『どこで暮らしても』写真展で、23区の日常の隙間を思いたくなった。
なんとか時間が作れたので、表参道・山陽堂書店で開催している仁科勝介さんの『どこで暮らしても』写真展に足を運んできました。
仁科さんのことはほんの数日前にたまたま知ったばかりで写真はほぼ見たことないまま訪れたのですが。
はじめてきちんと写真を眺めてみて感じたことは、
という感想だったのですが。それでもなぜだか見入ってしまう不思議な写真で。気付けば1枚目から身動きが取れずにじっと眺めていました。
そこでふと気づいたのが、
なんのこっちゃかもしれませんが、日常って偶然の積み重ねでできていて、仁科さんが切り取っているのはその「偶然そのもの」なんだろうなって。日々はあたり前にのようにそこにあって、だからこそ簡単に通り過ぎてしまうじゃないですか。
そこに立ち止まって目を向けられることって、すごく丁寧にその瞬間をじっと見ていないとできないことだし、多くの人はきっと見逃してしまっていて。だからこそ特別で、僕は心を掴まれたのかもしれないなって思います。
そうやって見ていくと、だんだん、どんどん深さが感じられてきて。
例えば、
声や会話が聞こえてきそうな。そこにあるストーリーを想像したくなるような。二度と訪れない特別なふつうが詰め込まれた写真の中の物語に、グッと入り込んで思いを馳せたくなる写真たち。時間を忘れて眺めてしまいました。
僕は人生の8割を東京で生きてきましたが、通り過ぎてしまった風景がたくさんあるかもしれないし。そんなことを考え出して少し寂しい気持ちにもなったのですが。でもだからこれからは瞬間瞬間に目を凝らして、丁寧に今を積み重ねていきたくもなって。仁科さんの見てきた景色をおすそ分けしてもらいながら、日々がちょっと前向きで楽しくなりそうな予感を手土産のようにいただいた気分です。
写真展を出たあと、無性に写真が撮りたくなりまして。なんというか自分の目がカメラのレンズになったみたいな、風景を切り取りたくてうずうずしている感じというんでしょうか。1枚パシャリと撮ってみました。
なんてこともない写真。なんですけどね。なんか、道路の湿り具合に雨の後の空気がひんやりした感じを想像したり、右斜め前で歩きながら写真を撮る女性を見て、急いで何を撮りたかったんだろうとか、ふつうの日常のありふれた一枚ですけどそこでしかないドラマがあったりして。それが面白くて尊いのかもしれないですね。
ふと、家の中で丁寧にケースに包まれた一眼を思い出して。写真、やってみようかなって気持ちになってます。上手く撮れなくてもいいし、自分ぽい切り取り方ができたらきっと楽しいだろうな。
「どこで暮らしても」写真展、今週19日(土)@表参道・山陽堂書店でやってるみたいです。お時間ある方、ぜひ。
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