uyuniさんを聞くとサピア・ウォーフ仮説が顔を出す。
あまりにもベタな引用から始めてしまって少し恥ずかしいけど、彼女の曲を聞くとまさにこの学説を思い出します。
それは彼女が見えている世界が彼女独自の言葉によって歌われているいる気がするからです。彼女の歌詞には「こうすれば(世間の皆様が仰るような)いい歌詞になる」という感じがありません。
生々しく、かつオリジナルな比喩や言葉づかいになっているように感じます。
この記事では3つの項目を挙げて、彼女の歌詞の魅力を僕が僭越ながらいいねを押したい。
ⅰ.世人との距離感
ⅱ.世界観の独自性=抽象化の才能
ⅲ.コロケーション
ⅰ.世人との距離感
一つ目は世人との距離感について。
なんだか生々しくて、ハイデガーのいうところの「世人」が見るからにおせっかいの皮を被った無責任な言葉を彼女に対して吐いているのが見えてきそうな歌詞です。
(「世人」を素人が乱暴な解釈で語るなら、「みんな」と同調しようとし、自分の頭で考え、判断する機会を失っている状態の現存在(人間)のこと)
羨ましいと言ってくる人、擦り傷を探してくる人、ゆっくりで大丈夫と言う人、愛想ばっかの夢をいうことを強要する人、
この人たちは別に彼女の人生に責任を背負ってくれない。むしろ人を使って自己肯定感を上げたいだけかもしれない。いうことを聞いた先にも、聞かなかった未来にも彼らはいない。
おそらく。
小さい頃から自分を愛することより社会から愛されることを教えられてきていると、社会にフィットすることが至上命題のような気になるが、彼女はそこにしっかり自分があるように見える。僕はそれが素敵だと思います。
彼女の楽曲に感じる魅力は「存在と時間」が革新的と言われている点と似ている気がします。それは選ばれた事柄が抽象的で壮大なものであるのにも関わらず論じられているのが飽くまで「暮らしの場」であり「ありのままの姿」で洞察し、具体的な場面においての語りだったことです。
つまり、テーマやトピックにおいての歌詞は叙情的で美しい比喩表現でありながらもあくまで彼女のリアルな年齢や生きてきた世界の言葉で紡がれているということです。
ⅱ.世界観の独自性=抽象化の才能
二つ目は独自の世界観が抽象化する才能に影響しているのでは無いかということについて。
先んじて、「世界観」の意味の誤解を防ぐために新明解国語辞典から意味を引いておきたい。「雰囲気」のような用法ではなく以下の意味で用いています。
日本語ラップには他のジャンルであまり見かけない、独自の言語感覚を曝け出している人たちが多いように感じます。ありきたりな比喩表現ではなく、飽くまでオリジナルなものでありながら、美しすぎないリアルな表現。
その中でも彼女は、「若い世代だからこそ生まれる現代的な事象」を抽象化し比喩に昇華させるスキルが魅力的です。
ⅲ.コロケーション
三つ目はコロケーションの面白さについて
世の書店には「てにをは辞典」なるものが売っていて、そんなものをつい買ってしまうほど僕はコロケーション大好きおじさんです。てにをはを始め、言葉と言葉の結びつきにはその人の言語の認識が表れるので、注意して見てみると面白い。
Season1の歌詞について、
「幻」は「見る」と一般的には結び付けられることが多いと思います。
つまり、自分の外側にあるものを視覚的に捉える動詞を用いて「幻」は使われる。
しかし、「読み込む」を使い、外側にあったものを内側に入れる動詞で表現することによって、より一層アンコントローラブルな印象になる。気がします。
特に「読み込む」という単語はアウトソース化された、ある種無機質な情報のようなものをインストールするイメージの強い単語であるのも面白いですね。
最後に
駄文を読んでいただき感謝いたします。
ごちゃごちゃと色々書きましたが、正直書ききれていないのが心苦しいです。
いつか1曲にフォーカスして書きたいと強く思いました。Season1とSleeping Sheepは特に色々書ききれなかったのでいつか書きます。
まさかハイデガーやサピア、ウォーフを勉強している途中に彼女の曲を聞いていたらこんな記事が出来上がるとは思っていませんでしたが、書き上げた内容を無理やり一言でまとめると、
「彼女の言語観とそのフィルターを通された世界が好き」ということでした。
丁寧に紡がれた歌詞を纏った新曲を楽しみに待つことにします。
Breathe Inもよかったなあ。
下にMVが上がっている曲のリンクを貼ります。ぜひ見て見てください。
映像も素敵です。
おわり