔で「ファイト!」と自然に合いの手を入れている。
この一連の感情の動きが完全に自分とシンクロしていていました。
歌うシーンというのは歌う人の演技やパフォーマンスに目が行きがちですが、菅田さんを見て、聞く演技によって引き立つ歌の凄みというのもあるんだな、と知りました。
ファイト!
もし糸の応援上映があったらこの言葉を漣と一緒に叫びたいです。
その7.カツ丼を食べる小松菜奈さん
立ち上げた事業を成功させ、シンガポールで逞しく生きていた葵。
しかし信じていたパートナーに裏切られ、やっと切り開けたと思っていた自分の道が閉ざされてしまいます。
自分を救ってくれた人が残した大事なお金も使い果たし、感情が整理できないまま街を歩いていると日本料理店がふと目に留まる。
傷心のなか無性に日本食が恋しくなったのでしょう、ここで葵はカツ丼を注文します。
このカツ丼を注文して食べるまでの小松菜奈さんの一連の演技が凄まじいのです。
注文を待っていると店内スピーカーから「糸」が流れてきます。
「よりによってなんでこの曲が流れるかな」と葵は思ったことでしょう。
漣と出会って過ごした中学時代のあの夜にもこの「糸」が流れていました。
私は世界で頑張っていく、という気持ちを糧に漣と別れた葵。
今の自分は何なのだろう。
この数年間はなんだったのだろう。
カツ丼が着丼するまでの数秒間、様々な感情が渦巻いてくじけそうになる表情がなんとも素晴らしい。
そんな感情が溢れて泣きそうになっている瞬間、カツ丼がテーブルに届き、思考が一旦リセットされます。
このふっ、と思考が現実に戻ってくる演技も素敵です。
いただきます、と言ってカツ丼を食べ始め「まっず...」という葵。
こんな場所でさえ自分を裏切るんだ...
ここで感情が抑えられなくなったのだろうと思います。
ぽろぽろと涙を流しながら「大丈夫、大丈夫」とカツ丼を口にかき込んでいきます。
この悔し涙を流しながらどんぶり飯を食っている小松菜奈さんの表情があまりにも美しく、口からはみ出している玉ねぎの塊をすする姿でさえ見入ってしまう魅力があります。
僕は小松菜奈さんを観るのはこの映画が初めてだったのですが、このカツ丼シーンで一気に好きな女優さんになりました。
今までの出演作を見てなかったのは残念ですが、最も刺激を受ける初見の作品がこの映画で良かったなったな、とも思います。
もしシンガポールに行く機会があったらカツ丼はぜひ食べてみたいですね。
その8.こども食堂での世界で一番おいしい食事
葵は中学時代に唯一の心の拠り所だった近所のおばあちゃんの家が自分をきっかけにしてこども食堂になっていることを知り、またこの場所に戻ってきます。
おばあちゃんはあの頃と同じように葵を迎え入れ、食事を振る舞います。
食べ始めて一言。
「なんでだろう、ここの食事が一番美味しい」
ここでシンガポールでのまずいカツ丼が活きてくるんですよね。
「帰る場所なんてないと思ってたのに...」
食事を口に運ぶ度に葵の目からは涙がとめどなく流れます。
あのカツ丼の涙とこの食事の涙、同じ涙でもぜんぜん違うのです。
その後に「おかえり!」とおばあちゃんが両手を広げて迎え入れます。
たまらず声を上げて泣き出す葵。
ここでカメラが葵の背中を写すアングルに切り替わります。
あっ、この流れは、そうだ、そうであってくれ!
その願いに答えるように漣の娘「結」が葵を後ろから抱きしめ、母の教えである「泣いてる人がいたら抱きしめてあげなさい」の言葉を言うのです。
生涯親から抱きしめられることのなかった葵が漣の娘に抱きしめられている、この展開がなんとも泣かせます。
しかも葵はその子供が漣の娘であることを知らないのです。
葵がおばあちゃんと話をしている横で結を連れて去っていく漣。
葵が目に出来たのは去っていく漣の後ろ姿だけでした。
まだ出会えない二人ですが、もう一息で糸は繋がる予感を覚えながらラストシーンへ向けて気持ちがどんどんと高揚していくのです。
その9.どんぐりが繋ぐ想い
こども食堂に行っていた結と話をする漣。
そこで漣は結から食堂で泣いてた人がいたから抱きしめてあげた、
その人はあの食堂で初めて食事をした女の人なんだって、という言葉を聞きます。
葵だ!
