GASLIT STREET OP 「贈り物」
PROLOGUE
THE GIFT
1912年 12月
ニューヨーク市
電話のけたたましいベルが鳴り響き、アーノルド・ブラックウッドはもとより不機嫌そうな顔を、鏡の前でいっそう顰めた。
「おい、さっさと電話に出ろ!」
アーノルドが叫んですぐにベルは鳴り止んだ。アーノルドはカミソリを手に、身支度に集中する。リビングで使用人が電話に応対する声が聞こえた。
「まったく……」
くだらない営業の相手をしている時間はなかった。
ホリデーシーズンから年末にかけて、街では馬鹿をやる市民が多い。それはアーノルドが管轄する地区においても例外ではない。
ほどなくして、使用人の女が洗面所を恐る恐る覗き込むのが鏡越しに見えた。
「アーノルドさん、ブロードウェイのニューヨーク市保存協会からお電話です」
「何だって? 知らんぞそんなもの。いちいち相手にするな」
アーノルドは不快さを露わに声を上げる。使用人はなおも恐る恐る、言葉を続けた。
「緊急のご要件、とのことですが……」
「それを早く言え! ──すぐに話すと伝えろ」
アーノルドはタオルを掴んで顔を拭くとリビングへ向かう。受話器を渡され、耳に当てた。同時に玄関のドアベルが鳴り、使用人は慌ただしくリビングを出ていった。
「まったく何なんだ……代わったぞ、アーノルド・ブラックウッド。朝っぱらから何の用だ?」
〈急なお電話をお許しください。ニューヨーク市保存協会の、パメラ・アイリス・エンディコットと申します〉
電話口に聞き覚えのない女の声がした。
〈ニューヨーク市保存協会から特別な贈り物をご用意致しました。アーノルド・ブラックウッド様に〉
「──贈り物だと?」
やはり営業か、とアーノルドは嘆息する。電話口の女の能天気な声がとにかく耳障りだった。
〈まもなくそちらに届きます。──お楽しみに〉
それだけ言うと、女は電話を切ったようだった。
人を馬鹿にした態度が気に食わなかったが、それ以上に引っかかるものがあった。
(緊急の通話で、贈り物だと)
胸中で呟くと、使用人が慌てたようにリビングへと戻ってきた。
「アーノルドさん。──警察の方が、」
「何寝ぼけたことを言ってる? 警察は私だぞ」
「でも、あなたをお探しだと」
言った使用人の背後からドアを開けてリビングに押し入る警官の姿があった。
「アーノルド・ブラックウッド警部。少しよろしいですか」
「……貴様」
見覚えのある部下の顔を睨み、アーノルドは吐き捨てる。
「ダニエル・ロウズ。上司の家に無断で立ち入り、ただで済むと思ったか?」
ロウズと呼ばれた警官は表情を変えず、アーノルドの前にある紙を突きつけるように差し出した。
「1892年の貧民街立ち退きに関する複数の容疑で逮捕状が出ています。職権乱用、共謀、恐喝、証拠隠滅、および……殺人で」
アーノルドの顔から、血の気が引いた。
馬鹿な、と呟くアーノルドの手を後ろに回し、ロウズ警官はゆっくりと手錠を掛けた。
「ご同行を。ボス」
「なぜ、今になって」
アーノルド・J・ブラックウッドの逮捕を皮切りに、ニューヨークでは様々な要職に関わる多くの人物が検挙された。その容疑の多くは本人らが逃げおおせたと思い込むほどの月日が経ったものであったが、同時に、今になって唐突に起訴に足る証拠が集まったものたちだった。
突然の逮捕劇は連鎖し、この日まで立件間近あるいは立件済みだった軽犯罪のいくつかが不起訴または起訴取り消しになった。ブラックウッドの逮捕はニューヨーク州の裁判所をはじめとした司法に、一時ではあるものの大きな混乱を生じさせた。
しかし、この出来事は始まりなどではなく、ある事件の終焉だった。
ニューヨーク市保存協会という組織にかつて身を置き、彼らの夢の為に奔走したパメラ・アイリス・エンディコットという女性の冒険がもたらした、あるひとつの結果だったのだ。