たまらず参加していた祝賀会を抜け出し車に飛び乗ろうとするとする漣。
その姿を見た先輩が「お前どこに行くつもりだ」と呼び止めます。
ですよねー、何やってんだ、自分...と我に帰り車から戻ろうとする漣。
その漣の背中に向かって結が投げるのです、どんぐりを。
「命中ー!えへへー」
その姿を見た漣はたまらず走り出し、葵を探すべく車に飛び乗ります。
香の癖だったどんぐり投げ。
この演出だけで回想シーンやセリフを一切入れることなく、「行けよ、漣」という香から贈られた言葉が漣には聞こえたんだな、ということが伝わってくるのです。
この「抱きしめてあげなさい」からの「どんぐり」への流れ。
香から生まれたエピソードとエピソードが綺麗につながり漣と葵を引き合わせる展開に感動しっぱなしでした。
もうこの映画には信頼しかありません。
その10.「大丈夫?」から「大丈夫?」で繋る二人
中学時代、漣と乗るはずだった青森行きのフェリー。
葵はそのフェリーに向かっていました。
奇しくもその日は平成最後の日。
青森行きのフェリーはカウントダウンを待つ人でごった返しています。
人をかき分け、
園田ーーー!
葵ちゃんーーー!
あおいーーーーー!
と名前を三段進化させながら葵を探す漣。
フェリーに乗る直前の葵にふと聞こえるはずのない漣の声が響き、3回目の糸が流れ始めます。
ここでメロディーに合わせて二人がこの数年間ですれ違っていた場面の回想シーンが流れるのですが、役者さんってどれだけ涙の引き出しがあるんだろう、というぐらい多彩な泣き顔が堪能できます。
ちなみに僕はシンガポールで髪をかきあげながら悔しそうに泣いている葵の姿が一番好きです。
カウントダウンが終わり、無人となったフェリー乗り場。
もう、出会うことはないのか、そう思った瞬間、漣の手を葵が掴むのです。漣が葵の手を繋ぐのではなく、葵が漣の手を掴む。
出会ったときと逆転している構図がなんともドラマチックです。
離れ離れになった2つの物語が繋がり、ついに出会った二人。
ここで出会えた喜びを噛み締めて抱き合う、というのが定番の流れなんでしょうが、そこは信頼の塊である糸。
漣は、よっ、久しぶりといった表情で葵に「大丈夫?」と言うのです。
初めて出会った中学時代と同じように。
その言葉の後、二人は抱き合い、祝福するように水辺から花火が上がり始めるのです。
あの時にはもう終わっていた花火が今度は二人を彩るのです。
しかもその場所は少年時代に葵の手を引いて逃げるはずだった港なのです。
もう、展開が美しすぎて、はーーー、はーーーって脳内吐息が溢れまくってました。
やっぱり僕は疑う余地のないハッピーエンドが好きだなって再認識した瞬間でした。
その11.エンドロール中まで泣かせにくる糸
エンドロールでも糸は休ませてくれません。
漣と葵の結婚式の様子がホームビデオ風に流れるのです。
葵のウェディング姿が映し出される度に、よかったねぇ、よかったねぇ、を何回心の中で繰り返したことでしょう。
親友の竹原夫妻、チーズ工房の同僚、今まで出会ってきた人々に囲まれて幸せそうな二人。
来賓の一員のような視点でめちゃくちゃ幸せな気持ちになれます。
その一幕に新しい家族を見て感極まっているお義父さんの姿が映し出されるシーンがあるのですが、どっかの結婚式の映像を混ぜ込んだんじゃないか、っていうぐらいお父さんな表情で、とても温かい気持ちになれます。
娘を失った後、俺は娘の思い出だけと生きていく、と言ってた姿をみているだけにくるものがありました。
そしてそんな感動の嵐に包まれていると、ふとあることに気が付きます。
こんだけ糸をアピールしているのにエンドロール中に糸が流れていない。
あえてそうする演出もあるか、いや、それはないか、と思ってた矢先。
「なーーぜーめぐりあうのーかをーー」
流れた―ーー!
しかも菅田将暉バージョン!
もう完璧のぺきで心の中で平伏していました。
どんだけツボを抑えてくるんだこの映画。
最後の最後まで糸は完璧でした。
最後に
以上、糸の魅力を感じるシーン達でした。
書けば書くほど、あれもある、これもある、と出てきます。
2回目を見て中学時代の葵が序盤で言ったセリフ
「世界になんて行けなくてもいい、普通の暮らしがしたい」
最後にはこの言葉どおりに夢が叶ってるんだなぁ、ということに気付いてまた泣きました。
まだまだ新しい発見があるかもしれません。
ちょっと先のことを空想しすぎですが金曜ロードショーで実況しながら観るのも楽しいだろうなぁ、と思ってます。
たぶんカツ丼のシーンでうるさくしていると思うので、生暖かかく見守っていただけると幸いです。
ご清聴ありがとうございました。
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